【しくじりから学ぶ】米村でんじろうのWikiにない大学3浪経歴など。嫁の名前や婿なこともついでに紹介

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サイエンスショーが人気の、面白い理科の授業をする先生、米村でんじろうさん(61才)。

そんな米村でんじろうさんのWikiにない大学3浪や、大学に入っても落ちこぼれた、教師になって面白い実験をしてもクレームを受けたなどいくつかのしくじり経歴も紹介します。

嫁の名前や、じつは婿なこともついでに紹介します。

米村でんじろうさんは、数々のしくじりをしていますが、結果的にそれらを乗り越えて成功しています。
そういった人生のしくじりから教訓を学びたいと思います。
 
 

 
 

米村でんじろう 本名、年齢


米村でんじろうさんの本名は「米村傳治郎」といいます。読み方は同じです。
珍しい漢字を使う本名なので、わかりやすいように平仮名にしたのでしょうね。

1955年2月15日生まれの現在61才です。

米村でんじろう 結婚や嫁、家族について


米村でんじろうさんは大学在学中に、現在の嫁である律子さんに出会っています。
嫁の律子さんも旦那と同じく大学で教員免許を取得したようです。

米村でんじろうさんはしばらく無職だったので嫁の律子さんが働いて支えたそうです。
なんだか芸人の嫁みたいですね。
ちなみに「米村」という苗字は、嫁家の苗字で、でんじろうさん家の苗字は「戸谷(とや)」です。
なので、でんじろうさんは婿さんということになります。

米村でんじろう 出身の田舎町で自然科学を満喫


千葉県市原市の出身です。今は開発が進んで道路も舗装されていますが、当時は山奥の田舎町でした。
魚とりや虫取り、山菜とりを楽しみ、夜空はとてもきれいでした。
遊び道具はゴムパチンコがエスカレートして火縄銃になったんだとか。

■理科の実験大好き

そんな自然の遊びの中、学校の理科の授業とNHKの実験番組が、自然科学を教えてくれました。
理科の授業での工作や実験が大好きで、成績も他は2~3なのに理科だけは5でした。

■中2から理科の実験が減った

ところが中学2年くらいから理科の授業で実験の回数が減り、テスト勉強には興味がやる気が出ませんでした。
一生懸命になれるのはやりたいことだけという素朴な少年でした。宿題もやっていません。

■15才で大阪万博

しかし15才の頃に大阪万博があり、宇宙旅行やロボットに出会い、将来は科学者や技術者になりたいと憧れを抱きます。

米村でんじろう 高校から大学へ。しかし3浪【しくじり】


高校は千葉の県立市原市高校の普通科に進みました。
当時は普通科の高校に行ったら大学に行くのが普通だったのででんじろうさんも大学に行きたいと思いました。
大好きな理科系を志望したものの、一期校の旧帝大系に歯が立たず、3浪して二期校だった東京学芸大学の理科教育科に進学しました。

■教師になる気はなかった

理科教育科にしたのは、入れそうだったからです。
教師になる気は全くありませんでした。
 
 

 
 

米村でんじろう 大学で落ちこぼれる【しくじり】をパソコンが救う


大学2年までは勉強についていけたものの、3年からは専攻していた物理学で相対性理論や量子学になり、ついていけなくなりました。
好きな物理の勉強が分からないことがコンプレックスになり、落ちこぼれて単位も落としていきます。

■卒業したくて研究室に【成功】

しかし卒業はしたい理由で研究室に入り、パソコンにハマります。
お金も彼女もないが時間があったので毎日パソコンをいじっているうちに、研究室で一番使えるようになりました。
そして先生からプログラミングを頼まれるほどになり、でんじろうさんは自信を取り戻しました。

■社会に出たくなくて大学院に

大学院に行ったのは、社会に出たくないからという理由が半分以上です。
大学院で理科教育専攻科を2年で修了します。

■大学院のあとまた3年【しくじり】

大学院で修了したあと、今度は研究者になるべくドクターコースのある大学院を受けますが、落ちます。
受けては落ち、受けては落ちで、結局大学受験3浪のときのように3年がたちました。

米村でんじろう 29才で社会で出る


でんじろうさんは29才でやっと社会人になりました。
ドクターコースは落ちているので研究者への道は見えず、就職するには年を取り過ぎで、不安になります。
そんななか、科学の楽しさを伝える理科の先生になるのもいいかもと思い、教員採用試験を受けて、都立高校の物理の先生になります。

■面白い実験・授業を発案【成功】

その都立高校は素行の悪い荒れた高校で、誰も授業を聞きません。
そこで米村でんじろうさんは、生徒の興味をひくため何か面白いことをしようと考えました。
・みんなに手をつながせて静電気で軽く感電させてみる
・外に連れ出し、野山の草花や椎の実をビーカーで茹でて食べさせる
といったものです。
次第に生徒たちが面白がって興味を抱いて、能動的になってくれました。
この高校では8年間教えました。

■進学校に異動して行き詰る【しくじり】

都立高校のあと進学校に異動します。
3年がたった頃、授業以外にも部活・修学旅行・生活指導などをしなければいけない先生の仕事に違和感を覚え、行き詰りました。
・実験で生徒がケガしたら大変
・くだらない実験より成績アップの授業を優先して
などクレームやバッシングも相次ぎました。
また、都立高校時代からNHKの実験番組で助手やアドバイザーをしていたこともあり、教師以外で科学の仕事ができないか模索します。

■教師を辞める

39才の始業式のあと、校長に辞職を伝え、あっさり承諾されます。
40才で、安定した公務員を捨てて、フリーランスになったわけです。食べていける見通しもないのに。

米村でんじろう 教師を辞めたら勝手に周りが動いた【成功】


米村でんじろうさんが教師を辞めると、なぜか勝手に周りが動いたといいます。
「面白い授業をする先生がいる」ということで、ドキュメタリー番組が取り上げて大きな話題となりました。
それをきっかけに問い合わせが殺到して、テレビ出演やサイエンスショー、講演を行うことになりました。

米村でんじろうさんは
・小学・中学・高校で理科以外勉強をしなかった
・大学受験で3浪した
・大学で落ちこぼれた
・大学院ドクターコースで3浪した
・研究者になれなかった
など、しくじりがありますが、それを乗り越えて、
・大学でパソコンが得意になった
・面白い授業をする理科の先生になった
などして、現在のサイエンスプロデューサーになりました。

サイエンスプロデューサーになってからは、仕事は一切断らず請けました。
フリーランスなので、一度断ると次がなくなる不安があるからです。
しかしそれが功を奏して、なんでも引き受けることで仕事の幅も広がっていきました。

米村でんじろうさん曰く、人生はシミュレーションしても思い通りにはならないので、人生の方向性をひとつに決めないほうがいいと言っています。
もし米村でんじろうさんが強すぎる信念を持っていたら、フリーランスになったあと仕事を選んで断ってしまい、今の自分はなかったというのです。確かにそうでしょうね。
 
 

教祖も描いた吉野朔実、大学卒業後デビューした漫画家のピリオドは病気だった

漫画家の吉野朔実(よしのさくみ)さんが4月20日に死去していたことがわかりました。
享年57才でした。
吉野朔実さんの死因は病気だということですが、何の病気かは発表されていません。

吉野朔実さんは短期大学卒業後に「ウツよりソウがよろしいの!」でデビューしました。
代表作には、「少年は荒野をめざす」「ジュリエットの卵」などがあります。

「吉野朔実劇場」という本にまつわるエッセイ漫画を「本の雑誌」に連載中でしたが、漫画では2004年~2014年に月刊IKKIに連載した「Period(ピリオド)」が最後の連載漫画でした。

最期の漫画が「Period(ピリオド)」だったのいうのは、皮肉なのか、それとも吉野朔実さんは死期を予感していたのでしょうか?なにかしら病気の兆しを感じていたのかもしれません。
 
 

 
 

吉野朔実 経歴・プロフィール


吉野朔実さんは大阪府出身の1959年2月19日生まれ、O型でした。
父親の転勤によって、熊本県や東京ほか転々と過ごしました。

■大学

大学は、短期大学を卒業しています。

■デビュー

1980年21才の頃、少女漫画誌「ぶ~け」に、作品「ウツよりソウがよろしいの!」でデビューしました。

■代表作

少女漫画誌「ぶ~け」1985年から掲載した「少年は荒野をめざす」「ジュリエットの卵」が代表作です。
「少年は荒野をめざす」は、自分を男性だと思っている文学少女の物語。
「ジュリエットの卵」は双子の兄弟の物語です。

■作風

「ぶ~け」で活躍した「純情クレイジーフルーツ」松苗あけみさんや、青年漫画家の山本直樹さんの影響を受けたことをコメントしています。
 

吉野朔実 教祖


吉野朔実さんをネット検索するキーワードに「教祖」と出てきます。
ただこれは吉野朔実さんが教祖と崇められているわけではないようです。

吉野朔実さんの作品では、教祖が題材になることがあるようです。

例えば、1993年~1994年の作品「Eccentrics(エキセントリクス)」には教祖が出てきます。カウンセラーの鹿島先生が「教祖様」扱いされたりなどです。

2003年の作品「透明人間の失踪」収録の「霜柱の森」の主人公は小学生ですが、彼は新興宗教の教祖様にされようとしています。
 
 

 
 

吉野朔実 period(ピリオド)


吉野朔実さんが2004年~2014年に月刊IKKIに連載した「Period(ピリオド)」は、幼い2人の兄弟と父親の物語です。

主人公は二人の幼い兄弟、迥(ハルカ・兄)と能(ヨキ・弟)。母親は家を出たまま戻らず、兄弟は父・戒人と3人暮らし。冷徹な大学教授である父は、毎日のように兄弟に理不尽な暴力をふるい、二人はそれに耐える日々を送っていた。しかしそんな父は、“ある事故”を境に、別人のように穏やかになり、その後、入退院を繰り返すようになる。やがて父は二人を我が手で育てることを断念し、家を売って金を作る。そして、その金を預けた貸金庫の鍵を迥に託し、一人、終わりのない入院生活に入った――。父の“影”に支配されつつ二人で生きる兄弟、そして出会った仲間たちの流転する運命の物語が、連載開始から11年を経てついに完結!!

引用:http://csbs.shogakukan.co.jp/

「テルマエ・ロマエ」の漫画家ヤマザキマリのツイッター


ネットの反応


 
 

【リオ五輪サッカー】組み合わせと日程表はこちら「厳しい気候と移動距離との闘い」

4月14日にリオ五輪サッカーの組み合わせ抽選会があり、組み合わせと日程がわかっています。

組み合わせ抽選の結果、日本はスウェーデン・コロンビア・ナイジェリアと同じB組です。

ちなみに男子サッカーは年齢制限があるので、今年24才以上のオーバーエイジ枠は1チーム3名までです。
 
 

 
 

リオ五輪 サッカー 組み合わせと出場国


出場国は計16か国です。4つのグループに分かれてグループステージで試合をし、それぞれのグループの中の上位2チームが決勝トーナメントに進出できます。

日本はグループBで、スウェーデン・コロンビア・ナイジェリアと同じ組です。

■リオ五輪 サッカー 組み合わせと出場国

■グループA
・ブラジル
・南アフリカ
・イラク
・デンマーク
■グループB
・スウェーデン
・コロンビア
・ナイジェリア
日本
■グループC
・フィジー
・韓国
・メキシコ
・ドイツ
■グループD
・ホンジュラス
・アルジェリア
・ポルトガル
・アルゼンチン

リオ五輪 サッカー 日程


リオ五輪のサッカーは、8月4日(木)に開幕し、決勝戦は8月20日(土)です。

日本が属するグループBは、厳しい気候と移動距離との闘いでもあります。
最初の2試合が平均最高気温33度!の「マナウス」というブラジルの北部にある都市で開催されます。
そして3試合目は「サルヴァドール」というブラジル北東部で、「マナウス」からは6時間の移動距離となります。

■リオ五輪 サッカー 日程

8月4日(木)21:00【マナウス】
 ナイジェリア VS 日本
8月7日(日)21:00【マナウス】
 日本     VS コロンビア
8月10日(水)19:00【サルバドール】
 日本     VS スウェーデン
8月13日(土)準々決勝
 16:00【サルバドール】
  グループB1位 VS グループA2位
 22:00【サンパウロ】
  グループA1位 VS グループB2位 
8月17日(水)準決勝
 13:00【リオデジャネイロ】
 16:00【サンパウロ】
8月20日(土)決勝戦・3位決定戦
 13:00、17:30

  
 

 
 
■リオ五輪 サッカー 日程表
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引用:http://univer.net/olympic/schedule.html
>>★PDFで見る

初戦はナイジェリア戦です。
身体能力は驚異的で、しなやかさ・バネなども活かしたサッカーを展開します。
集中力が欠けることと気性の荒さが弱点です。

リオ五輪 サッカー 日本の対戦相手


スウェーデンは、欧州予選をトップで勝ち抜いてきた力強さがあります。
五輪出場は1992年のバルセロナ五輪以来です。
欧州選手権との兼ね合いで微妙ですが、ストライカーのイブラヒモビッチ選手が出場したら脅威です。
【6大会ぶり10回目】
【1948年ロンドン優勝】

ナイジェリアは、U-23アフリカ選手権を出場国最多の5試合8得点で制覇してリオ五輪出場を決めました。
5得点を挙げたのは、MFオグヘネカロ選手です。主将は最優秀選手に選ばれた18才のDFアズブイケ選手。
1996年アトランタ五輪を制覇し、2008年北京五輪は準優勝しました。
【2大会ぶり7回目】
【1996年アトランタ優勝】

コロンビアは、南米予選2位、対アメリカの大陸間プレーオフを勝ち抜いてきました。
五輪は6大会ぶりなので、モリベーションは半端じゃなさそうです。
【6大会ぶり5回目】
【五輪は過去4大会1次リーグ敗退】
 
 

【64ネタバレ】ロクヨンは実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」を元に作られた?共通点や理由を調査

小説家の横山秀夫さんによる傑作ミステリー「ロクヨン」(64)は、実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」を元に作られたといわれていますが、本当なのでしょうか。

調べていくと、たくさんの共通点がありました。
また、横山秀夫さんの経歴からも、「ロクヨン」(64)は、実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」をモデルにしていると思われることがわかりました。
 
 

 
 

功明ちゃん誘拐殺人事件


1987年(昭和62年)

■9月14日(誘拐される)

群馬県高崎市の荻原光則さん(43才)の長男の功明ちゃん(5才)が、自宅の前にある神社に遊びに行ったきり居なくなりました。
夜、家族は捜索願いを出しました。

■犯人から1回目の電話
そのあと「身代金2000万円を渡さなければ殺す」と電話があり、功明ちゃんが誘拐されたとわかります。
犯人は男性で中年のような声でした。
また、犯人から捜索願を取り消すよう指示があり、そうしました。
■2回目の電話
荻原光則さんの弟で警察官の正規さんが犯人と話し、2000万円という大金はなく、翌日は敬老の日なので金融機関が休みであることも伝えます。
■3回目の電話
誘拐された功明ちゃんが電話に出て、元気なことが確認されました。

■9月16日(遺体発見)

■4回目の電話
今度は犯人から夕方までに、金額が減って1000万円の要求がありました。
また電話するということで電話が切られましたが、電話はかかってきませんでした。
しかし荻原光則さんはなんとか1000万円を用意しました。

■功明ちゃんの遺体見つかる
結局、犯人からの電話はないまま、午後に功明ちゃんの遺体見つかりました。
自宅から5kmの距離にある寺沢川です。
検視の結果、死亡推定時刻は15日のAM10:00なので、4回目の電話の時にはすでに功明ちゃんは殺されていたのです。
功明ちゃんは生きたまま川に投げ落とされ、顎を骨折し、砂や水を飲みこんで窒息死でした。

■犯人は?

犯人は捕まっていません。
「功明ちゃん誘拐殺人事件」は戦後に起きた身代金目的の誘拐殺人で、唯一の未解決事件です。
そのまま2002年に時効になりました。

■逆探知に不慣れだった警察

群馬県では本格的誘拐事件はこれが初めてで、警察は逆探知に不慣れでした。
2回目の電話には準備が間に合わず、逆探知をしたのは3~4回目です。
NTTとの連携も下手で途中で逆探知を解除したりと、ちぐはぐでした。
逆探知でわかったのは、群馬の長野局管内からかけられたということだけです。
 
 

 
 

ロクヨン「昭和64年の翔子ちゃん誘拐殺人事件」


ロクヨンが実話をもとにしたといわれる理由は、物語の中の「昭和64年の翔子ちゃん誘拐殺人事件」が「功明ちゃん誘拐殺人事件」に似ているからです。

昭和64年1月1日、7才の雨宮翔子ちゃんが誘拐されて、身代金2000万円を要求されます。
翔子ちゃんの父親が2000万円を車で持っていき、警察は尾行するのですが、身代金は奪われてしまいます。

1月7日、翔子ちゃんは遺体で見つかりました。

「昭和64年の翔子ちゃん誘拐殺人事件」は通称ロクヨンと呼ばれ、2002年が時効でした。

ロクヨンと実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」の共通点


事件の起きた年は昭和62年と64年という違いがあるものの、
ロクヨンと実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」の共通点があります。
・県警
・幼い子供が誘拐される
・身代金2000万円
・子供が殺され川で見つかる
・誘拐から1週間以内で殺害
・犯人が捕まらず未解決事件
・時効が2002年
といったものです。

比較表

  ■ロクヨン ■功明ちゃん誘拐
年  昭和64年 昭和62年
県警 D県警  群馬県警
幼い子供 翔子ちゃん7才 功明ちゃん5才
身代金 2000万円 2000万円
遺体発見
1週間以内で殺害 7日後発見 2日目に殺害
時効 2002年 2002年

ロクヨンが実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」だといわれる理由は他にも


ロクヨンが実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」を元ネタにしているいわれる理由は他にもあります。

理由1.横山秀夫 記者時代に起きた事件だった

作者の横山秀夫さん(59才)は、1979年22才頃に上毛新聞社に入社し、記者として12年間、34才頃まで勤務しました。

実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」は、記者歴8年目の1987年(昭和62年)に起きています。
新聞記者として取材に関わったか、そうでなくても仕事柄、強い関心を持った可能性があります。

理由2.時効の2002年が物語の舞台

また、実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」は2002年に時効となっていますが、小説「ロクヨン」では、事件から14年後の2002年が舞台となっています。

こういったことから、ロクヨンは実話「功明ちゃん誘拐殺人事件」を元ネタにしているといわれています。