「椿発言事件」の椿貞良が死去。テレビ朝日VS自民党、BPO誕生のきっかけを作った人物

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元テレビ朝日の報道局長で、「椿発言事件」の椿貞良(つばき さだよし)さんが
2015年12月10日に死去していたことがわかりました。享年79才でした。

椿貞良さんはどんな人だったのでしょうか。
また、「椿発言事件」とは何だったのでしょう、
その事件が与えた影響とは。
 
 

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椿貞良


椿貞良さんは1960年24才の頃、
テレビ朝日の前進である日本教育テレビに入社しました。
その後、北京支局長、報道局長などを歴任します。

1982年、椿貞良さんは雑誌のインタビューにて
・これまで報道が公平公正だと思ったことは一度もない
・東大安田講堂事件の時は学生たちに共感していた
とコメントしています。

そして、1993年57才の頃、取締役報道局長に就任した年に
椿貞良さんの発言が「椿発言事件」に発展します。

椿発言事件


1993年7月18日
衆議院総選挙が行われ、自民党は解散前の議席数はキープしましたが、
過半数を割ったことで初めて野党に転落してしまいました。

1993年9月21日
日本民間放送連盟の会合の席で、
椿貞良さんは選挙報道について衝撃の発言をしました。

・自民党政権の存続を絶対に阻止しよう
・共産党以外で、反自民の連立政権を成立させるような報道をしよう
・共産党に意思表明のチャンスを与えるのはフェアじゃない

ということを、「指示」ではないが「方針」として
テレビ朝日局内でまとめた。と、会合で発言しました。

自民党と共産党を追いやって、反自民で連立政権を成立できるように
テレビ報道をしていこうということですね。
これは、公平・公正ではなく偏った考えなので、問題になりました。

1993年10月13日
産経新聞がこの「椿発言」を朝刊の一面記事にしたことで大きな話題となります。
テレビでの報道の政治的公平性・公正性が問われて問題になりました。
椿貞良さんは椿事件の責任をとって解任されます。
10月25日には国会にも証人喚問されるほどでした。

放送法違反だとして放送免許を取り消すことも検討されたほど
深刻な問題でしたが、当時の郵政省は、
放送法は違反はしていないが放送に対する国民の信頼を揺るがしたとして
テレビ朝日を厳重注意処分としました。
  
 

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テレビ朝日VS自民党


「椿発言事件」のあとも、テレビ朝日VS自民党 の構図は続き
民主党を好意的に報道したテレビ朝日に対して
自民党の当時の幹事長、安倍晋三さん(現在の首相)が
テレビ朝日に抗議して自民党議員を出演させないと決めたりしました。

BPO設立は椿事件がきっかけ


椿発言事件がきっかけとなり
NHKと民法連が共同で、テレビ放送へのクレームを受け付ける
のちにBPO「放送倫理・番組向上機構」誕生となりました。

椿貞良さんの「椿発言」はけっこう過激で問題になりましたが
そのおかげでBPOが出来て
公平・公正や倫理などが守られるようになったのですね。

ただ、BPOのおかげで、
ニュース報道が、どの局も同じ報じ方であり、
つまらないものになってしまったことも事実です。
テレビで政治に対する思想を語ってくれたほうが、
いろいろ考えさせられるので、良いと思うですが。

感想


椿貞良さんのような人がいると、いろいろ問題は起きるでしょうが
テレビを見る側からしたら、いろんな意見があるとわかって
面白いかもしれません。

ただ、椿貞良さんはちょっとやり過ぎてしまった感があります。
ほどほどがよかったのかもしれません。
 
 

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