両澤千晶が死去…死因は「大動脈解離」。病気がちだった「ガンダムSEED」脚本家

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訃報です。2月19日に脚本家の両澤千晶(もろさわ ちあき)さんが死去されていたことがわかりました。死因は「大動脈解離」でした。享年56才でした。両澤千晶さんは「機動戦士ガンダムSEED」「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」の脚本家として知られる女性でした。

「機動戦士ガンダムSEED」中も含めそれ以前からずっと、病気がちだったようです。死因は「大動脈解離」ということですが、症状は以前からあったのかもしれません。
  
 

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両澤千晶の死因 大動脈解離とは


大動脈解離とは、「大動脈」の3層構造の真ん中の層にある膜に血液が入り込んだことで、「大動脈」の3層構造が別々に剥がれてしまう(乖離する)病気です。最悪の場合「大動脈」は破裂します。

大動脈解離の症状は、乖離が起きている場所に起こる強烈な痛みです。「大動脈」の乖離が全身に進むと、体中を動きまわるような痛みに襲われ、心不全の症状を起こしたり、突然死することがあります。

大動脈解離の原因ですが、高血圧の人に起こりやすいといわれています。両澤千晶さんもそうだったのでしょう。

また、両澤千晶さんは今から90年代に「右の耳下腺を腫瘍で手術」し、2002年頃子宮筋腫と卵巣嚢腫で体調を崩し摘出手術を受け、その後も別の病気を患っていて、通院中でした。ずっと病気がちな女性だったようです。

仕事柄パソコンの前に座りっなしなことが原因で、常に肩こり・腰痛・眼精疲労に悩まされ、体はガチガチで限界状態になるとマッサージを受けていたんだとか。

両澤千晶 プロフィール


両澤千晶さんは埼玉県さいたま市出身1959年3月28日生まれ、O型でした。「両澤千晶」はペンネームで本名は「福田千晶」といいます。子供の頃は本が好きで、転校が多かったせいもあり友達と遊ぶより読書が好きな子供でした。

旦那でアニメ監督の福田己津央さんとは、学生時代のマンガサークルで知り合っています。

子供が大好きなので短大に行き保育科を専攻しましたが、当時は就職難のため保育士にはなれず、OLとして働きながら同人誌サークル活動を続けていました

主婦から脚本家へ

福田己津央さんと結婚してからは主婦をしながら、旦那の作品原稿のワープロ清書を手伝っているうちに、意見を出したりアドバイスしていくようになり、やがて自分でストーリーを書き始めました。

プロの脚本家になったのは、家計の足しにパートを始めようとした際に旦那から、脚本を書くことをすすめられたことでした。本が好きと子供好きが幸いして脚本家の仕事に役立ったようです。

基本的に旦那の福田己津央さんの作品でのみ、脚本家をしていました。両澤千晶さんのような流れで脚本家になるケースは非常にまれです。
 
 

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子供向けアニメにこだわり続けた

両澤千晶さんは「子供向けアニメにこだわり続けた」脚本家としても知られていました。現在アニメは大人も楽しめるものになりましたが、アニメは本来子供が楽しめるものだという強いこだわりがありました。

旦那はアニメ監督

両澤千晶さんの旦那はアニメ監督の福田己津央さん(55才)です。脚本家・演出家としても活躍しています。

アニメ「機動戦士ガンダムSEED」では監督・演出・絵コンテを務めました。

両澤千晶さんは旦那さんの作品でしか脚本を書かなかったことと、執筆が遅れがちなことや、物語が破綻しがちなことで、夫婦セットで批判されることもありました。

弟も脚本家


両澤千晶さんには1才年下の弟がいて、姉と同じく脚本家の両沢和幸さん(55才)です。ただ、脚本家といってもアニメのではなく、テレビドラマを手がけています。演出家やプロデューサー、監督としても活躍しています。

1990~1992年のテレビドラマ「世にも奇妙な物語」では脚本家として、1996年「ナースのお仕事」ではプロヂューサーを務めています。最近は「もろさわ和幸」名義で、2014年「刑事110キロ」2015年「警部補・杉山真太郎〜吉祥寺署事件ファイル」脚本手がけています。
 
 

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