_
死去された芸人テントさんは一風変わったシュールな芸風で、カルト的人気を集めた芸人でした。
Wikiプロフィールを辿っていくと、大空テントからツチノコ芸人への歴史。
大空という日の目を見る舞台から、自らめったに姿を見せないツチノコ芸人へと変わっていきました。
芸人テントさんの家族は、結婚して嫁がいましたが離婚。しかし馴れ初めからその結婚生活までもがシュールでした。
まさに芸人人生を生きたと思います。
目次
■ 芸人テント 経歴・wiki風プロフィール
芸人テントさんは大阪府八重市出身1951年5月16日生まれ・享年65才。
本名は三浦得生(みうら とくお)といいます。
1人っ子だったテントさんは、小さな頃は両親はかなり過保護っぷりだったようです。
ニキビが出来ただけで病院をたらい回し
怪我をさせないためスポーツはすべて禁止
やりすぎです。
実家はテントを売る商売をしていたのですが、アウトドア志向とは真逆の育て方では・・・。
しかしこれがのちのシュールな芸人を育てた土壌かもしれません。
■芸人を目指すきっかけ
芸人になる決意をしたきっかけは、地元の寄席でした。
70才を過ぎても観客を笑わせる砂川捨丸さんの漫才で衝撃を受け、感動しました。
■始めはコンビで注目されるが
1970年、近畿大学付属高校を卒業後、川上のぼるさんに弟子入り。
1973年22才の頃、松竹芸能の漫才教室へ。
1981年30才の頃、幸つくるさんと組んだコンビ「大空テント・幸つくる」で出場した「NHK上方漫才コンテスト」で優秀賞を受賞し、注目されます。
しかし、人間関係が煩わしいという理由でコンビを解散、ピン芸人に。
■ピン芸人に
そして、芸能界を引退した上岡龍太郎さんに弟子入りして、芸名を「テント」に変えました。
師匠からは「出てくるのが10年早かった」と言わせたほど、芸人テントさんの芸は先鋭的だったといいます。
90年代後半から口コミで人気を集め、小さなホールでのライブチケットは即完売するほどでした。
万人受けする芸ではなく、カルト的人気を誇っていたテントさん。
芸人からの評価は高いようで、明石家さんまさんも1年に何度かモノマネをするんだとか。
松本人志さんに共通するギャグセンスの持ち主だとの評判も。
youtubeに、自分自身をパチイコ台にしたネタ「人間パチンコ」の動画が公開されているので紹介します。
一風変わった名人芸です。
■ツチノコ芸人に
2002年51才の頃には、女優の天海祐希さんと「NTT西日本」のCMで夫婦漫才師を演じて有名になりましたが、その後パッタリと、メディアに姿を見せなくなったことから「ツチノコ芸人」の異名を与えられます。
2012年61才の頃、女優の国仲涼子さん主演の舞台「吉本百年物語」制作会見に登場。
得意のギャグ「蜘蛛の決闘」を披露しました。
これは、自分自身の右手と左手を、蜘蛛に見立てて決闘するという奇妙な芸。
吉本芸人すらも唖然とし、国仲涼子さんは苦笑いしていたとか。
■ 芸人テントの結婚と離婚
1990年39才頃、芸人テントさんは一般女性と結婚しました。
しかし別居ののち、おととし2014年63才の頃に熟年離婚しています。
■馴れ初め
仕事で東京に行った際、知人のつてで彼女の自宅に泊めてもらい、芸人テントさんがお礼の手紙を書いたことから始まりました。
今では珍しい「文通」交際。
芸人テントさんの手紙は、ところどころにギャグを入れたり、なぜか黄色く塗ったりする、一風変わったラブレターでしたが、それが逆に純粋さとなって彼女は惹かれたようです。
■結婚生活
嫁との結婚生活は、関西のテレビ「鶴瓶&なるみのほんまか」などで密着取材を受けました。
しかし
「1日中家で遊び呆けている夫を、妻がアクセサリー加工の内職をしながら世話をすることに終始する」
という、番組出演者も驚く、家から一度も外出しない密着取材となりました。
■低収入が離婚の原因?
芸人テントさんは収入がかなり低かったようです。
普通、芸人といえば仕事に貪欲なイメージがありますがそうではなく、自分からは営業活動を行わず、週に6日休みだった時期も。ほとんど仕事してない・・・。
ある年の確定申告では、年収がわずか48万円だったため、税務署から「民生委員のところに行きなさい」と、つまりは生活保護を勧められたようです。
■別居中は母と同居?
2012年61才の頃、 舞台「吉本百年物語」で共演した吉本のコンビ「ロシアンモンキー」が、芸人テントさんについて語っていました。
それによると
同居していた母親が病気で入院し、そのせいで芸人テントさんはきちんとした食事ができずに栄養失調になったようです。
テントさんがリリースした7インチ「わらびもち」のプロデュースは山本精一な pic.twitter.com/RnoZdDbipt
— 西中島ラモーンズ若 (@sowhatdosickie) 2016年9月27日
ご冥福をお祈りします。
この記事へのコメントはありません。