【オーストラリア少女誘拐事件】ナターシャカンプシュと犯人の現在「動機がクレイジーすぎた」

「オーストラリア少女誘拐事件」とは、1998年に10才の少女ナターシャカンプシュさんが犯人に誘拐され、8年間(3000日以上!)虐待監禁された事件。

犯人から身代金要求もなく警察はナターシャカンプシュさんの行方の手がかりもつかめず、国民は母親が娘を殺した犯人だと疑ったほど。

誘拐され実は地下室に監禁されていた彼女は、どうやって脱出したのか?

その後、犯人はとった行動や、動機にも驚きです。

「オーストラリア少女誘拐事件」はその後、ナターシャカンプシュさんが自伝「3069」を出版し、映画化もされました(動画あり)

10代の8年間を奪われたナターシャカンプシュさんは現在どのような想いでどんな暮らしをしているのでしょうか
 
 

 
 

■「オーストラリア少女(ナターシャ・カンプシュ)誘拐監禁事件」とは?


当時ヨーロッパでは児童ポルノや臓器売買の目的で子供が誘拐され、殺される事件があり、テレビでも報じられていました。しかしナターシャカンプシュさんは自分はぽっちゃり体型だし髪がブロンドじゃないので、狙われるとは思っていなかったのです。

母娘2人暮らしのナターシャカンプシュさんは、誘拐される前夜に母親と口喧嘩。まさか翌朝に誘拐されるとは・・・

■10才で誘拐された

1998年3月2日
オーストリアのウィーン
ナターシャカンプシュさん10才は登校中、いきなり白いバンに押し込められ誘拐されました。犯人は通信技術者ウォルフガング・プリクロピル(当時36才)

犯人プリクロピルは、自宅のガレージ下に掘った地下室にナターシャカンプシュさんを監禁。広さは僅か6平方mで窓もなく、防音なので助けを呼ぶ声も外には聞こえません。

少女誘拐の犯人は性的虐待するのがパターンですが、特に何もされず食事もきちんと与えられました。

しかし初潮を堺に犯人プリクロピルの態度に変化が

■虐待

一時的に地下室を出ることは許されましたが、寝る時と、犯人プリクロピルが仕事に出かけるときは地下室に監禁され「ドアや窓には爆弾が仕掛けてある」「逃げたら銃で撃つ」と脅されました。

家の中では犯人の1m後ろを歩くよう強制され、暴行を受け歩けなくことも。

食事はほんの少ししか与えられず空腹に苦しみ、寝るときは手錠をはめられ、髪の毛を坊主にされ、家事も強要されました。

「家族は身代金の支払いを拒否してる」「家族はお前を厄介払いできて喜んでる」「家族はお前のことを忘れてる」と犯人プリクロピルは希望を打ち砕く言葉を浴びせました。

それでも犯人プリクロピルは性交を強要しませんでした。キスや愛撫はしてきても、強姦することはありませんでした。

■一方で外出や勉強も

毎日同じ繰り返しでした。
朝食は犯人一緒に食べる。
虐待される一方で、犯人が仕事に出かけると、本や新聞を読んだり、テレビやラジオを見聞きして勉強する自由はありました。

本やビデオを見て編み物や料理を独学で学び、家事に活かしました。

■16才

しかしナターシャカンプシュさんが思春期を迎えた後は、犯人プリクロピルは強姦を繰り返しました。

虐待は続き16才になっても体重は僅か38kg。いつも空腹で衰弱させて逃げる気力体力を奪われていました。

ナターシャカンプシュさんは孤独のあまり、犯人プリクロピルと少しでも長く一緒に過ごしたいと思うようになります。犯人は帰宅すると、親が子供にするようにお休み前のお話や、お休みのキスをしてくれるよう頼みました。自分は普通の生活をしているんだと思い込もうとして。

■18才

ナターシャカンプシュさんは「18才になったら自立する」と決心していました。

2006年夏8月23日
ナターシャカンプシュさんが庭で犯人の車を掃除中、携帯電話に出るため犯人が少し離れた隙をついて、掃除機を置いて走って逃げたのでした。

8年間(3,069日間)の監禁生活から解放された瞬間でした。

■保護された

ナターシャカンプシュさんは通行人の3人家族に警察を呼ぶよう頼みましたが、なんと拒否され

今度は民家に行って助けを求めますが「なぜ他の人もたくさんいるのに私なの?」と、またもや通報を拒否されますが、最終的には警察を呼んでくれて無事保護されました。

信じられない話ですが、皆、自分が面倒なことに巻き込まれるのが嫌だったのでしょう

警察に身元確認をされたナターシャカンプシュさんの体はやせ細り、顔は青白く、体重は誘拐された当時とほとんど変わらない48kgでした。
 
 

 
 

■「オーストラリア少女(ナターシャ・カンプシュ)誘拐監禁事件」警察のずさんな捜査


誘拐されてから解放まで8年もかかってしまったのは警察のずさんな捜査にも原因がありました。

10才のナターシャカンプシュさんを犯人が白いバンに押し込める様子は、12才の子供が目撃しており、警察は776台のバンを大捜索。

実はその中に犯人プリクロピルの白いバンもあったのです。自宅は、ナターシャカンプシュさんの自宅から30分の場所にありました。

警察は誘拐から3カ月後に尋問しているのですが、プリクロピルの主張を真に受けて信用し、逮捕しませんでした。

警察は国外にも捜索の輪を広げましたが、手がかりはなく、なんと母親が娘を殺害したのではと国民から疑われる事態にまで発展。

そうして8年が過ぎてしまったのでした。

■「オーストラリア少女誘拐監禁事件」犯人プリクロピルのその後、現在は死亡


ナターシャカンプシュさん(当時18才)が逃げた数時間後、犯人プリクロピル(当時44才)はウィーン北駅の近くで列車に飛び込んで死んでしまいました。

犯人プリクロピルはその数年前「生きて逮捕することはない」と語っており、その言葉通りに。

■生い立ち

犯人プリクロピルの生い立ちは、コニャックのセールスマンの父親と靴の販売員の母親にもとに生まれた一人っ子ということくらいしかわかっていません。

マザコンだったそうで、あまり親に愛されなかったのかも。

■犯人の動機

動機は「完璧な世界」を目指したから。少女を誘拐して、服従させて自分の理想の夫婦生活を手に入れたかった。

しかし誘拐して理想の夫婦生活など無理な話です。

ナターシャカンプシュさんによると「私を殴り、地下室に閉じ込め、餓死寸前まで追い込んだ男が求めていたものは、誰かに抱きしめてもらうことだった」と語っています。

■ナターシャはストックホルム症候群に

ナターシャカンプシュさんは犯人プリクロピルが死んだと聞かれたとき、被害者なのに「かわいそうな人」と泣いてしまいました。

誘拐犯と長く一緒に過ごし過ぎたため、犯人と一体感を持ってしまう「ストックホルム症候群」に陥ったようです。
 
 

 
 

■「オーストラリア少女誘拐監禁事件」被害者ナターシャその後、現在は



名前:ナターシャ・カンプシュ
生年月日:1988年2月17日
年齢:現在30才

ナターシャカンプシュさんは解放から5日後に発表した声明文が大きな反響を呼びました。

「基本的に、誘拐されたことが元で、何かを失ったという気持ちは感じられない。むしろ、タバコとかアルコールをおぼえずにすみ、また不良ともつきあわずにすんだ」

プリクロピルに対する強い怒りや恐怖は見られず、それどころか反対に「彼は私の人生の一部だった」、「だから、私はある意味で彼の死を悼(いた)んでいる」

犯人プリクロピルを批判するどころか、肯定的に捉えたからです。

■22才で大学を卒業

ナターシャカンプシュさんは不安定な精神を抱えながらも、社会に適応しようと努力し続け、高校教育を受け、2010年には22才で大学を卒業しました。

■自伝3096を出版し映画化も

大学を卒業した年の秋、解放から5年後となる2010年9月には、監禁生活をつづった自伝『3,096 Days』を出版しました。

その後、自伝『3,096 Days』は映画化もされました。

■病院を建てた

翌年2011年には、自伝の印税と全国からの寄付金を使って、スリランカに小児病院を建設しました。

■現在は

ナターシャカンプシュさんは、両親とは疎遠になってしまったそうです。

大学卒業後、金細工の技術を身につけようともしたが続かなかったとか。それでも30歳の現在は、オーストリアのTV局でアナウンサーとして働いています。

26才のころはこんなことを言ってました。

いま一番親しい人物は美容師
「いすに座って、彼女が私の髪を整えてくれているときが一番幸せ」

「自分に起きたことと共存していくために、毎日をポジティブに生きようと努力してる。
気ままな10代の時間はもう取り戻せない。
他の人と話をして、若いときの経験を共有してもらうのがせめてもの慰め」


 
 
 

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