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2年前の2014年2月に突然、肺胞出血が死因で死去したブンさんこと山本文郎アナウンサー。
山本文郎アナウンサーは73才の時、嫁・由美子さんと再婚しました。
しかし31才年の差結婚だったので「財産目当て」かと言われましたがそうではありません。
歳の差が激しいと財産目当てとみられるのは仕方ないですが・・
山本文郎アナウンサーにも、由美子さんにも子供はいましたが、連れ子は養子縁組するなど子供たちも含めてブンさんは由美子さんを愛していました。
目次
■山本文郎 経歴プロフィール(画像あり)
アナウンサーの山本文郎さんが亡くなられたんですね。夫と付き合いがあった方なので、早朝のニュースで知り愕然としました。奥様のコメントで家族だけで送られるとの事。後日のお別れの会には参列をさせて頂こう。文さん、やすらかに。 pic.twitter.com/xnmnql52zM
— macaron (@macaron1102) 2014年2月26日
山本文郎アナウンサーは、テレビやラジオの音楽やバラエティ番組をメインに活動後、1976年から報道番組「テレポートTBS6」でTBS夕方の顔に。
「ブンさん」の愛称で、お茶の間で人気のアナウンサーとして11年間務めました。
1987年から全国放送のワイドショー「モーニングEye」で司会に抜擢され、今度は朝の顔として9年間務めました。
1994年にTBSを定年退職後、フリーアナウンサーとなったのでした。
■山本文郎 嫁の由美子は財産目当て?
http://t.co/EWEWU7IOKx
元TBSアナ山本文郎さん急死 73歳で31歳差再婚が話題に フリーアナウンサーの山本文郎(やまもと・ふみお)さんが26日午前2時6分、肺胞出血のため、千葉県内の病院で死去した pic.twitter.com/6fahKM9TtO— magicalpowermako (@magicalmako) 2014年2月28日
2008年7月
山本文郎アナウンサーは73才の時、31才年下の嫁・由美子さんと再婚しました。
歳の差が31才もあったので嫁・由美子さんは、「財産目当て」の再婚ではないかと揶揄されたりもしました。
そんな世間の声に対して嫁の由美子さんは
「だってお互いが若い方の場合、『結婚の条件は年収○○○万円以上、職業は○○』って平気で言うでしょう。それこそ男の方の収入目当て。男の方との年の差がある結婚は、女性は相手の方を尊敬することから始まって、愛に変わるんですよ!」
引用:http://jisin.jp/serial/
と、絶対に財産目当てではないと堂々と反論したのでした。
■馴れ初め
嫁・由美子さんが山本文郎アナウンサーにを好きになったのは、子供の頃でした。
また6才の頃、山本文郎アナウンサーが由美子さんの兄が出演したイベントで司会を務めたときのこと。
子供心にカッコイイと思ったそうです。
■バツイチ同士の再婚
山本文郎アナウンサーと嫁・由美子さんは、バツイチ同士の再婚です。
実は嫁・由美子さんの1回目の結婚披露宴の司会は、山本文郎アナウンサーでした。
由美子さんの兄の縁ですね。
1997年元旦
山本文郎アナウンサーは結婚して34年で嫁が脳梗塞で亡くなりました。
それから年月はたち
2007年
由美子さんが離婚したことを年賀状で知ります。
このことがきっかけで再会し、相談を受けているうちに恋愛に発展したんだとか。
2008年
1月に2人はめでたく再婚しました。
再婚後には「新婚さんいらっしゃい!」などに夫婦で出演してラブラブぶりが話題に。
また、山本文郎アナウンサーの母親のおかげで、夫婦お互いの理解を深めてくれたそうです。
母親を交えて交流していくことで、会話が生まれ理解を深めていったのでしょう。
■夫婦喧嘩は1度もなかった
再婚してからずっと、夫婦喧嘩はなかったそうです。
・些細な喧嘩で時間を無駄にしたくない
・相手のいいところを見る
・自分ににないところを見る
これらがポイントだったようで。見習うものがありますね。
■山本文郎と嫁・由美子の間に子供は?
山本文郎アナウンサーは、前嫁との間に
子供1人(長男・文明さん)
とその孫2人がいました。
一方、嫁・由美子さんには、元旦那との子供2人がいました。
再婚した当時は、
大学生の長男・湧登さん(19才)と
高校生の次男・賢人さん(17才)を
山本文郎アナウンサーは養子に迎えています。
■母親も連れ子で再婚だった
実は山本文郎アナウンサーの母親も、由美子さんと同じくらいの年で連れ子で再婚していました。
山本文郎アナウンサーは再婚相手である義父とうまくいきませんでした。
息子のそんな気持ちをよく理解している母親は、由美子さんの気持ちもよくわかり、2人の連れ子のことを誰より心配していたとか。
■山本文郎 死去
2014年2月26日AM2:06
山本文郎アナウンサーは肺胞出血が死因で、千葉の病院で家族にみとってもらい死去されました。
突然のことでした。
前の週までには、嫁・由美子さんとパーテイーの司会をこなしていました。
20日は銀座ヤマハホールで石田純一さんの娘・すみれさんのコンサートを夫婦で鑑賞して、帰りにビアホールに寄るほど元気でした。
ところが
21日の夜遅くに、背中や胸の痛みを訴えて入院したのでした。
亡くなる前日25日に小学校の同級生が見舞いにくる
「まだ、死なねえよ。もうひと花咲かすから」
と言ったり
養子縁組した嫁・由美子さんの2人の連れ子にも
「お前たちの子供、孫を見るまでは死なねえから」
と話していました。
しかしみんなが帰ったあとに容体が急変
苦しんだあとに意識を失いました。
最期は、かけつけた家族にみとられながら眠るように亡くなりました。
前日の夫婦の会話では
「お前がいなけりゃ、俺は生きていけない」
と言う山本文郎アナウンサーに
「当たり前よ」
と由美子さんと答えたといいます。
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