原節子の病気 病名は肺炎で8月に入院していた!結婚せず子供もいない伝説の大女優は謎だらけ

“伝説の大女優”にして「永遠の処女」といわれた原節子さんが、9月5日に死去されていたことがわかりました。享年95才でした。病気で亡くなったということですが、病名は肺炎でした。甥っ子さんによると、8月中旬から入院していたようです。病院は都内のようですね。

死去した当時に発表がなかったのは、原節子さん本人の希望だったといいます。原節子さんは結婚せず子供もいなかったようで、伝説の大女優と呼ばれるのにはいろいろと謎めいたことが多かったからのようです。


 
 

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“伝説の女優”原節子 プロィール


原節子さんは、本名を会田昌江(あいだまさえ)といいます。神奈川県出身で1920年(大正9年)6月17日生まれでした。日本映画の黄金時代を代表する大女優「永遠の処女」として知られています。小学校のときは、目が大きかったのでアダ名が「デメキン」「5センチ眼」だったといいます。

横浜高等女学校を中退して1935年に日活多摩川撮影所に入社ました。これは義理の兄の熊谷久虎監督の縁だったそうです。そして、若干15才で「ためらふ勿(なか)れ若人よ」にて銀爆デビューを果たします。

“伝説の女優”原節子 経歴


1937年に日本とドイツの合作で製作された映画「新しき土」のヒロインを演じた際には大きな話題となったといいます。日本人離れした彫りの深い顔立ちと明るさで人気女優となったとか。

戦後には1946年の黒沢明監督「わが青春に悔なし」、1947年の吉村公三郎監督「安城家の舞踏会」、1949年の木下恵介監督「お嬢さん乾杯」と今井正監督「青い山脈」、1951年の成瀬巳喜男監督「めし」、1953年の小津安二郎監督「東京物語」などの出演映画あります。

1949年と1953年には毎日映画コンクール女優演技賞を受賞しています。小津安二郎監督の「晩春」「東京物語」、成瀬巳喜男監督の「めし」「山の音」といった作品では、優しく知的で熟れた女性を演じて、大女優となったそうです。

1954年には白内障を患いましたが、1955年に初の母親役で女優業に復帰し、人妻役を好演したりもしました。

26年間という短い女優人生の間に、107本もの映画に出演しました。戦前戦後を通じて清純派の美人スターとして活躍しましたが、1962年の東宝映画「忠臣蔵」を最後に、1963年42才という若さで女優から引退しました。小津安二郎監督の映画に原節子さんは欠かせない存在でしたが、監督が亡くなったことも引退のきっかけだったようです。
 
 

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原節子 「引退」の理由は兄の事故死?


42才という若さで、しかも人気絶頂期に衝撃の引退をした原節子さんですが、その理由は明らかにされておらず、謎に包まれています。

噂では、白内障を患ったことから視力の低下や、その後の老いた姿を世間に晒さないため、小津安二郎監督の死去などがありますが、最も有力説としてあるのは、実の兄が目の前で事故死したことが理由ではないかといわれています。

原節子さんの実の兄、会田吉男さんは東宝映画のカメラマンをしていました。復帰後1953年の原節子さん出演の「白魚」の撮影ロケのときに、なんと彼女の目の前で、列車に轢かれて亡くなるという悲劇の事故死にあっています。

原節子 「伝説」といわれた理由


引退の翌年1964年には東京都狛江市の自宅を引き払って現在の鎌倉に家を建てました。場所は鎌倉五山の一つ、浄明寺の隣の敷地内です。引退してからはオモテに姿を見せていなかったにも、「伝説」といわれた由縁でしょうね。存在自体が謎めいていたそうです。

「伝説」と言われ始めたのは、1952年「東京の恋人」のあと、しばらく映画出演がなかった時期からです。

原節子 「永遠の処女」といわれた理由


原節子さんは、実は未婚であり、また、ゴシップネタとも無縁でした。人間的にも、陰りと憂い、その知的な人物像が魅力で「永遠の処女」といわれたのですね。

“伝説の女優”原節子 病気で極秘入院


“伝説の大女優”にして「永遠の処女」といわれた原節子さんですが、2015年8月の中旬くらいに入院していたそうです。週刊誌「女性自身」が鎌倉の自宅を訪れて取材した際に、甥っ子が答えていいます。住み慣れた場所を離れて病院で一人とうことでしたが、病院は都内のようですね。親戚が東京にいて見舞いに行っているという話でした。

神奈川県鎌倉の自宅一戸建てでは、原節子さんは以前は買い物したり掃き掃除したりする様子が近所の人も見かけていたそうです。ただ10月末の時点では見かけなくなったんだとか。8月中旬に入院するまで、自宅の庭で散歩もしたり元気な様子だったそうです。

ちなみに原節子さんには、100才を超えた姉と、もうすぐ100才になる姉、2人の姉がいるそうです。見舞いにも行っていたみたいでしが、妹である原節子さんが先に死去されたことで悲しんでるでしょうね。

気なるその病気ですが、肺炎でした。

まとめ


原節子さんは、謎の多い女性だったようですね。
・1952年「東京の恋人」のあと、しばらく映画出演がなかった謎
・42才で突然引退理由が謎
・引退後、ほぼ引きこもり生活のため、どんな暮らしをしていたか謎
・未婚であるという謎
・ゴシップと無縁だったため、恋人や内縁の夫がいたのかも謎
謎だらけの、まさにミステリアスな女性でした。
「伝説の大女優」は伝説のまま、天国へ行かれたのですね。
ご冥福をお祈りいたします。
 
 

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