【死去】平尾誠二の死因は病気「癌」激ヤセでも最後までミスターラグビーだった

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神戸製鋼で日本選手権7連覇など達成し、日本代表監督を務めるなど、日本ラグビー界をまさに牽引してきた平尾誠二さんが死去されました。

平尾誠二さんは、端正なマスクと華麗なラグビープレーから「ミスターラグビー」とも呼ばれました。
所属先の神戸製鋼によると、今朝53才の若さで死去されたということです。

死因は「闘病生活」というだけで公表されていないですが、癌をわずらい闘病していたことがわかっているので、死因は病気です・・・。
 
 

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■【死去】平尾誠二 癌の病気で死去


53才という若さで、癌を患い闘病生活もしていました。
闘病生活が続いていて、最近は痩せていて、心配の声も多かったようです。

平尾誠二さんの病気は公表はされていないものの、噂では胆管癌といわれていいます。

胆管癌には現在、有効な治療法が乏しく、予後が悪い癌だということです。
初期症状がないので、発見は健康診断などで偶然見つかるんだとか。
早期発見できれば切除など治療できても、進行してから発見されると厳しい病気です。

平尾誠二さんは、2015年ワールドカップ直前に一時入院するなど倒れたようなので、癌がだいぶ進行した状態で発見されたと推測されます。
当時、激やせした姿が心配されました。

それでも平尾誠二さんは今年4月に異業種交流会で240人を相手に「ラグビーに学ぶ、リーダーシップと強い組織作り」と題して講演するなど、最後まで「ミスターラグビー」でした。


 
 

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■【死去】平尾誠二 ミスターラグビーの経歴プロフィール


京都市出身。卓越したプレーと端正な顔立ちから「ミスターラグビー」と呼ばれました。

中学時代にラグビーを始め、高校時代は京都市立伏見工業高校のキャプテンとして、チーム初優勝をけん引。
同志社大学在学中には、史上初の大学選手権3連覇に貢献
社会人ラグビー神戸製鋼時代には、日本選手権7連覇を達成するなど、まさに日本ラグビー界のパイオニア的存在でした。

また、現役引退後は日本代表監督や神戸製鋼ラグビー部の総監督兼ゼネラルマネージャーとしてチームの運営に当たっていました。

■京都市立伏見工業高校時代
高校3年生の時に全国大会優勝
ドラマ「スクールウォーズ」のモデルにもなっています。
■同志社大学時代
19才4ヵ月で日本代表入り 大学選手権3連覇
■神戸製鋼時代(1986年~)
日本選手権7連覇の中心選手として活躍
引退後ゼネラルマネージャーに就任
■ラグビーワールドカップ
1987第1回~1999第4回 4度出場
1991日本代表キャプテン
1999日本代表監督

表舞台をずっと歩いてきた超スーパースター。
エリート街道をまっしぐらで、高校でも大学でも社会人でも、すべて全国優勝。しかも7連覇、3連覇!
スタンドオフという司令塔のポジションで、華麗なステップで「ラグビーとはこういうスポーツなのか」と知らしめた存在でした。

大変ダンディーでもあり、平尾誠二さんがタックルで倒されるというイメージのない人でした。
プレーも顔立ちもかっこいい「ミスターラグビー」
最近は五郎丸選手のおかげでラグビーが盛り上がっていますが、そのずっと以前からラグビーを引っ張ってきた存在。

ラグビーといえば、2015ワールドカップで五郎丸選手を中心に日本代表の活躍がありました。
これから平尾誠二さんにはますます活躍してもらおうという時期で残念。
現在のラグビーの礎を築き、かつ一流のスーパースターにしてジェントルマン。こんな人がいるのかというくらいの人でした。
特にヒゲがこんなに似合う人は日本人ではなかなかいません。


 
 

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