東大の黒歴史【光クラブ事件】天才山崎晃嗣の遺書と人間不信がヤバい

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東大の黒歴史と呼ばれる「光クラブ事件」は、テレビでも再現ドラマになったり、本や小説になっています。
父親が木更津市長でもあった東大生社長・山崎晃嗣は、「光クラブ」を立ち上げ戦後日本で時代の寵児としてもてはやされました。

しかし「光クラブ事件」を起こし、遺書を残してあっという間に散っていきました。
山崎晃嗣の遺書や日記は、のちに「私は天才であり超人である 光クラブ社長山崎晃嗣の手記」として出版されています。
 
 

 
 

■ 東大生・山崎晃嗣「光クラブ事件」とは?


「光クラブ事件」とは、東大生・山崎晃嗣によって設立された闇金融「光クラブ」が、法律違反で捕まった事件のことです。

■1948年9月起業

東大生・山崎晃嗣は、日本医科大生の友人らとともに27才という若さで高利貸しの会社「光クラブ」を設立しました。
背景には、政府の極端なインフレ抑制策で市場が金詰まりだったことがありました。
「光クラブ」の場所は中野の鍋谷横丁。
・社長:東大生の山崎晃嗣
・専務は日本医科大生の三木仙也
・常務は東大生
・監査は中大生
という顔ぶれでした。

■4ヶ月で急成長

当時では画期的な目を引く広告を新聞や電車に派手に打ち、学生しかも東大生が中心の会社ということで注目され、たった4ヶ月の短期間で資本金400万円を集めました。
これは現在の金額にしてなんと30億もの大金。社員も30人規模に急成長。
集めた金は、商店や企業などに高い金利で貸し付けました。

■山崎晃嗣が逮捕される「光クラブ事件」

「光クラブ」を設立の翌年1949年7月
東大生社長の山崎晃嗣が、物価統制令違反で逮捕され事件に。
1ヵ月拘留ののち不起訴で釈放。

これにより出資者たちの信用は失われ、ワンマン社長山崎晃嗣の不在中に業務もストップし、業績も急激に悪化します。
会社名を変えて資金集めを試みるも上手くはいきません。
最後は株を空売りして資金を調達しようとしますがこれも失敗。

東大のひとつ後輩で出資者の1人だった、日本マクドナルドと日本トイザらス」の創業者・藤田田にも相談しますが
「法的に解決することを望むなら、君が消えることだ」
とバッサリ断られます。

■山崎晃嗣の遺書と自殺

「光クラブ」は3600万円の債務不履行。現在でいう18億!
1949年11月24日。債務返済の前日。
東大生社長の山崎晃嗣は遺書を残して、会社で青酸カリによる服毒自殺をしました。
数日後、彼の株は大暴落しました。

「光クラブ」設立から1年と2か月。あっという間の栄光でした。

遺書にこんな言葉が

「人間はもともと邪悪」
「私の合理主義を完うするため、24日までに300万円の現金を積んでみせるか、死を選ぶかの破目に、私自身を追いつめた。
せめて生命をかけた金儲けに生のスリルを経験したかった。50年の生命を、この1月にかける大バクチ、生命の完全燃焼の美を味わいたかったのだ」
引用:http://rickson400.seesaa.net/article/293235890.html

 
 

 
 

■ 時代の寵児「光クラブ」社長・東大生の山崎晃嗣のWiki どんな人物?


山崎晃嗣の生年月日は1923年10月。
医師で木更津市長の父親のもと五男として育ちました。

中学は旧制木更津中、高校は旧制第一高校。
そして1942年19才の頃、東大の法学部へ。

■戦争、そして終戦

しかし当時は第二次世界大戦。
20才以上を徴兵する学徒出陣によって陸軍主計少尉となります。
最前線に送られ死ぬのはバカバカしいと考え、東大を退学して陸軍経理学校に入学したのです。

1945年の終戦を迎えた22才の頃は、北海道旭川市で糧秣委員でした。

■同級生の死と上官の裏切り

山崎晃嗣は戦時中に高校の同級生を亡くしています。
上司からのリンチのせいで亡くなったのですが、上官の命令で事故死を装う隠蔽工作に加担させられます。

終戦間際には、上官の命令で食料隠蔽に関与します。
密告され横領罪で山崎晃嗣は逮捕されるのですが、上官をかばったせいで懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決が下ります。しかも尋問中は警察から虐待されました。
ところが、上官からは約束の分け前はもらえませんでした。

「同級生の死」と「上官の裏切り」による「深い失望や虚無感」が山崎晃嗣の人生観に大きく影響します。人間不信を強めていきます。

■東大に復学

戦争が終わり東大に復学した山崎晃嗣。
前科目で「優」の成績を得るため猛勉強するとともに、生活のすべてを分刻みのスケジュールにし記録していきました。
結果、20科目中17科目で「優」、3科目で「良」の成績となり、若槻礼次郎以来の秀才と呼ばれるように。

■「光クラブ」は騙された経験が元

高利貸し「光クラブ」で暴利をむさぼったとされる山崎晃嗣ですが、実はそれ以前に本人も投資で騙されていました。
中野財務協会という会社による「アメリカ向けオモチャ輸出メーカーへの投資」で、月20%の配当にまんまと10万円(現在の300万円以上)を渡しますが、お金は戻ってきませんでした。
この経験から、法律に詳しい自分ならもっと上手にできると考え「光クラブ」を設立したようです。

■8人の愛人

「光クラブ」の全盛期、山崎晃嗣には愛人が8人いました。
肉体関係目的のために秘書を募集したりもしました。
人を信用しないはずの山崎晃嗣でしたが、その愛人のひとりが実は税務署からのスパイで、彼女によって「光クラブ」の実態が密告され逮捕となります。

戦争時代の経験によって「人間はもともと邪悪」と考えるようになりました。
しかし一方で心の底では人を信じたかったのか、見下していた相手に騙されたりしているのところが、山崎晃嗣の欲も悪くも魅力のようです。
 
 

 

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