【終活】田原俊彦の盟友・俳優K小林まさひろの439日「死去後明かされる最後のメッセージとは」

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田原俊彦さんの盟友Kこと小林まさひろさんは、今年6月に大腸がんで死去されました。
2014年に余命3か月の宣告を受けて以来、死去と向き合うため終活の日々を送っていました。

小林まさひろさんが田原俊彦さんの盟友Kとなったのは、80年代・俳優として共演したのがきっかけです。
田原俊彦さんは、撮影中に結婚した小林まさひろさんのために結婚式をあげてくれるほどの仲でした。

そんな小林まさひろさんの死去後明かされる最後のメッセージとは・・・
 
 

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■ 田原俊彦の盟友K 小林まさひろ


田原俊彦の盟友Kこと小林まさひろさんは、横浜市出身1953年9月15日生まれです。
2016年6月22日に死去、享年62才でした。
「ザ・ハンターズ」というお笑いグループの元メンバーで、芸能界引退後はふぐ料理店を経営していました。

■お笑い芸人デビュー

デビューは1972年19才の頃にTV番組「ぎんざNOW!」の素人コメディアンという企画。
そこで出会ったチャンピオン6人を渡辺プロが集め、22才の頃に「ザ・ハンターズ」の一員となりました。
メンバーは
清水アキラ・桜金造・アゴ勇・アパッチけん・鈴木末吉・小林まさひろ

■ハンターズを脱退

ところが「ザ・ハンターズ」デビューのプロモーション活動で事件が起きます。
地下鉄の全区間と同じルートを休まずに歩き通す、という企画だったのですが、桜金造さんがサボったということで、その罪を小林まさひろさんが背負う形でグループ脱退するハメに。

その後「ザ・ハンターズ」は、「笑って!笑って!60分!!」でレギュラーを務め、コントやコミックソングを披露。
3年目にはシングル曲「ハンダースの想い出の渚」が30~40万枚のヒットを飛ばすも、結成から5年目の1980年に解散します。
もともと渡辺プロが作ったグループだったということもあり、仲は良くなかったそうで、小林まさひろさんは脱退して良かったかもしれません。

■ハンターズ脱退後は俳優に

小林まさひろさんはハンターズ脱退後は事務所を移籍して、映画やドラマで俳優として活躍します。
・1981年の映画「の・ようなもの」落語家の役
・1985年の映画「金魂卷」医師役で主演
・1980~1981年のドラマ「ただいま放課後」主役の高校生4人組の1人
など、他にも、日テレ「ルックルックこんにちは」にも出演していました。

ドラマ「ただいま放課後」では、田原俊彦さん含むたのきんトリオと主演しているので、この頃から盟友となったのでしょうか。

■芸能界を引退

俳優として活躍していた小林まさひろさんは結婚すると、フグ調理師の免許を取得して芸能界を引退します。
結婚は「ただいま放課後」の撮影中の出来事だったので、盟友・田原俊彦さんが撮影所の食道を借りて、結婚式を挙げてくれたという微笑ましいエピソードがあります。
1985年32才の頃、赤坂にふぐ料理の専門店「参虎」をオープン。
オーナー兼シェフとしての人生がスタートします。

■50才でボクシング

2007年54才の頃、50才を過ぎてボクシングの親父大会「おやじファイト大会」にも参加するオヤジファイターとしてテレビでも放送されました。
102kgもあった体重をたった3ヵ月で67kgまで減量したというから驚きです。
しかも、初代ウエルター級チャンピオンというからさらに驚きです。

引用:http://yaplog.jp/akasakafugu/

引用:http://yaplog.jp/akasakafugu/

■ザ・ハンダース一日限りの再結成

2010年57才の頃には、ザ・ハンダースが一日限りの再結成コンサートが箱根天成園で開催されました。
その時、清水アキラさんの計らいで30年ぶりにステージに立ったのでした。

■ふぐ料理店を鶴見に移転

2011年58才の頃、赤坂で25年間続けたふぐ料理店「参虎」を、実家のある横浜市鶴見区に「居酒屋参虎」として移転しました。
 
 

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■ 田原俊彦の盟友K 小林まさひろ 終活~死去


ふぐ料理店をしながらボクシングしたり、ザ・ハンダースの再結成に参加するなど、人生を謳歌していた小林まさひろさんですが、悲劇が訪れます。

2014年1月60才の頃、店の衛生責任者として検査をした結果、大腸から出血がったので精密検査をすると「余命3ヵ月・末期の大腸がん」だとガン宣告を受けました。
8月には大腸がんの摘出手術をうけますが、がんは肺と腹膜に転移していました。
・右肺に15個
・左肺に10個
・腹膜に20個
合計45個も腫瘍が発見されました。

翌2015年5月、盟友の田原俊彦さんがMCを務めるTBS「爆報!THEフライデー」で「末期の大腸がんと闘病中」だと告白します。
「私の体はガンでできています。頑張って治していきます」と。
盟友・田原俊彦さんは、涙が止まりませんでした。

がん闘病中、治療の副作用なのか、1年で20kg太っています。
また、2015年春に行った定期健診では
・肺に25個
・腹膜に20個
腫瘍が見つかっています。
酒・タバコ・食べることが大好きだったそうですから、それががんの原因となったのでしょう。

引用:http://yaplog.jp/akasakafugu/

引用:http://yaplog.jp/akasakafugu/

■終活

小林まさひろさんは死去に備え、終活を行っていました。
葬儀・遺言・財産分与などです。
長男の小林ひろきさんにいろいろと指示していました。

終活に励むことで、死去の恐怖から逃れようとしたのですが、結果、死去と向き合うこととなりました。
長男・長女・孫たちの「死ぬって言われたからって簡単に諦めないで」といった言葉もあり、気持ちは前向きになっていきました。

また、28才の頃に出演した映画「の・ようなもの」の続編「の・ようなもの のようなもの」が2016年1月16日公開されました。約30年ぶりの映画復帰でした。

■ホスピスへ

2016年6月14日、小林まさひろさんは神奈川県内のホスピスに入院しました。
18日には母親が面会に訪れ、そのことを綴ったのが最後のブログとなりました。

昨日は面会に来た母が嬉しそう
私の孫と婚約者なぜか私もうれしい
一瞬見える幻想
引用:http://yaplog.jp/akasakafugu/

■死去

小林まさひろさんが死去したあと、息子のひろきさんがブログを更新して報告しました。

小林まさひろは6月22日 朝6時40分、享年62歳にて永眠しました。

酒、タバコ、食事が大好きな父でしたが、ガンを患い、
病が進行するにつれ、酒、タバコを楽しめなくなり、
最後となってしまった入院では、ついに食事もできなくなりました。

そんな中、唯一の楽しみしていたのことが、ブログの更新でした。
病気と向き合う辛い時間を忘れられる楽しみを、皆さまに作っていただき、
本当に感謝をしています。
ありがとうございました。

生前、父からは「おれに何かあったら、最後のブログの更新を頼む」と言われていました。
終活の一環のようです。ここ1、2年は会う度に、これはこうしとけ、あれはあそこにあるから、と
自分にもしものことがいつあっても家族が困らないように、いろいろと伝えてくれていました。

今、父と話すことはできなくなってしまいましたが、
このブログの更新、葬儀の段取りなど、
父が教え、指示してくれたことをなぞっていると、父の声が聞こえてくるようです。
(「ああ、そうじゃない!こう言っただろ!」と相変わらず怒られてばっかりですが)

父の思いを受け継ぎ、生前お世話になった方々にきちんとご挨拶させていただきたいと
思っています。
改めまして、今まで父のブログを見ていただき、本当にありがとうございました。

小林 ひろき
引用:http://yaplog.jp/akasakafugu/

■小林まさひろ最後のメッセージ

8月19日のTBS「爆報!THEフライデー」では、田原俊彦さんの盟友Kこと小林まさひろさんの、「余命3ヶ月の宣告を受けてからの終活439日」の全貌が明かされます。
そして、盟友・田原俊彦さんに向けた言葉や、最後のメッセージも。

 
 

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