吉田純子と堤美由紀はレズ 生い立ちは子供時代からヤバかった

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久留米看護師連続保険金殺人事件の主犯格、吉田純子。彼女は看護学校の同級生で学生の頃からの知り合いの3人、堤美由紀、池上和子、石井ヒト美をマインドコントロールして、保険金目当ての殺人の共犯者にしました。

その3人の中でも堤美由紀は吉田純子は一番関係が深く、レズビアン(同性愛)の関係になりました。マインドコントロールされていくうちに、そうなってしまったのです。

主犯格の吉田純子が、金のために周囲の人間をマインドコントロールで騙すようになってしまったのは、子供時代からの生い立ちに原因があったといわれています。
 
 

 
 

吉田純子と堤美由紀はレズ


吉田純子と堤美由紀は、お互い愛し合ったレズビアン(同性愛者)というわけではなく、吉田純子がレズビアン関係を堤美由紀に強要したのでした。

さらに吉田純子は堤美由紀に、レズビアン行為をしたことによって妊娠したと、とんでもない嘘をついて彼女を追い詰めました。

さすがに堤美由紀も最初は信じず、純子の夫の子供を妊娠したのではと言いましたが、それに対して純子は、
・夫とはずっとセックスしていない
・大学病院の教授に診察してもらった
・レズの妊娠は過去に2~3件ある
・今回の妊娠は4例目となり世界的研究対象になる
などと、いかにももっともらしいことを言って堤美由紀を言いくるめました。
そして、妊婦になったことを口実にして家事全般を堤美由紀に押し付けたのです。

さらにこの妊娠によって、堤美由紀にレズビアン行為を求めやすくなりました。
それはまたとんでもないことで
・子宮内の羊水が減っているので潤す必要がある
・潤すためにはセックスをしなければいけない
・母体がエクスタシーに達するとお腹の子供の知能指数があがる
・エクスタシーがないと逆に知能指数が下がってしまうからセックスが必要
などど、もっともらしいことで言いくるめました。

また、吉田純子は堤美由紀に、レズの男役をさせていました。スカートは禁止はして、パンツルック。香水は男性用のものを使わせました。
 
 

 
 

吉田純子 生い立ちは子供時代からヤバかった


1959年、吉田純子は福岡県柳川市に生まれました。
父親は、純子が小さい頃に自衛隊を除隊した元自衛官で、
自動車修理の商売をしましたがお世辞にも成功とはいえず家庭は貧乏でした。
家計を助けるため母親は内職や家政婦で働きました。
純子には4才年下の弟がいて、父・母・純子・弟の4人家族でした。

吉田純子は、小学校・中学校時代はおとなしかったですが成績は悪く、そのことで母親に叱られていました。いたずらをするものなら体罰が待っていました。そして貧乏なためか見栄を張る虚言癖もこの頃から身についていました。
一方そんな姉に対して4才年下の弟は、成績優秀なスポーツマン。母親も弟を可愛がっていました。
優秀な弟と、落ちこぼれの姉、そんな構図でした。

父親は短気で、ムカつくことがあると母親にあたっていて、
母親はそんな父親が稼ぎが少ないことを子供たちに愚痴っていました。
父親の悪いイメージを吹きこまれた子供たちは、父親になつきませんでした。

こういった、家庭での人間関係と、貧乏による劣等感、プライドの高さが
吉田純子の性格を形成したいったのでしょう。

1975年(昭和50年)16才の頃、奨学金制度の書類を自分ひとりで用意して手続きをして、私立佐賀女子高校の衛生看護科に入学しました。

1978年(昭和58年)19才の頃、吉田純子はニセの妊娠カンパで金を騙し取り、2ヶ月の停学処分となりました。この頃から詐欺を働いていたのです。
1979年(昭和59年)、聖マリア看護専門学校(現在の現聖マリア学院短期大学)に入学し、のちに共犯者にさせる3人、堤美由紀、池上和子、石井ヒト美と出会いました。
 
 

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