【グラチャンバレー2017女子】メンバー画像とプロフ「コスプレ趣味などプライベート暴露で親近感」

【スポンサードリンク】

「グラチャンバレー2017」で世界一を目指す女子メンバーたちの画像とプロフィールを紹介します。

それぞれの女子メンバーがバレーで何が得意なのかなどに加え、コスプレ趣味などプライベートも紹介するので、親近感がわくかもしれません。

「グラチャンバレー2017」は通称であり、正式名称は「FIVBワールドグランドチャンピオンズカップ2017」です。中田久美監督率いる新生火の鳥日本のメンバーは20人から14人に絞られました。

※当初チームのカギと報じられた宮下遥選手は外れました。中田監督は宮下選手と冨永選手、宮下選手と佐藤選手、どちらかのパターンで考えていたようですが、大人2人を選んだ結果になりました。
 
 

 
 

■グラチャンバレー2017■女子 火の鳥NIPPONメンバー(画像)


グラチャンバレーで世界一を目指す選手たち!

■メンバー一覧(画像)

画像引用:http://www.ntv.co.jp/volleyball/2017/team/
■ウィングスパイカーのメンバー6名

● 4 新鍋 理沙(27才 久光)
生年月日:1990年7月11日
出身地:鹿児島
出身校:宮崎の延岡学園高校
守備力ナンバーワン。超ギリギリのボールでも神業レシーブで救う。
趣味は6才年下の古賀紗理那選手いじり。耳が大きいので「ピッコロ大魔王」のあだ名でいじる。
 
● 7 石井 優希(21才 久光)※次世代エース
生年月日:1991年5月8日
出身地:岡山県
出身校:岡山の就実高校
水卜アナの大ファンでヒルナンデスを見てる。

● 11 鍋谷 友理枝(23才 デンソー)※リオ五輪出場
生年月日:1993年12月15日
出身地:東京都
出身校:大分の東九州龍谷高校
武器はジャンプフローターサーブ。打つ前の独特な姿からついたあだ名は「招き猫サーブ」
可愛い名前とは裏腹に無回転で不規則にブレる(伸びてくるように見えて急に落ちたりもする)サーブは全日本の大きな武器
「招き猫サーブ」の秘密は手首の柔らかさ。手首を曲げたままポケットに入れることができるほど。
佐藤栞里さんのファンで、去年は髪型を真似していた。写真集を買って部屋に大事に置いてある。
いい匂いがしたり清潔で女子力が高い

● 18 内瀬戸 真実(25才 日立)
生年月日:1991年10月25日
出身地:宮崎県
出身校:鹿児島の鹿屋体育大学
身長171cmの長身からスパイクを連発。
趣味は通帳記帳。お金がたまっていくのが嬉しくて給料日にはすぐ通帳記帳。

● 19 堀川 真理(25才 東レ)
生年月日:1992年5月3日
出身地:東京都
出身校:東京の共栄学園高校

● 23 野本 梨佳(25才 久光製薬)
生年月日:1991年9月21日
出身地:愛媛県
出身校:愛媛の聖カタリナ女子高校
ジャンプ力一番のスパイカー。最高到達点3m10cm!


■ミドルブロッカーのメンバー4名

● 5 荒木 絵里香(33才 トヨタ)
生年月日:1984年8月3日
出身地:岡山県
出身校:東京の成徳学園高校
33才で現役バリバリなのも凄いが、ブロックの空中での姿勢と手の出し方がすごい。体幹が強いのでブレナない。真っすぐ飛んで相手のスパイクを囲うように手を出すので、相手はかなり打ちにくい。

● 3 岩坂 名奈(27才 久光)★キャプテン
生年月日:1990年7月3日
出身地:福岡県
出身校:大分の東九州龍谷高校
187cmの長身を活かしたスパイクと、外国人選手のパワーにも負けないブロックが持ち味。しかも相手が空いていると思って打ち込んでもすかさずそこへニョキっとブロックに入る。
初めてのキャプテンとして声を出しチームを盛り上げるが、その分いつも声が枯れてカスカス。

● 9 島村 春世(25才 NEC)※リオ五輪出場
生年月日:1992年3月4日
出身地:神奈川
出身校:神奈川の川崎市立橘高校
鍋谷選手のルームメイトで、鍋谷選手と比較すると女子力は低いらしい

● 13 奥村 麻依(26才 JT)
生年月日:1990年10月31日
出身地:山口県
出身校:東京の嘉悦大学


■セッターのメンバー2名

● 10 冨永 こよみ(28才 上尾)
生年月日:1989年5月1日
出身地:東京都
出身校:東京の下北沢成徳高校

● 12 佐藤 美弥(27才 日立)
生年月日:1990年3月7日
出身地:秋田県
出身校:東京の嘉悦大学
汗っかきなので床をすべると他の選手が汗を拭く。


■リベロのメンバー2名

● 20 小幡 真子(25才 JT)
生年月日:1992年8月15日
出身地:熊本県
出身校:東京の日本体育大学

● 21 井上 琴絵(27才 JT)
生年月日:1990年2月15日
出身地:京都府
出身校:京都橘高校
動きが機敏。身体能力が高く、高校時代スパイカーだったほどジャンプ力もあり、走るにも速い。ボールの落下点に入るのが早く、コートを縦横無尽にさっきあっちにいたのにもうここにいる。
全日本最小162cmだが、チームで一番筋肉がある。スクワットで110kgを持つあげる足の筋肉も。しかも柔軟性があるので、忍者のような動きができる。
趣味はコスプレで、エヴァの綾波レイが一番似合っていた。

 
 

 
 

■グラチャンバレー2017■女子 火の鳥NIPPONの監督



生年月日:1965年9月3日生まれ
年齢:52歳
出身地:東京都出身 出身校:NHK学園高校
●1982年ニューデリー・アジア大会などで指揮した生沼スミエ氏以来、34年ぶり2人目となる全日本女子の女性監督。
●現役時代は長身から繰り出すスピードあるトスワークで天才セッターと呼ばれた。
●中3時の80年、史上最年少の15歳1ヵ月で全日本に選出。五輪は84年のロサンゼルス大会からソウル、バルセロナと3大会連続で出場。ロス大会では銅メダルを獲得した。
●2008年にセリエAのビチェンツァ、09年に同ノバラのアシスタントコーチを務めた。
●帰国後、Vプレミアリーグの久光製薬スプリングスからコーチとして迎えられ、翌12年、監督に就任。
●あくまで勝利にこだわり、「2020年に伝説に残るチームを作り上げたい」

引用:http://www.ntv.co.jp/volleyball/2017/team/

■天才セッター

史上最年少15才で全日本入りし、天才セッターと呼ばれていたが、実は怪我をしても練習に参加するなど努力の人。
体育館の中田久美選手のポジションの床だけはげてた。それくらい一番最後まで練習していた。
オリンピックの直前は、体育館の自分のセッターのポジションに布団を敷いて、ボールを抱いて寝ていた。

■監督しての信念

2017年5月、中田久美監督のもと結成した新生全日本。その練習はとても厳しいです。
「本気で勝とうって何人いる?最初からやり直し!」
練習中、気を抜いたプレーを見ると「待てよ。顔が死んでるよ。いつまでもお客さんが困る」と厳しく指導します。声の小さい選手たちには「こそこそ話が多いので、声を大きく話してほしい」と求めたりも。

しかし試合中は静観し、声をかけることはほとんどない。その理由とは、自分が現役の時に、試合中に1本1本と言われると、すごくやりづらかったから。コートの中でやっている感覚と、外から見ている感覚のズレは絶対あるから。

メンバ-たちが考えることがすごく大事であり、その考える力がないと、五輪の大事な場面で指示まちの選手は絶対に通用しない。だから、あえて言わない。これが監督しての一番の信念です。

■スタイルがいい

中田久美監督は現役引退後、抜群のスタイルを活かしてモデルデビューしています。さらにモデル以外に写真集も出しています。

■グラチャンバレー2017■女子 テレビ放送予定


「グラチャンバレー2017」は女子も男子も全試合、日テレで地上波生放送されます。メインキャスターは元バレー部のお笑い芸人・チュートリアルの徳井義実さん。鍋谷選手が大ファンだという佐藤栞里さんがサポーターです。

BSは「BS日テレ」と「日テレG+」で前回2013は全試合生中継されました。今回2017は「日テレG+」で放送されます。
▶「日テレG+」放送予定はこちら

※Huluでは特定選手カメラなど、テレビ中継を同時に楽しめる生配信を実施!

■全日本女子「火の鳥NIPPON」テレビ放送予定
放送局:日テレ地上波
【東京】東京体育館
9月5日(火)19:00 日本 vs 韓国
9月6日(水)19:00 日本 vs ロシア
【名古屋】日本ガイシホール
9月8日(金)19:00 日本 vs ブラジル
9月9日(土)19:00 日本 vs アメリカ
9月10日(日)18:00 日本 vs 中国

 
 
 

【柔道リオ銅メダル】羽賀龍之介の彼女は角谷か?父親譲り「内股」は世界が恐れる伝家の宝刀!

リオ五輪で銅メダルを獲得した柔道100kg級の羽賀龍之介選手は、日本柔道重量級のホープ。2017年は世界選手権に2度目の出場です。

父親譲りの「内股」は世界が恐れる伝家の宝刀。羽賀龍之介選手は内股を教えてくれた父親は尊敬してやまない存在です。また、兄も柔道家であり兄弟で同じづ道場・学校に通い柔道に励んできました。

しかし羽賀龍之介選手は怪我で低迷した時期があり、ランキングもあげて見事復活したものの、リオ五輪では金メダルを逃し銅メダルに。悔しさからか「態度でかい」と批判を浴びます。

そんな羽賀龍之介選手はイケメンで筋肉も凄いので、彼女が誰だか関心を持たれています。彼女は角谷さんという噂も。
 
 

  
 

■【柔道リオ銅メダル】イケメン羽賀龍之介 プロフィール(画像)


インスタ画像(右が羽賀龍之介選手。イケメンです。)

名前:羽賀 龍之介(はが りゅうのすけ)
生年月日:1991年4月28日
出身:宮崎県
年齢:現在26才
身長:186cm
血液型:O型
所属:旭化成株式会社

階級:100kg級
段位:参段
組み手:左組み
得意技:世界中が恐れる伝家の宝刀「内股」

主な成績
2015世界選手権:金メダル
2016リオ五輪:銅メダル

羽賀龍之介選手が柔道を始めたのは5才の時。2才年上の兄・善之介とさんと一緒に横浜市にある名門道場「朝飛道場」で始めました。同時に、父親から伝家の宝刀「内股」を伝授されています。

小学校時代は6年生で全国大会の団体戦で3位に。

六角橋中学校時代は3年生で全国大会90kg級で3位に。

高校は神奈川の東海大相模高校にに進学。
1年生で、金鷲旗大会で史上初の20人抜き。
3年生のインターハイでは、100kg級をオール1本勝ちで優勝。

東海大学に進学すると、世界ジュニア王者にも輝き、次世代のホープとして期待されていました。しかし・・・

■左肩脱臼で手術、低迷・・

2011年、11月の講道館杯で2連覇したあと、左肩を脱臼。羽賀龍之介選手は2012ロンドン五輪出場も叶いませんでした。

2012年9月に左肩を手術するとリハビリに1年かかりました。
「手術直後ははしも持てないし、手の感覚が一切なかった。もう終わったと思った」

歴史上はじめて、男子100kg級の世界選手権への派遣見送りという屈辱も味わいます。

復帰しても低迷が続き、悔しさをバネに死に物狂いで頑張った1年後、2015年2月の欧州オープンとグランプリ・デュッセルドルフで2連勝してやっと復活の兆しが見えてきました。
圧倒的な強さで強豪選手が集う大会を制し、どんぐりの背比べ状態だった日本の柔道100kg級から頭一つ抜きんでることに成功。

■完全復活!2015柔道世界選手権で金メダル

羽賀龍之介選手は初戦から、得意の内股で強豪たちを次々と負かしていきました。

内股は、95キロ級で講道館杯を制し「内股の名手」と呼ばれた父親・善夫さん直伝「伝家の宝刀」です。

ひたすら内股を繰り出し、ロンドン五輪銅メダル選手も2人撃破し、優勝して金メダルに輝きました。日本重量級復活へ大きく踏み出す金メダルでした。
「結果を残せば全てが報われると思ってやった。気持ちで負けなかった」

■2016リオ五輪で銅メダル

羽賀龍之介選手はリオ五輪で金メダルを目標に掲げ、2016年春には長野五輪スピードスケート500m金メダリスト清水宏保さんから指導を受けて下半身や体幹を鍛えました。

しかし2016リオ五輪では目標の金メダルは獲得できず、それでも銅メダルに輝くことができました。

2017年は2度目の出場となる世界選手権で2個目の金メダルを狙います。

■【柔道リオ銅メダル】イケメン羽賀龍之介 世界ランキング


羽賀龍之介選手の世界ランキングは現在5位。
過去のランキングは
2011年 33位
2012年 45位
2013年 148位
2014年 31位
2015年 3位
2016年 9位

2013年は手術後のリハビリを経て、苦しい低迷が続いた時期。世界ランキングも最低です。しかしその後のランキング上昇率がスゴイですね。2015年は前年31位から3位に飛躍しています。
 
 

 
 

■【柔道リオ銅メダル】イケメン羽賀龍之介 彼女は角谷萌々果?


羽賀龍之介選手はイケメンなので、彼女がいるのか?彼女がいるとしたら誰なのか?と関心が持たれています。

彼女の存在を週刊誌にスクープされたこともないですし、彼女がいると公言もしていないので不明ですが、現在年齢26才ですし、イケメンなので彼女はきっといるでしょう。

ネットでは彼女が、女子レスリング55kg級の注目選手である至学館大学の角谷萌々果さん(22才)ではないかとみられているようですが。

■【柔道リオ銅メダル】イケメン羽賀龍之介 態度でかい


羽賀龍之介選手は「態度でかい」と批判されている部分があります。

「態度でかい」の理由は、リオ五輪で負けた相手選手との握手での態度のこと。

金メダルを目標にしていたのに、負けて銅メダルになったのが相当悔しかったのはわかりますが、相手選手と向き合わずに背中を向けて握手してしまったのです。これは失礼。「態度でかい」といわれても仕方ないですね。

ネットに「態度でかい」と出てるのを、現在はきっと知っていると思うので今後はないように改めてもらえればネットの批判も変わっていくと思います。

■【柔道リオ銅メダル】イケメン羽賀龍之介 筋肉がすごい


羽賀龍之介選手がイケメンなだけでなく、筋肉がすごいと話題です。

身長186cmで背が高く、体重が100kg級ですから、やっぱり筋肉マンです。外国人選手に勝つには筋肉パワーが必要でしょうし。

筋トレはもちろん、長野五輪スピードスケート500m金メダリスト清水宏保さんから指導を受けて下半身や体幹を鍛えています。

■【柔道リオ銅メダル】イケメン羽賀龍之介 父親はコーチ!兄弟で柔道


羽賀龍之介選手の父親は、元柔道選手の羽賀善夫さん。

母親は国体やインターハイで活躍した元競泳選手であり、羽賀龍之介選手は幼少期は水泳も習っていて、県大会に出場し自由形2位の実力でした。

■兄

兄も羽賀善之介さんも柔道家で、年齢は2才年上。
六角橋中学3年生のとき、全日本選抜少年柔道大会の無差別級で優勝!
高校は東海大相模高校、大学は東海大学で、柔道を続け、現在は朝飛道場でコーチを務めています。兄弟そろって柔道を続けてるんですね。

■父

羽賀龍之介選手の父親・羽賀善夫さんは現役引退後の現在、横浜市にある名門道場「朝飛道場」でコーチを務めています。

1987年に講道館杯で95kg級で優勝経験があり、息子の龍之介選手も優勝しているので親子2代での優勝です。

所属も息子と同じ旭化成で、しかしソウル五輪に出場できませんでした。

現役時代は、名門・朝飛道場に通っている息子に、伝家の宝刀「内股」を伝授。

この「内股」の強さの秘密は、相手の一瞬の判断ミスを誘うことであり、相手は「分かっていても防げない」ほどのスゴ技。

羽賀龍之介選手にとって父親は、一番の支えになった人です。壁にぶつかったとき(怪我で手術して低迷した時期)も、父親は何も言わず自主性を重んじてくれたので感謝しているそう。

リオ五輪では父への感謝の気持ちもあり、金メダルを目指しましたが銅メダルに終わり、相当悔しい想いをしました。

次のオリンピックは2020東京五輪ですね。出場して今度こそ金メダルを獲得できるでしょうか
 
 
 

桂あやめの事件内容と西川正勝死刑囚の生い立ちがヤバイ!娘をもつシングルマザーがPTSDに…「スナックママ連続殺人事件」の恐怖

落語家の桂あやめさんは、1992年に「スナックママ連続殺人事件」の犯人・西川正勝死刑囚(画像)に殺されかけた過去があります。その後、娘をもつシングルマザーになるも事件内容が夢に出てPTSDになってしまいました。

「スナックママ連続殺人事件」の事件内容は非常に恐ろしく、当時の世間にも衝撃を与えました。犯人・西川正勝死刑囚の生い立ちも相当怖いものがあります。

桂あやめさんは事件後、父親のいない娘を育てるシングルマザーとなりましたが事件内容を忘れることはありませんでした。2017年7月13日についに死刑が執行され、「安心はするが、亡くなった4人のことを考えると複雑です」と報道陣に対してコメントしています。
 
  

  
 

■桂あやめ 父親がいない1人娘を持つシングルマザーが事件内容でPTSDに


桂あやめさんは神戸出身1964年生まれ。高校中退後、1982年に5代目桂文枝に入門し、桂花枝(かつら はなし)として落語家をスタート。1992年に3代目桂あやめ襲名の許可をもらい、1994年に襲名しました。

両親は、1995年1月17日の阪神・淡路大震災で母親が亡くなりました。父親は体調を崩し、桂あやめさんが引き取って面倒をみました。

■結婚

桂あやめさんは1988年24才の時に結婚。旦那は4才年上照明技師でした。
ちょうどそのころは、若手の登竜門「漫才・落語の新人コンクール」で最優秀新人賞に輝き、落語家としてブレイクしようという時期でした。
なので、桂あやめさんは落語家と主婦を選ぶよう迫られ、旦那と義母は子供ができたら落語家を辞めるだろうとたかをくくっていましたが、本人は子供ができても落語家をやめるつもりは全くありませんでした。

そのころが原因なのかわかりませんが、結婚3年目の1991年に離婚してバツイチになります。結局、子供もできませんでした。

離婚翌年の正月に「スナックママ4人連続殺人事件」の犯人・西川正勝に殺されかけます。

■娘を出産しシングルマザーに

2001年の大晦日、桂あやめさんは妊娠が発覚。しかし子供の父親とは、相手の家族の反対にあい結婚できませんでした。それならシングルマザーとして育てようと決意し、2002年、桂あやめさんは38才で長女を出産します。娘の父親の名前は公表していないのでわかりません。

現在の娘の年齢は15才くらいでしょうか。

■消えないPTSD

桂あやめさんは1992年に「スナックママ4人連続殺人事件」の犯人・西川正勝に殺されかけて以来、首を絞められる夢にうなされています。

また恐怖心から、人混みや、自宅にくる訪問者に対して、用心深くなりました。 
 

■桂あやめが殺されかけた「スナックママ4人連続殺人事件」の事件内容?


「スナックママ4人連続殺人事件」とは、1991年の年末に起きた連続殺人事件で、犯人は西川正勝。

被害者は
12月12日に兵庫県姫路市の45才スナックママ。
12月21日に島根県松江市の55才スナックママ。
12月26日に京都府京都市の55才スナックママ。
12月28日に京都市の51才スナックママ。
という4人で全員、刃物で首を刺して殺して現金を奪うという事件内容でした。

客がいない深夜に犯行におよび、金を奪って逃げましたが指紋から犯人は西川正勝だとわかり12月30日に指名手配されました。

■桂あやめは「スナックママ4人連続殺人事件」の犯人・西川正勝に殺されかけた


年があけて1992年の正月。
27才の桂あやめさんは当時の名前はまだ桂花枝でした。元旦は師匠・小文枝の自宅で過ごし、1月4日の新年会で匠の前名「桂あやめ」を襲名する許しをいただきました。入門10年目で念願かなったわけです。

「スナックママ4人連続殺人事件」に巻き込まれたのは、その翌日でした。

■殺されかける

桂あやめさんが自宅で二日酔いで寝てるところに「隣に越してきた者です」と男性(西川正勝)が訪ねてきて、まだ電話がないから貸してほしいというので、桂あやめさんは電話機のコードをドア付近まで引っ張り、電話を貸してあげました。

西川正勝は電話を終えると「留守みたいです」を受話器を置きます。すると次の瞬間、桂あやめさんに近づき首を絞めてきました。
首を絞められている間、桂あやめさんは「このまま死んだらあやめの名前はどうなるのだろう」と思いながら、そのまま気絶しました。

意識が戻ると西川正勝がから金はあるかと聞かれ、引き出しから14万円が入った封筒を渡しました。
西川正勝は安心した様子で
「自分は人を殺した」
「捕まるくらいなら死のうと思ってる」
と言い、桂あやめさんは
西川正勝が自暴自棄になり再び首を絞めてはまずいので「死んだらあかん。生きていたらええことありますから」と話しました。

西川正勝は「あんた、ええ人やなあ」「警察に電話するなら10分たってからにしてくれ」と言い残して部屋を出ていったのでした・・。

■犯人の正体は4人殺した西川正勝

西川正勝がアパートの階段を降りる音が聞こえて、桂あやめさんはドアを施錠した瞬間、全身の力が抜け落ちました。放心状態になり、恐怖で体は震え続け、しばらくたってから警察に通報。警察官が駆け付けて電話機の指紋から犯人は「スナックママ4人連続殺人事件」の西川正勝だとわかり、再び恐怖の震えが襲ってきたのでした。

西川正勝は2日後に、別のマンションに侵入して金を奪おうとしましたが、住人に自首を促され、逮捕されました。

■会見で笑いに変えた

桂あやめさんは所属する吉本興業が開いた記者会見で「これまで吉本の芸人の記者会見といえば、たいてい加害者だったのが、被害者としての会見は初めてだとマネジャーに言われました」と語り、自分が殺されかけたことを笑いに変えました。さすが落語家。

ちなみに桂あやめさんが首を絞められても気絶で済んだのは、西川正勝が思いとどまったからではないようです。医者によると「首を左右に動かす落語の稽古で筋肉が鍛えられたおかげで助かった」とのことで、助かったのは落語のおかげで奇跡でした。
 
 

 
 

■「スナックママ4人連続殺人事件」西川正勝死刑囚の生い立ちと画像


西川正勝死刑囚は、鳥取県生まれ。兄弟は姉が4人いる末っ子。

両親は、9才で母親が亡くなり、父親は土木作業員で出稼ぎに出たが、そのまま帰らず行方不明になってしまいました。

中学校に入ると素行が悪く、
・小学生を脅して買物させる
・下級生をいじめる
・窃盗事件を起こす
・女子生徒を暴行する
などいくつも事件を起こして、養護施設や少年院に送られるなど酷い10代を過ごしました。

1974年、18才になると西川正勝死刑囚は鳥取市の26才のスナックママの接客を自分への好意だと勘違いして、男女関係を迫るも抵抗されたため殺しました。これが最初の殺人で、松江刑務所に10年服役しました。

1984年、28才で松江刑務所を出所して松江駅前のパチンコ店に就職。しかし2か月後に強盗致傷事件を起こして、また刑務所戻り。懲役7年の刑に服すことに。

1991年10月、35才で鳥取刑務所の刑期を終えて出所。しかし2ヵ月後「スナックママ4人連続殺人事件」を起こして、翌年1月には桂あやめさんを殺しかけ、逮捕されました。

18才で殺人を犯して刑務所に入ってから17年間、社会に出たのはたった5ヵ月。ほとんど刑務所で過ごした半生でした。

1995年9月11日、大阪地裁で死刑の判決が言い渡されました。しかし死刑執行となるまではここからが長かったです。
弁護側は無罪を主張して控訴。2001年に控訴は棄却され、2005年には最高裁で上告棄却するなど裁判は延々と長引きました。

2017年7月13日、ついに執行が執行されました。

桂あやめさんはやっと、本当の意味で安心したことでしょう。