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「全日空857便ハイジャック事件」は1965年1995年に起きた、日本の警察史上初の航空機ハイジャック事件です。
犯人の名前は小林三郎といい、乗客たちの勇気ある行動と、警察の強行突入によって結末を迎えました。
犯人はオウム真理教の信者を名乗り「サリン」と「爆弾」で乗客乗員を脅し、乗客の目をガムテープでふさいで恐怖に陥れました。
小林三郎という名前の犯人はなぜ「全日空857便ハイジャック事件」を起こしたのでしょうか。
それは本名なのか?実名は果たして・・・。
目次
■ 全日空857便ハイジャック事件「サリンを持った犯人」
1965年1995年6月21日 羽田空港
11:30発の全日空857便「函館行き」は、乗員乗客あわせて365人。
いつも通りのフライトのはずでした。
全日空857便は函館を目指し、2分遅れで出発しました。
座席は7割ほど埋まっていました。
離陸からほどなく水平飛行になり、CAが飲み物のサービスのためにギャレーに向かいます。
この時を狙っている男がいました。
男はCAに近づき、アイスピックで脅します。
「静かにしろ」
そして
「これが何かわかるな?」
と、透明な液体が入った袋をCAに見せます。
CAはピンときました。
この3ヵ月前、1995年3月20日にオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起きていて、その後も異臭騒ぎがあとを絶たない時期でした。
「函館に着いたら、軽油して、東京へ引き返せ」
男はCAにそう要求しました。
CAは男に指示され、機長に内線で伝えます。
「アイスピックのような尖ったものと、サリンを持っています」
操縦室に緊張が走ります。
■ 全日空857便ハイジャック事件「警察に伝わる」
11:58
機長は東京の管制塔に連絡します。
「山形上空でハイジャックです」
同時に函館航空の航空会社事務所にもつたえられました。
・サリンのようなものを持っている
・尖ったものを持っている
・犯人側の人数は不明
・犯人の要求は「函館に着いたら、軽油して、東京へ引き返せ」
運輸省・警察庁・北海道警察にも伝わりました。
事件発生から15分後、函館には総合対策本部から設置されました。
函館空港にも、現地対策本部が設置され
さらに羽田空港にも対策本部が設置されました。
しかし犯人との連絡方法は限られていました。
犯人→CA→機長→航空会社事務所→警察の函館空港現地対策本部
という連絡の流れです。
つまり、警察は犯人と直接交渉ができないわけです。
犯人からの一方的な連絡を待つしかありません。
■ 全日空857便ハイジャック事件「乗客にも伝わる」
「当機はハイジャックされました」
機長がアナウンスで知らせ乗客がざわつきます。
テレビのニュースでも報じられました。
当時、日本国内でのハイジャックは過去に12回。
警察や機動隊が突入したことはありませんでした。
犯人の仲間が空港で待っている可能性もあります。
函館空港周辺には厳重な交通規制が敷かれました。
犯人の指示でCAが機内アナウンスします
「当機は函館空港に着陸したあと、給油して、そのまま東京羽田空港に引き返します」
さらに犯人の指示で窓がすべて閉められました。
犯人がCAに指示し、乗客の目と口をガムテープでふさぎました。
ただ乗客の中に子供を抱く女性がいて、その親子だけはガムテープを許され2Fの客室に案内されました。
女性は、犯人がCAに指示しているのを目撃します。
犯人の言葉をCAが機長に伝えます。
「いつでも用意はできている
給油して早く東京に戻れ
あとは東京に着いたら話す
自分は組織の人間だ 1人ではない」
■ 全日空857便ハイジャック事件「函館空港への緊急着陸」「犯人の名前は小林三郎」
12:42(出発から1時間10分後)
全日空857便は函館空港への緊急着陸しました。
テレビで報じられます
「犯人は複数とみられ
そのうち1人はオウム真理教の小林三郎と名乗っている」
■ 全日空857便ハイジャック事件「プラスチック爆弾」
犯人の言葉をCAが機長に伝えます。
「プラスチック爆弾は
いつでも爆破できる
乗客は絶対に降ろさない」
「燃料を早くしないと
爆弾のタイマーをセットする」
乗客の1人が心臓を抑えて苦しみ始めました。
犯人は手当をすることを許しました。
幸い、乗客のなかに看護師の姉妹がいて治療できました。
乗客は全員1階客室の後方に移動させられました。
こうして1階前方は
犯人とCA1人だけになりました。
■ 全日空857便ハイジャック事件「すべは東京に帰ってからだ」
15:45(着陸から3時間)
札幌から機動隊が到着し、待機します。
警察は機長を通して犯人に伝えます。
・犯人との直接交渉
・乗客を降ろしたい
・病人がいれば病院に搬送したい
しかし犯人は拒否し
「すべは東京に帰ってからだ」
と言うのみ。
犯人が指示してCAが機内アナウンスします。
「今から見回りにいく 下を向いていろ」
見回りをしながら乗客たちに、しきりに仲間の存在をほのめかす発言をする犯人。
上着を変えて別人を装っての見回りは1時間に1回行われました。
一方羽田空港には、警視庁特殊部隊(のちのSAT)が召集されていました。
飛行機や船などのハイジャックに備えて訓練を受けた秘密部隊です。
■ 全日空857便ハイジャック事件「乗客が携帯電話で警察に連絡」
1人の男性が女性客から携帯電話を入手して、トイレから警察に電話しました。
犯人の人数について「私は同じスニーカーしか見ていません」
女性はある歌手のマネージャーで、男性はバックバンドのギタリストで、函館ツアーのため飛行機に乗っていました。
男性の名前は、告井延隆さんです。
そのとき、給油車が飛行機に近づきました。
機長はCAを通じて犯人に
「燃料コックの故障で給油ができない」
と伝え犯人はいらだちます。
ある男性客が席を立ちました。
しかし犯人は気付きその乗客を探し始めます。
やがて男性客が観念して手をあげます。
犯人「今回だけは許してやる」
■ 全日空857便ハイジャック事件「犯人は1人だと乗客は気付き始める」
その後も、相変わらず見回りは定期的に行われます。
しかし乗客は気付き始めていました。
犯人は上着を変えているだけで、おそらく犯人は1人だと。
事件発生から4時間
乗客名簿の中で身元がわからない人物は「小林三郎」1人に絞られました。
一方、オウム真理教は関与を否定します。
オウム信者が今まで1人で起こした事件はありませんでした。
捜査は混乱します。
羽田から特殊部隊(SAT)が函館に到着しました。
北海道警察とともに、いつでも突入できる準備がされました。
日の出までが勝負です。
そんななか機内で事件が起こります。
トイレに行こうとした女性客に、犯人がアイスピック怪我をさせます。
出血しましたが、幸い軽傷でした。
機長を通じて警察にも伝わりました。
犯人の言葉をCAが機長に伝えます。
「CAを縛ってこれから1人ずつリンチする」
警察にも伝わります。
一方、同時に乗客が機内から携帯電話で
「犯人は1人で 武器は持っていない」
ことも警察に伝えられていました。
■ 全日空857便ハイジャック事件「突入を決断」
ハイジャックから11時間
警察は突入を決断しました。
24:30
・犯人は1名
・乗客は後方にいる
・サリンはない
その時CA・機長を通して犯人から連絡が
「1人目は終わった 2人目をリンチしている」
しかし警察は、これは犯人の嘘だと見破っていました。
突入場所は、全日空857便の機体の、左右のドア3箇所にしようとしました。
しかしこの位置だとマスコミのカメラに映ってしまい犯人に突入がバレる可能性があります。
なので、死角になる片側3箇所からの突入に変更しました。
滑走路のライトを消します。
マスコミにも協力を要請し、中継は操縦席だけの映像になりました。
■ 全日空857便ハイジャック事件「強行突入 犯人確保」
午前3:20
強行突入開始です。暗闇のなかをSATと機動隊たちが静かに飛行機に近づきます。
午前3:42
一瞬のうちにドアをこじ開け、突入します。
犯人が逃げます。その時、勇敢なCAがサリンの袋を犯人から奪いました。
午前3:45
ついに犯人が確保されました。
乗客たちから拍手が巻き起こります。
■ 全日空857便ハイジャック事件「犯人の名前”小林三郎”は本名?実名は?」
その後の調べで、
犯人はオウム真理教の信者ではなく、サリンもただの水だとわかりました。
犯人は、東洋信託銀行に勤務する53才の行員で、精神病で休職中の身でした。
逮捕翌日に東洋信託銀行を懲戒解雇されています。
小林三郎という名前は実名なのか、本名なのかは、公表されていません。
オウム真理教には全く関係ありません。
ハイジャック事件を起こした動機は、
「オウム真理教信者による奪還ハイジャック計画」
という記事を週刊誌で見てのことでした。
精神疾患でしたが「責任能力あり」と判断され起訴され、1997年に懲役8年の判決と、全日空から民事訴訟で5300万円の損害賠償を受けました。
☓ 「全日空857便ハイジャック事件」は1965年に起きた日本の警察史上初の航空機ハイジャック事件です。
○ 1995年 日本で初めて強行突入が実施されたハイジャック事件である。
申し訳ありませんご指摘ありがとうございます。気を付けます。