【プリンス死去】死因はインフルエンザと薬物過剰摂取の体調不良によるライブ公演強行か

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アメリカのミュージシャン、プリンスさんが57才の若さで謎の急死を遂げました。
なぜ謎の急死かというと、死去した死因が明らかになっていないからです。

プリンスさんは今月からインフルエンザを患っていたのですが、無理をしてライブ公演を行いったあと15日に体調不良で緊急搬送されています。ただこのとき、薬物の過剰接種もあったということです。

なので死因はインフルエンザと薬物の過剰接種などと思われます。
 
 

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プリンス死去 死因は?


ミネソタ州カーバー群の現地時間で午前9:43。
(日本時間でよる11:43)
プリンスさんの自宅兼のスタジオのペイズリー・パーク・スタジオに、救急出動の要請を受けた保安官が急行しました。
すると、エレベーターでプリンスさんが意識不明で倒れていました。

救急救命士は心肺蘇生法などで救命措置を施しましたが、よる10:07にプリンスさんは死去されました。

当時プリンスさんは4月からインフルエンザを患っていたそうなので、死因はインフルエンザか?ともいわれています。

プリンス 4月15日に薬物の過剰摂取で病院に搬送されていた


今月4月15日。ジョージア州でライブを終えてから数時間後に、イリノイ州に自家用機を緊急着陸させ、薬物の過剰摂取で病院に搬送されましたが、数時間後に退院しています。
これは、24時間の入院を勧められたものの、個室がなかったからということでした。

2015年12月に新譜「HITnRUN Phase Two」をリリースして4月半ばまでツアー中でした。

プリンス 死因はインフルエンザと薬物の過剰接種?


プリンスさんは4月からインフルエンザを患っていて、さらに薬物の過剰接種によって、体調不良となり、一度は緊急入院して治療を受けたものの、数時間で退院したので完治せず、今回の死去の死因になったのではないでしょいうか?

死因はインフルエンザと薬物の過剰接種、体調不良を押してのライブ公園、入院を勧められたがしなかったことなどでしょう。
ファンを愛するあまり、無理をしてしまったのでしょうか

プリンス死去 追悼の声


プリンス死去の訃報を知ったファンたちは、ペイズリー・パークの前に集まり、ヒット曲「パープル・レイン」などを一緒に歌いました。
また、オバマ大統領やミュージシャンたちから追悼の言葉が寄せられています。

オバマ大統領
「世界は今日、創造的なアイコンを失った」
「誰よりも強い、勇敢で、創造的な魂の持ち主だった」
マドンナ
「世界を変えたビジョンの持ち主」
ナイル・ロジャース
「うちのツアーバスでは涙と愛が溢れてる」
ボーイ・ジョージ
「こんな最悪の日はない。プリンス安らかに。泣いてる!」
ライオネル・リッチ―
「信じられない。完全にショック状態だ。素晴らしい思い出がたくさんありすぎる」
ミック・ジャガー
「無限の才能」の持ち主で「革命的な芸術家、偉大な音楽家、素晴らしい作詞家」
アリ―サ・フランクリン
「完全にオリジナルで、唯一無二の存在だった。本当に、プリンスは1人しかいない」
布袋寅泰
「大好きなギタリストだった。とてもショックだ。」
Chara


くるり 岸田繁


 
 

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プリンス プロフィール


プリンスさんは1958年生まれで、最初に作曲したのはなんと7才といわれています。
音楽スタイルは、ロック・R&B・ソウル・ファンク・ポップスを組み合わせ幅広い層に支持されました。
40年間のキャリアの中で発表したアルバムは30枚以上に登ります。
ヒット曲には
・1999
・Purple Rain
・Sign O’the Times
・Let’s Go Crazy
・When Doves Cry
などがあり、売り上げ枚数は1億枚以上!に及びます。

「Purple Rain」は1984年に自身が主演した映画でアカデミー賞の作曲賞に輝いています。
楽曲提供も行っていて、シャネイド・オコナーさんNothing Compares 2U」は1990年世界ヒットしました。

グラミー賞に7度も受賞しており、2004年にはロックンロール名誉の殿堂入りを果たしています。

プリンス死去 ネットの反応


 

 

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