【ハンカチ王子】斎藤佑樹は現在ポルシェカイエンでなくマカンをベースボールマガジン社池田哲雄社長から提供されていた(週刊文春)

【当サイトのリンクにはアフィリエイト広告が含まれています】

_

10年前「ハンカチ王子」と呼ばれた、現在は北海道ハムファイターズの斎藤佑樹投手(28才)が、ベースボールマガジン社の池田哲雄社長からポルシェのマカンを提供されていたことがわかり、週刊文春が写真画像つきで報じています。本当はカイエンが欲しかったようですが。

斎藤佑樹投手は、早実・早稲田大学のエースとして活躍したあと、2011年にドラフト1位でプロ入りしました。
プロでもエース候補と期待をかけられましたが、5年間で14勝、ここ3年は3勝ど止まりです。
2015年の防御率も5点台後半で、成績はさっぱりです。

斎藤佑樹投手は現在2軍で調整中ですが、愛車ポルシェ・マカンを慣れた手つきで運転して、千葉県鎌ケ谷市にある練習場と自宅を毎日行き来しています。
 
 

【スポンサードリンク】

 
 

■ 10年前のハンカチ王子・斎藤佑樹の現在


2006年の夏、斎藤佑樹投手は早稲田実業のエースとして延長15回、引分け再試合を経て、田中将大投手の駒大苫小牧を破って、早実悲願の甲子園優勝を果たしました。
無名だった斎藤佑樹投手は一躍国民的ヒーローとなり注目され、ハンカチで汗をぬぐう姿が母親世代の心も鷲掴みにし、ハンカチ王子として大人気となりました。

車について聞かれたときはこう答えています。
「ずっと地元で見てきたので、スバルが一番いいと思ってるんですよ、自分は。
ベンツよりもポルシェよりも、世界のトヨタより、スバルが一番いいと思ってるんです」
父親が群馬の富士重工に勤めていたので、スバルがお気に入りだったようです。

斎藤佑樹投手は早稲田大学に進学後も華がありました。
1年生でエースとして大学日本一に輝き、4年生では主将としてチームを大学日本一、秋のリーグ戦優勝に導きました。
選手個人としても、通算30勝を達成するなどしています。

ドラフト会議では4球団から1位指名をもらい、日本ハムファイターズに入団しました。
一足先にプロ入りした田中将大投手とのライバルストーリー第2章が始まったはずでしたが、差は縮まりませんでした。

田中将大投手は、シーズン24勝無敗で楽天を日本一に導いたあと、メジャーリーグのニューヨークヤンキースで先発陣の一角を担っています。
一方、斎藤佑樹投手はプロ入り5年で14勝です。
1軍と2軍を行ったり来たりする状況です。

■ ハンカチ王子斎藤佑樹 ベースボールマガジン社の池田哲雄社長からポルシェのマカンを提供される


成績不振のはずの斎藤佑樹投手の愛車は、ポルシェのマカンです。
2014年に発売されたSUVタイプで、価格は最低800万円以上。

問題はこのポルシェ・マカンが、出版社社長から提供された車だということです。
出版社とは、ベースボールマガジン社です。
社員の証言によると、2015年夏頃から、社長が会社の金を使って、斎藤佑樹投手に車を提供している模様。

ベースボールマガジン社は、1946年に故・池田恒雄さんが創業しました。
週刊ベースボールや週刊プロレスなどの専門誌でスポーツ誌王国を築きました。
故・池田恒雄さんは雑誌記者として初めて野球殿堂入りしたほどの人物です。

そんな恒雄さんの息子・哲雄さんが現在の社長で、斎藤佑樹投手にポルシェ・マカンを提供した人物です。
昨年の春先に、哲雄社長は斎藤佑樹投手とポルシェ銀座店を訪れました。
シートの仕様や色をカスタムし、夏に納車されると、斎藤佑樹投手の父親が車を引き取りにいったといいます。

■カイエンを欲しがったが高いのでマカンに

斎藤佑樹投手はポルシェSUVタイプの最高クラス車カイエンを欲しがったのですが、価格が1200万円以上するなど高すぎるので、800万円のマカンになったそうです。

ベースボールマガジン社の関連会社でリースして、それを斎藤佑樹投手に又貸しするカタチです。

■ドラフト直前に言っていた

2010年、ドラフト直前、テレビの取材で斎藤佑樹投手はこう言っていました。
「ポルシェ!カイエン乗りてぇ。
うわぁ、頑張ろう。
ビッグになろう、オレも」

自分で稼いだお金で買うはずだったのでは・・・

■ ベースボールマガジン社の池田哲雄社長は早稲田出身だった


ベースボールマガジン社の池田哲雄社長は、早実から早大教育学部を出て、現在は早実の校友会会長を務めています。
また、斎藤佑樹投手が在籍していた当時の監督と懇意でもあったことから、大学時代から斎藤佑樹投手を可愛がっていました。
 
 

[スポンサードリンク]

 
 

■ ハンカチ王子・斎藤佑樹 ポルシェ・マカンだけじゃなかった


斎藤佑樹投手がベースボールマガジン社の池田哲雄社長から提供を受けたのは、ポルシェ・マカンだけではありませんでした。

■早大野球部時代からバッグなど

斎藤佑樹投手は早大野球部時代から、女子が中年男性に「ヴィトン買って」とねだるのと同じノリで、池田哲雄社長にプレゼントをねだるといいます。
甘えられた池田哲雄社長もまんざらでもなく、
「誕生日にボッテガヴェネタの財布を買ってあげちゃったよ」
と言いふらしていたんだとか。
そのほかにも、フランス製の高級バッグ「ゴヤール」などをプレゼントしたこともあった模様。

■早大野球部時代にマンションも

斎藤佑樹投手が大学4年生のとき、ベースボールマガジン社が所有する明大前のマンションを自由に使わせてもらっていました。
斎藤佑樹投手はそこで乱痴気騒ぎをしたらしく、後日掃除をするとゴム系のものが落ちていたそうです。
ハンカチ王子のイメージに合わないですね。

斎藤佑樹投手は大学時代「ずっと野球部の寮にいた」と言っていましたが、嘘だったのです。
贅沢なセカンドハウスがあったのでした。

■プロ入り後もマンション提供受ける

プロ入り1年目のオフには、月島の高級マンションの提供を受けています。
池田社長の元自宅だった、コンシェルジュが常駐する20F以上のタワーマンション。
70平方mの広さで、普通なら家賃15万円はすると思われます。
斎藤佑樹投手は「一般人とエレベーターホールが同じだから嫌だ」とぼやいたらしいですが。

当時、斎藤佑樹投手はプロ1年目を6勝6敗で終えています。
本来なら、寮に住みながら、2年目に向けて自主トレに励むべき時期です。
実は、プロになってから「斎藤は変わってしまった」と言う人は多いといいます。
 
 

<スポンサードリンク>
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

NEW

PAGE TOP