ひちょり森本稀哲の病気は汎発性円形脱毛症 引退についてネットでは「お疲れ様」「さみしいな」の声

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西武ライオンズの「ひちょり」こと森本稀哲外野手(34才)が、現役引退を決めたとわかりました。「ドラゴンボール」のピッコロや「キン肉マン」のラーメンマンに扮するなど奇想天外なパフォーマンスで観客を楽しませてくれましたが、最近は2軍落ちして実力を発揮できずにいました。

また、ひちょり森本稀哲選手といえばそのスキンヘッドが特徴的でもありますが、それは子供の頃にかかった病気、汎発性円形脱毛症が関係しています。病気を克服してもそれをオモテには出さずに明るく振る舞ってきたひちょり森本稀哲選手。

ネットではツイッターなどで、「お疲れ様」とろうを労う声や、盛り上げ役をいなくなって「さみしいな」という声があがっています。
 
 

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ひちょり森本稀哲の病気は汎発性円形脱毛症


ひちょり森本稀哲さんは、小学校の時に汎発性円形脱毛症を患いました。この病気は髪の毛をはじめ体全身の毛という毛すべていきなり抜け落ちてしまい、それきり生えなくなってしまうというものです。

現在は病気を克服したひちょり森本稀哲さんですが、それでもスキンヘッドにしているのは「(病気で苦しんだ)当時の苦労を忘れないため」そして
「この病気で苦しんでいる人に勇気を与えるため」だといいます。

全身がつるつるになっていまう病気「汎発性円形脱毛症」は、なかなか治らない脱毛症といわれています。原因は免疫不全にある難病。

普通の円形脱毛症だと思って始めの段階でそのうち治るだろうと放置して進行が進んでしまう人も多いそうです。心当たりがある人は早急に医師の治療を受けたほうが良さそうです。治療には塗り薬ではなく内服薬(ステロイド)がメインとなります。

ひちょり森本稀哲 経歴


2000年~2010年の日本ハム時代、持ち味がシュアな打撃と広い守備範囲というひちょり森本稀哲選手は、2006年の日本一、そして続く2007年には打率3割を達成しパ・リーグ連覇に貢献しました。

しかし2008年のジャイアンツとの試合でデッドボールを受けて左手小指を骨折。その影響で不振が続き、打撃の成績は下降。翌2009年からはスタメン落ちも増えていき8月にはまたもデッドボールによる骨折も。

さらに2010年の7月に西武戦でデッドボールを受け右手薬指を骨折、翌日には登録を抹消されました。3年続けて骨折に見舞われましたがそれでも打率をあげて打率.272に回復しました。そして2010年のオフにFA権を行使して横浜ベイスターズに移籍。

横浜ベイスターズではスタメンでの出場は限られたもので、2012年からは代打などのスーパーサブとしてチームを支えました。しかし2013年のオフには横浜DeNAベイスターズを戦力外となって、西武に入団しました。

西武では99試合に出場し打率は.252。ベンチにいてもチームを鼓舞する頼もしい存在でしたが今期は無安打に終わっていました。
 
 

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ひちょり森本稀哲 パフオーマンス


楽しいものばかりです。こういうひとがいなくなるのはさみしいですね。

2006年日本ハム時代の球宴での「ドラゴンボール」のピッコロ。
2007年オールスター第1戦の試合前イベント「伸びた頭」

2007年ゴールデングラブ賞表彰式にてナイケルジャクソン。

2010年の横浜ベイスターズの入団会見で「キン肉マン」のラーメンマン。

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