【市橋達也の過去と現在】両親は?姉は離婚…逃亡生活で家族の人生も狂わせた

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市橋達也の過去と現在に迫ります。市橋達也はイギリス人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)を強姦したあと殺しました。

2年7ヶ月にも及ぶ逃亡生活は、その後自ら手記として本にし、さらには逃亡生活を原作として映画化もされました。

市橋達也が殺人事件を起こし、逃亡生活を送っている間、両親は医者を辞め、姉は離婚するなど家族は人生を狂わされています。もちろん一番の被害者はリンゼイさん自身と遺族ですが。
 

■市橋達也の過去


■プロフィール(画像)


名前:市橋達也
出身地:千葉県~岐阜県育ち
生年月日:1979年1月5日
年齢:事件当時28才、現在39才
家族:両親は医者、姉も医者

市橋達也は小学校時代に母親の実家がある岐阜県に引っ越しました。中学時代はバスケ部の副キャプテンで真面目で明るい性格でした。高校時代は陸上に励み、大学は4浪して22才で千葉大学の園芸学部に合格。

浪人時代から千葉県で1人暮らし。大学時代は庭園デザインを学ぶためにディズニーランドに行き、外人女性に声をかけて似顔絵を描いて連絡先を渡すこともするなど外人好きでした。

※実は大学4年生のとき、市橋達也は窃盗の現行犯で逮捕されています。まんが喫茶で会社員のポケットから落ちた財布を盗みも、気づかれたからです。

26才で大学卒業後、公園やディズニーランドの庭園デザインの仕事をしたくて設計事務所でバイトすると教授に言っていたものの、実際はバイトせず。

親所有の3DKのマンションに棲み、毎月15万円の仕送りをもらい、独学で英語を2年間勉強するという悠々自適な生活をしていましたが、事件直前には仕送り停止を親から言い渡されていました。

■市橋達也 事件概要と動機


■事件概要

2007年3月25日あさ9時、市橋達也は英会話学校「NOVA」英国人講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22才)に頼んで、1時間3500円で駅前の喫茶店で個人レッスンを受けました。

その後「レッスン料を家に忘れた」という理由で自宅に誘い出し、強姦・監禁したあと絞殺。

翌日3月26日、行方不明のリンゼイさんを探しにきた警察が自宅を訪ねてきたとき、振り切って裸足のまま逃走し、2年2ヶ月の逃亡生活のすえ逮捕されました。

■動機は

まず市橋達也がリンゼイさんを自宅に誘った動機は、強姦するため。

玄関で後ろから抱きつくと拒否されたので、廊下にうつぶせに倒して押さえつけ、服を破り、結束バンドで手足を縛り、強姦しました。

その後リンゼイさんを自宅に監禁し、拘束を解くようリンゼイさんが要求すると殴りました。

3月26日深夜2~3時頃、リンゼイさんが拘束を解いて逃亡しようと騒いだので、市橋達也が口をふさいで腕を首に巻きつけて阻止しようとしたころ、窒息死しました。

つまり殺した動機は、リンゼイさんが逃げようと騒いだから。

夕方に園芸用の砂を買ってきて、取り外しが可能な浴槽にリンゼイさんの遺体を入れて、ベランダに運んで土砂を入れて遺棄しました。

■市橋達也 彼女がいた


市橋達也は当時、交際中の彼女がいました。

当時、彼女から市橋達也の自宅に泊まりに行きたいと連絡があったので、市橋達也は3月26日深夜0:38にメールで「1週間部屋にこもって勉強する。悪いけど電話は取らない。メールはOK」と返信します。

市橋達也は部屋にこもって勉強するタイプだったので彼女は特に不審には思いませんでした。

その後、市橋達也は警察から逃げた際、彼女は車を持っていたので一緒に逃げるつもりで、公衆電話から電話しましたが話し中だったのでそれはあきらめています。

もし電話が通じていたら、彼女が通報したか、一緒に逃走したかもしれません。

■市橋達也 逮捕までの逃亡生活(内容は本や映画にもなった)


市橋達也は自宅で警察から逃げて以来、2年7ヵ月もの間、逃亡生活をしていました。その内容は逮捕後に手記として本や、映画化もされています。

■自分で顔に整形手術

2007年3月26日、市橋達也は千葉県市川市福栄の自宅を訪ねてきて警察から逃亡し、しばらくは近所の物陰に隠れていました。その時、警察に見つかって羽交い絞めにされますがまた逃亡。所持金は5万円。

その後、市川市から上野経由で秋葉原へ行き、トイレで自分で顔を整形手術を行います。ホクロをカッターで切り落とし、下唇をハサミで切って小さくし、顔を変えることに成功。

画像引用:映画『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』

■関東→静岡→青森→大阪→四国

その後、市橋達也は埼玉・群馬・茨城など北関東をウロウロしたあと、熱海を経て静岡県の駿河湾付近まで南下。

すると今度は、静岡県から東京、新潟を経て青森県に移動し、青森駅前公園で約1週間寝泊りしましたが、生活費を稼ぐために大阪へ移動。

大阪市西成区のハローワークへ行きますが仕事はなく、岡山を経て四国へ。

四国では反省の意味を込めて、香川県高松市から徒歩で徳島→高知→愛媛のお遍路を歩きました。

■2008年、島で自給自足の生活

しかし市橋達也はお遍路の途中、無人島暮らしを思いつき、フェリーに乗って沖縄県のオーハ島へ。オーハ島と大阪のの建設会社で偽名で住み込み労働を往復する生活が始まりました。

※建設会社はのちに市橋達也だと気づき通報しています。

オーハ島では魚・蛇・ヤシガニを食べたり、野菜を栽培する自給自足の生活を送り、当時はそのまま島で死ぬ気でいました。当時、オーハ島でほかの住人は老人1人だったようです。

また、2008年に春に千葉県の自宅付近に行き、卒業論文のテーマだった東京ディズニーランドを訪れています。

■2008年、顔の整形手術

2008年10月23~24日には、住み込み労働で貯めた資金を使って、名古屋市内の美容形成外科で顔の整形手術を受けました。

※この時、美容形成外科は市橋達也に気付きませんでした。すでに自分で整形手術して顔が違っていたからです。

 

 

■整形した病院から通報され顔写真公開

2009年11月5日、顔の整形手術を行った名古屋市内の美容形成外科が、患者のカルテを整理中に、男性にしては珍しいホクロ除去をしていたこと不審に思い、市橋達也だと気付いて通報。そして警察はその顔写真を公開しました。

ここから市橋達也はおいこまれていきます。

↓顔の画像。左が整形前、右が整形後(自己整形&病院での整形)です。一重が二重に変わり、鼻が高く、下唇が薄くなっていました。


 

■逮捕 

2009年11月10日、神戸市東灘区の六甲船客ターミナルで、市橋達也だと気付いて通報。

船の到着地の大阪南港フェリーターミナルで先回りした警察についに逮捕されました。

■逃亡生活を本にした

2011年1月26日、市橋達也は逃亡生活をまとめた「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」出版。

本で得た収入はすべて亡くなったリンゼイ・アン・ホーカーさんの遺族への弁済に充てるためで、2011年7月時点で印税1100万円となりましたが、遺族は「娘を殺したことをネタに金儲けをしている」とむしろ怒って受け取りを拒否。

本には遺族が金を受け取らない場合、印税を公益に代えるといった内容が記載されていました。

■逃亡生活が映画化された

2013年、市橋達也の本「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」を原作として、ディーン・フジオカさん監督・主演で映画「I am ICHIHASHI 逮捕されるまで」が制作されました。

 

■市橋達也 判決は死刑じゃなかった


裁判での起訴内容は、殺人罪・強姦致死罪・死体遺棄罪でした。リンゼイ・アン・ホーカーさんの遺族も裁判員制度を利用して裁判に参加しています。

弁護側は「殺すつもりはなかった」と殺意を否定し、傷害致死罪と強姦罪だと主張。

遺族は市橋達也には反省が見られないとして死刑を求めましたが、前科なしで犠牲者が1人なので、検察は死刑でなく無期懲役を求刑。

2011年7月21日、第一審で無期懲役の判決が言い渡されました。

市橋達也は不満げに東京高等裁判所に控訴しましたが、2012年4月11日に控訴審で棄却され、上告しなかったので無期懲役の判決が確定しました。

■市橋達也 現在の顔は?(画像)


市橋達也は現在、刑務所で服役中。2012年から数えて今年で服役生活6年目です。

現在の年齢は、1979年1月5日生まれなので39才です。

現在の顔は、整形後(右の画像)と同じかと思われます。

■市橋達也 両親の現在


市橋達也の家族構成は、両親と姉の5人。

両親は、リンゼイ・アン・ホーカーさんの遺族の来日費用を肩代わりしたり、遺族に土下座した謝罪したそうです。

■父親の現在
両親が住む実家は岐阜県で、父親は名古屋の一宮病院で外科医部長を務めていましたが、市橋達也が指名手配されたあと辞めています。

現在もどこかの病院で医師をしているという噂がありますが、詳細は不明です。

■母親の現在
母親は歯科医でしたが、やはり市橋達也が指名手配されたあと辞めています。

現在は岐阜県の実家で暮らしているようです。

■姉の現在
姉も医者で、結婚していましたが、市橋達也が殺人を犯したことで離婚されました。

家族が大変な事件を犯したことで、両親・姉はみな人生を狂わされたことがわかります。
 
 

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