【スター死去】渡瀬恒彦の余命と激やせ写真が切ない「9係は降板したくなかった・・死因は胆のうがん」

昭和のスター俳優の渡瀬恒彦さんが死去されました。享年72才。
死因は2015年夏から現在まで闘病中だった胆のうがん。

闘病中、当初は病気を隠していましたが滑舌の悪さが目立ち、心配されました。
そんななか渡瀬恒彦さんは昨年、人気シリーズだった「十津川警部」を降板。
余命や激やせ写真も話題に。
その後は胆のうがんがとりあえず落ち着いた状態になりSPドラマ撮影にのぞむなど復帰したかと思われました。

しかし2017年4月から放送の人気シリーズ「9係」で復帰を目指すも、死去して降板という最期になってしまいました。
 
 

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■渡瀬恒彦が死去 死因の胆のうがんで激やせ写真から2017年現在まで


2015年の夏
渡瀬恒彦さんは体調不良を訴え、検査した結果、胆のうがんが見つかり病院に入院。
5ヶ月間は仕事を休んで治療に専念しました。
抗がん剤と放射線治療の効果があり、様子を見ながら仕事復帰するも完治することはなく入退院を繰り替えました。

2016年2月
「おみやさん」のSP版が放送された際は、滑舌の悪さが目立ち視聴者らが体調は心配しました。
撮影が始まったのは2015年12月からでしたが、撮影現場でも体調に異変はありました。
滑舌が悪くセリフを聞き取りにくかったり、走るシーンですぐ息があがるなどです。

人気シリーズ「警視庁捜査一課9係」11弾でも
胆のうがんのことは共演者に知らせず、実は撮影の合間を縫って通院していました。

7月にあった「おみやさんSP2」の京都ロケでは
撮影中に体調不良を訴え
東京から嫁が駆け付けて寄り添うことも。

■十津川警部を降板

2016年7月
撮影中に発熱が原因で、撮影を中断することも。
撮影を中断して、鹿児島「UMSオンコロジークリニック」に治療に行きました。
1992年から23年間続けてきた
「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ」
を降板したので、胆のうがんの悪化が心配されました。
激やせ写真が報じられ、余命が話題に。

■胆のうがんが小康状態に

2017年1月
胆のうがんは、とりあえず落ち着いた状態に。
1月末からは
SPドラマ「そして誰もいなくなった」の撮影もするほど復帰していました。

2017年1月21日
俳優の松方弘樹さんが74才で死去した時は
「年齢も近く、東映の撮影所で共に育ってきました。今は言葉が出ません」
とコメント。
それから2ヶ月・・
2017年3月14日現在
仕事復帰を目指していた渡瀬恒彦さんですが、残念ながら死去されました。
死因は胆のうがん。

■9係は降板したくなかった

2017年2月
「警視庁捜査一課9係」の第12弾が4月から放送を発表。
すっかり仕事復帰したかと思われました。
しかし
渡瀬恒彦さんは
「9係シリーズを生きていればライフワークにしたい」
とコメント。
「生きていれば」という言葉に、胆のうがんが悪化していたことがうかがえます。
 
 

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■渡瀬恒彦 経歴プロフィール(画像)


名前:渡瀬恒彦
生年月日:1944年7月28日
出身:島根県
兄弟:兄は俳優の渡哲也
代表映画:「赤穂城断絶」「事件」「仁義なき戦い」シリーズ
代表ドラマ:「十津川警部」「北アルプス山岳救助隊」「世直し公務員」「おみやさん」シリーズ「警視庁捜査一課9係」シリーズ
引用:wiki

大学は早大法学部に進学するも除籍に。
その後、電通PRセンターに就職。
兄がスターとして活躍する一方、弟の渡瀬恒彦さんは芸能界に無関心でした。
しかし東映の岡田茂社長に説得され、1969年に東映に入社➝1970年に「殺し屋人別帳」でデビューします。

その後は
「仁義なき戦い」シリーズ始め多くの作品に出演。
1978年には
「赤穂城断絶」「事件」での演技が評価されブルーリボン賞助演男優賞などを受賞します。

映画の時代が終わるとテレビで活躍。
「十津川警部」「おみやさん」は人気シリーズに。

■結婚・嫁・子供

1973年
女優の故・大原麗子さんと結婚。
しかし5年後の1978年に離婚。

翌年1979年
新潟生まれのOL・い保さん(現在69才)と再婚。
子供も息子と娘の2人生まれました。

2004年の「十津川警部」では
前妻の大原麗子さんと26年ぶりの共演が話題に。
大原麗子さんが2009年8月に62才で死去された時は
「お別れの会」に参列しました。

■ネットの反応



 
 

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