桂あやめの事件内容と西川正勝死刑囚の生い立ちがヤバイ!娘をもつシングルマザーがPTSDに…「スナックママ連続殺人事件」の恐怖

落語家の桂あやめさんは、1992年に「スナックママ連続殺人事件」の犯人・西川正勝死刑囚(画像)に殺されかけた過去があります。その後、娘をもつシングルマザーになるも事件内容が夢に出てPTSDになってしまいました。

「スナックママ連続殺人事件」の事件内容は非常に恐ろしく、当時の世間にも衝撃を与えました。犯人・西川正勝死刑囚の生い立ちも相当怖いものがあります。

桂あやめさんは事件後、父親のいない娘を育てるシングルマザーとなりましたが事件内容を忘れることはありませんでした。2017年7月13日についに死刑が執行され、「安心はするが、亡くなった4人のことを考えると複雑です」と報道陣に対してコメントしています。
 
  

  
 

■桂あやめ 父親がいない1人娘を持つシングルマザーが事件内容でPTSDに


桂あやめさんは神戸出身1964年生まれ。高校中退後、1982年に5代目桂文枝に入門し、桂花枝(かつら はなし)として落語家をスタート。1992年に3代目桂あやめ襲名の許可をもらい、1994年に襲名しました。

両親は、1995年1月17日の阪神・淡路大震災で母親が亡くなりました。父親は体調を崩し、桂あやめさんが引き取って面倒をみました。

■結婚

桂あやめさんは1988年24才の時に結婚。旦那は4才年上照明技師でした。
ちょうどそのころは、若手の登竜門「漫才・落語の新人コンクール」で最優秀新人賞に輝き、落語家としてブレイクしようという時期でした。
なので、桂あやめさんは落語家と主婦を選ぶよう迫られ、旦那と義母は子供ができたら落語家を辞めるだろうとたかをくくっていましたが、本人は子供ができても落語家をやめるつもりは全くありませんでした。

そのころが原因なのかわかりませんが、結婚3年目の1991年に離婚してバツイチになります。結局、子供もできませんでした。

離婚翌年の正月に「スナックママ4人連続殺人事件」の犯人・西川正勝に殺されかけます。

■娘を出産しシングルマザーに

2001年の大晦日、桂あやめさんは妊娠が発覚。しかし子供の父親とは、相手の家族の反対にあい結婚できませんでした。それならシングルマザーとして育てようと決意し、2002年、桂あやめさんは38才で長女を出産します。娘の父親の名前は公表していないのでわかりません。

現在の娘の年齢は15才くらいでしょうか。

■消えないPTSD

桂あやめさんは1992年に「スナックママ4人連続殺人事件」の犯人・西川正勝に殺されかけて以来、首を絞められる夢にうなされています。

また恐怖心から、人混みや、自宅にくる訪問者に対して、用心深くなりました。 
 

■桂あやめが殺されかけた「スナックママ4人連続殺人事件」の事件内容?


「スナックママ4人連続殺人事件」とは、1991年の年末に起きた連続殺人事件で、犯人は西川正勝。

被害者は
12月12日に兵庫県姫路市の45才スナックママ。
12月21日に島根県松江市の55才スナックママ。
12月26日に京都府京都市の55才スナックママ。
12月28日に京都市の51才スナックママ。
という4人で全員、刃物で首を刺して殺して現金を奪うという事件内容でした。

客がいない深夜に犯行におよび、金を奪って逃げましたが指紋から犯人は西川正勝だとわかり12月30日に指名手配されました。

■桂あやめは「スナックママ4人連続殺人事件」の犯人・西川正勝に殺されかけた


年があけて1992年の正月。
27才の桂あやめさんは当時の名前はまだ桂花枝でした。元旦は師匠・小文枝の自宅で過ごし、1月4日の新年会で匠の前名「桂あやめ」を襲名する許しをいただきました。入門10年目で念願かなったわけです。

「スナックママ4人連続殺人事件」に巻き込まれたのは、その翌日でした。

■殺されかける

桂あやめさんが自宅で二日酔いで寝てるところに「隣に越してきた者です」と男性(西川正勝)が訪ねてきて、まだ電話がないから貸してほしいというので、桂あやめさんは電話機のコードをドア付近まで引っ張り、電話を貸してあげました。

西川正勝は電話を終えると「留守みたいです」を受話器を置きます。すると次の瞬間、桂あやめさんに近づき首を絞めてきました。
首を絞められている間、桂あやめさんは「このまま死んだらあやめの名前はどうなるのだろう」と思いながら、そのまま気絶しました。

意識が戻ると西川正勝がから金はあるかと聞かれ、引き出しから14万円が入った封筒を渡しました。
西川正勝は安心した様子で
「自分は人を殺した」
「捕まるくらいなら死のうと思ってる」
と言い、桂あやめさんは
西川正勝が自暴自棄になり再び首を絞めてはまずいので「死んだらあかん。生きていたらええことありますから」と話しました。

西川正勝は「あんた、ええ人やなあ」「警察に電話するなら10分たってからにしてくれ」と言い残して部屋を出ていったのでした・・。

■犯人の正体は4人殺した西川正勝

西川正勝がアパートの階段を降りる音が聞こえて、桂あやめさんはドアを施錠した瞬間、全身の力が抜け落ちました。放心状態になり、恐怖で体は震え続け、しばらくたってから警察に通報。警察官が駆け付けて電話機の指紋から犯人は「スナックママ4人連続殺人事件」の西川正勝だとわかり、再び恐怖の震えが襲ってきたのでした。

西川正勝は2日後に、別のマンションに侵入して金を奪おうとしましたが、住人に自首を促され、逮捕されました。

■会見で笑いに変えた

桂あやめさんは所属する吉本興業が開いた記者会見で「これまで吉本の芸人の記者会見といえば、たいてい加害者だったのが、被害者としての会見は初めてだとマネジャーに言われました」と語り、自分が殺されかけたことを笑いに変えました。さすが落語家。

ちなみに桂あやめさんが首を絞められても気絶で済んだのは、西川正勝が思いとどまったからではないようです。医者によると「首を左右に動かす落語の稽古で筋肉が鍛えられたおかげで助かった」とのことで、助かったのは落語のおかげで奇跡でした。
 
 

 
 

■「スナックママ4人連続殺人事件」西川正勝死刑囚の生い立ちと画像


西川正勝死刑囚は、鳥取県生まれ。兄弟は姉が4人いる末っ子。

両親は、9才で母親が亡くなり、父親は土木作業員で出稼ぎに出たが、そのまま帰らず行方不明になってしまいました。

中学校に入ると素行が悪く、
・小学生を脅して買物させる
・下級生をいじめる
・窃盗事件を起こす
・女子生徒を暴行する
などいくつも事件を起こして、養護施設や少年院に送られるなど酷い10代を過ごしました。

1974年、18才になると西川正勝死刑囚は鳥取市の26才のスナックママの接客を自分への好意だと勘違いして、男女関係を迫るも抵抗されたため殺しました。これが最初の殺人で、松江刑務所に10年服役しました。

1984年、28才で松江刑務所を出所して松江駅前のパチンコ店に就職。しかし2か月後に強盗致傷事件を起こして、また刑務所戻り。懲役7年の刑に服すことに。

1991年10月、35才で鳥取刑務所の刑期を終えて出所。しかし2ヵ月後「スナックママ4人連続殺人事件」を起こして、翌年1月には桂あやめさんを殺しかけ、逮捕されました。

18才で殺人を犯して刑務所に入ってから17年間、社会に出たのはたった5ヵ月。ほとんど刑務所で過ごした半生でした。

1995年9月11日、大阪地裁で死刑の判決が言い渡されました。しかし死刑執行となるまではここからが長かったです。
弁護側は無罪を主張して控訴。2001年に控訴は棄却され、2005年には最高裁で上告棄却するなど裁判は延々と長引きました。

2017年7月13日、ついに執行が執行されました。

桂あやめさんはやっと、本当の意味で安心したことでしょう。


 
 
 

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP