【イエスの方舟事件】騒動内容と現在!千石イエス(千石剛賢)の嫁と子供は「シオンの娘」で生きる

1980年に日本で騒動となった「イエスの方舟事件」内容と現在、そして教祖といわれた「千石イエス」こと千石剛賢(せんごくたけよし)の生い立ちや嫁と子供に迫ります。

「イエスの方舟事件」とは、悩める若い独身女性たちが「千石イエス」のもとに身を寄せていたところ、娘が誘拐されたと親たちが訴えたことで拉致・誘拐事件として騒動になった事件のことです。ビートたけし主演でテレビドラマ化されたこともあります。
しかし実際は、拉致・誘拐といった事実はありませんでした。

独身女性たちは純粋に、「千石イエス」こと千石剛賢の人柄に惹かれて安息の地に辿り着いただけでした。
千石剛賢が亡くなった現在、彼女たちは彼の嫁・子供とともに「シオンの娘」で暮らしています。
「シオンの娘」の場所は福岡。千石剛賢の命が現在もそこに残っています。
  
 
 
 

■【イエスの方舟事件】とは?騒動の内容


「イエスの方舟」とは、千石剛賢が主幸する聖書勉強会から始まったキリスト教信仰集団です。
1970年代の後半までは、東京で会員26名が穏やかに共同生活を送りながら聖書研究に打ち込んでいました。
設立当時の1960年代には、東京の国分寺にある3LDKの旧米軍ハウスを借りて生活していました。
まだそのころの会員は大阪から上京した3家族だけ。
聖書の読み解く集会や日曜学校を開く傍ら、生活費は、多摩一帯の家々を一軒ずつ訪ねて注文を取る刃物研ぎの仕事で細々と稼いでいました。

高校時代から通っていた会員・大沢捷子さんは初めて知る「他人のない生活」に胸を打たれました。
彼女たちの多くが、心に傷を負った家出だったからでしょう。
千石剛賢はいつも「仲良くしなさい。それがいちばん大事なことだ」と諭していました。
そして皆に自分を「おっちゃん」と呼ばせました。
血縁で差別するのを防ぐため、実の子供にも「お父さん」と呼ばせませんでした。
なので、誰が実の子供で誰が嫁なのかもわからない、区別はあるが差別のない世界でした。
一方で、家出を心配した親たちから捜索願いも出されました。

■イエスの方舟事件

1977年の秋、警視庁は特別捜査班を編成しましたが「女性たちの入信と家出は自主的である」という理由で、強制的に連れ戻すことはできませんでした。
それで家族が納得するはずもなく、「イエスの方舟」に対して集団抗議が行われ、共同生活する家にも押しかけました。

1978年
千石剛賢は会員26名を連れて国分寺を去ります。
その後、糾弾から逃げるように1980年までの2年間にわたって大阪・神戸・長野・赤石・岡山などを転々とし、最後は福岡に辿り着くのでした。
福岡では生活資金調達のため若い女性会員たちがホステスとして働きました。

1979年の暮れには、娘が家出して悲嘆にくれた母親が書いた手記「千石イエスよ、わが娘を返せ」が「婦人公論」に掲載されます。
これがトリガーになり「若い女性たちを言葉巧みに入信させ、ハーレムを形成」とマスコミが一斉に「イエスの方舟」をバッシング。マスコミは千石剛賢を「おっちゃん」でなく「千石イエス」と呼びました。
「若い女性たちが突如集団失踪! 彼女たちを連れ去ったとされるのは謎の宗教集団イエスの方舟」「千石ハーレム」「現代の神隠し」などと報じられました。
女性たちと共同生活を送る小さな宗教団体はマスコミの恰好のターゲットにもなったからです。

■事件の結末

しかしマスコミの中で「サンデー毎日」だけは違いました。
「イエスの方舟」を逆に冷静に評価して報じていました。
「サンデー毎日」の記者は、千石剛賢ら「イエスの方舟」の面々と会い、騒動の沈静化をはかろうと相談した結果、「千石イエス独占会見記」を掲載。
マスコミ戦争にも発展するなか、千石剛賢に逮捕状が出ました。
しかし持病の心臓発作を起こしたため、病院に収容され逮捕されることはありませんでした。

翌日、会員たちが記者会見。
千石剛賢に連れ去されたのではなく、自分の意思で入信したと主張。
マスコミの教団へのバッシングにも反発しました。
この結果、任意で取調べを受け書類送検された翌年、容疑は晴れて不起訴処分が決まりました。
「サンデー毎日」のおかげで世間の誤解が解けたのです。
 
 

 
 

■【イエスの方舟事件】現在は「シオンの娘」


イエスの方舟事件の騒動終了後、会員たちは親の承諾を得て、福岡に戻りました。
そして、福岡市の中洲でクラブ「シオンの娘」を開店します。
中洲の人形小路、雑居ビルがひしめく中です。

クラブ「シオンの娘」は、20人弱が座れるカウンター席は常連客でほとんど満席。
女性会員たちが勤務して、微笑みを絶やさずに来客の話し相手をします。
お酒の提供はもちろん、教会のように悩みや人生相談にも乗ります。
ちなみに男性会員たちは、建設関係で働いています。

「おっちゃん」といわれた千石剛賢は1993年には古賀市に「イエスの方舟会堂」を建て、2001年に78才でなくなりました。
しかし三女の恵さんはこう言います。
「肉体は滅びても、おっちゃんは生き続けています。私たちを置き去りにせず、より一層、一体になっている」

千石剛賢は会員たちに遺言をみっつ残していました。
「仲良くすること」
「健康に気をつけること」
「聖書の研究を続けること」
とてもシンプルですが大切なことですね。
特に「仲良くせよ」という戒めには、格別の重みがあるといいます。

千石剛賢が亡くなった現在も「シオンの娘」は運営され、DVから逃れる女性の駆け込み寺にもなっています。
現在「イエスの方舟」の代表は、嫁のまさ子さんが務め、女性でありながら「おっちゃん」と呼ばれています。

■【イエスの方舟事件】千石イエス=千石剛賢 嫁と子供は?


「イエスの方舟事件」の騒動で「千石イエス」と呼ばれた千石剛賢。

千石剛賢は、兵庫県加西市出身。
1923年、富裕な農家に生まれました。
20才で海軍に入り、戦争が終わったあとは刃物工場を経営するが失敗。
その後、てきや・レストラン支配人など、職を転々とするなか教会に通い始めました。

当時彼は、に何かに飢え、何かに怒っていたといいます。
20代は毎日喧嘩に明け暮れていたんだとか。
短気な性格が原因で、いつか障害事件を起こして死刑になるのではと、自分自身におびえていました。
だからそんな自分を変えるべく教会に通って、聖書の研究に没頭したんですね。

翌年に最初の嫁と離婚したあと、2人目の嫁まさ子さんと再婚。
大阪の聖書研究会に夫婦で参加するようになりました。

「イエスの方舟」の母体が出来上がってからは、嫁まさ子さんと形式的に離婚。
それまでいた会員たちを養子にしてきました。
自分らと会員らとの関係を対等にするためにしたことでした。

 
なぜ「寿命」と書くのか?それは「めでたい命へ転換するから」と嫁のまさ子さんは言います。
現在「おっちゃん」は亡くなりましたが、彼の命の実績は永遠にここにあると。
それを「復活の事実」といい、だから心配はいらないのだと言います。
 
 

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