【西口彰事件】死刑囚の生い立ちや子供など家族「テレビドラマ化されていた」

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「西口彰連続殺人事件」が4月14日金曜日「爆報!THE フライデー」で放送されます。最近では陣内智則主演でテレビドラマもされた事件です。

「西口彰連続殺人事件」の犯人、西口彰は裕福な生い立ちでしたが、中学を中退したことから人生が激変します。詐欺や窃盗を繰り返して何度も逮捕・服役。最終的には5人を殺し、死刑囚となりました。最後の逮捕の決め手は、少女が気付いたことでした。

西口彰はどんな生い立ちで育ったのか?家族や子供はいたのか?など、迫ります。
 
 

 

■西口彰死刑囚の生い立ちがヤバい

西口彰死刑囚の生い立ちを見ていきましょう。

■大阪で生まれ3才で五島へ
西口彰死刑囚は大阪出身・1925年(大正14年)12月14日生まれ。代々キリスト教カトリックの家庭に生まれ子供の頃から洗礼を受けて、カトリック教徒でした。

彼の両親は、実家の長崎県五島列島から大阪へ出稼ぎに来たのですが、西口彰死刑囚が3才の頃に五島列島に戻っています。父親は漁業経営者を目指し、稼いだ貯金+親類縁者の出資で、アジ・サバ漁の船2隻を所有して成功し、五島の有力者になりました。

■五島➝福岡➝別府
1936年(昭和11年)頃、父親は漁業をやめて福岡県行橋で果樹園経営をスタート。その後、喘息が悪化して果樹園をやめて今後は昭和16年、大分県別府市にある温泉旅館を一軒買い取って、旅館経営を始めました。もちそん子供たち家族も一緒に引っ越しています。

■寮生活から家出➝詐欺・窃盗で逮捕
五島列島には江戸時代から「隠れキリシタン」の伝統がありました。西口彰死刑囚は中学生から福岡市のミッションスクールに入っています。中央区輝国にある西南学院or泰星中学(現:智福岡)。
父親は子供を修道士や神父にしたかったのですが、彼は戒律の厳しい寮生活がストレスで、3年2学期に中退して、家出します。

家出すると詐欺・窃盗を働き、16才で詐欺罪、窃盗罪、詐欺罪と連続で逮捕され、最初の2回は保護処分でしたが最後はついに岩国の少年刑務所で収容されます。

昭和20年19才の夏・終戦翌日に出所して翌年に20才で結婚。

このように西口彰死刑囚の20才までの生い立ちを見ると、中学3年で中退してから、犯罪を犯しては逮捕され服役を何度も繰り返しています。

■結婚してからも詐欺・逮捕・服役
西口彰死刑囚は結婚した2年後の昭和23年に恐喝罪で逮捕されまた服役。2年後に出所しますが、翌年昭和26年に米ドル不法所持で逮捕され、翌昭和27年には進駐軍日系二世になりすまして詐欺で逮捕され、5年間服役しています。

これでもまだ懲りず、出所から2年後の昭和34年に詐欺事件で逮捕され服役しています。

■西口彰死刑囚の子供や家族

■嫁と子供3人
1946年(昭和21年)10月、20才のとき、西口彰死刑囚は福岡の女性と結婚しました。出所した翌年です。

その後、昭和22年6月に嫁が長男出産。昭和26年11月に嫁が長女を出産するなどし、合計3人の子供に恵まれました。服役中、協議離婚しているのですが、カトリックは離婚禁止なのでその後に復縁しています。

■複数の愛人
西口彰死刑囚36才の時、別府刑務所を出所。嫁と子供を別府の実家に預けて、福岡県行橋市で嫁とは理容師の女性と同棲しながら、トラックの運転手を仕事をスタート。しかし1年も続かなかった。この間に、嘘をついて何人もの女性をまだして愛人にしています。

昭和38年10月18日、目をつけていた日本専売公社(現在のJT)の現金集金車を、福岡市近郊で襲って指名手配されます。逃亡劇のスタートです。嫁と子供は別府の実家に預けたままです。

■グレた長男・母の死
西口彰死刑囚の子供・長男は、父親が殺人犯だと知ると、グレてしまい学校に行かなくなりました。嫁からの手紙でその事実を知った西口彰死刑囚は刑務所で号泣し「オレのような人間の真似をするな!」と20枚以上の手紙を書
いて、長男に送りました。

そして長男は21才で結婚し、長男が立ち直ったことを非常に喜んでいました。

実の母親は、西口彰死刑囚が服役中に死去。西口死刑囚は「母よりあとに逝けるのが唯一の救いです」と囁いたとか。他の死刑囚に比べて人間臭い男だったようです。
 
 
 
 

■西口彰事件の結末 テレビドラマ化され陣内智則主演

西口彰死刑囚は指名手配され、逃亡生活がスタート。競艇で21万円も勝ったり、カトリックのミサにも参加しています。夕刊で指名手配を知りました。

途中、自殺したと装って、警察や子供あてに手紙を送っていますが、もちろん自殺は嘘。偽装自殺はバレました。

その後は「京都大学教授の高橋」と身分を偽って、岡山➝神戸➝大阪➝京都➝名古屋➝静岡➝千葉➝福島➝栃木などと、逃亡を続けます。

西口彰死刑囚はモテたので、逃亡中も色々な女性と夜をともにしています。逃亡資金は詐欺でだまし取って稼いでいます。殺人も犯し、5人殺しています。

そして最後、殺した弁護士バッジを奪い、熊本県玉名市の立願寺へ。住職の古川泰龍は教誨師でもあり、、戦後間もなく「福岡事件」を冤罪だと主張して、再審請求運動を行っていました。

そこにつけいり、西口彰死刑囚は弁護士を名乗り、助けたいと申し出るのです。古川泰龍はすっかり本物の弁護士だと信用しました。

ところが古川泰龍の子供・三女で小学5年生・るり子ちゃん(当時11才)は違いました。交番に貼られている指名手配の写真と、西口彰死刑囚がそっくりだと気付いたのです。

子供から指摘され最初は「失礼なことを言うな」と古川泰龍はるり子ちゃんを叱りました。しかし、身長やホクロが一致していたり、東大卒なのに有名教授の名前を知らない、弁護士団体の名前を間違えるなどあり、警察に通報しました。

警察が駆け付けると、西口彰死刑囚は弁護士を装いあまりに堂々としていたので、警察は人違いでは?とおも思ったのですが、指紋が一致したので逮捕しました。

西口彰死刑囚は逃亡中に詐欺で80万円をだまし取り、5人を殺していました。1970年12月11日に福岡拘置所で死刑執行される際、「遺骨は別府湾に散骨してください、アーメン」と言ったのが最後の言葉でした。

■テレビドラマ化され陣内智則主演
西口彰事件はお笑い芸人の陣内智則が主演でテレビドラマ化されています。

放送されたのは2014年10月12日「Mr.サンデー」

「Mr.サンデー」は報道番組ですが、西口彰事件を詳細に再現。西口彰死刑囚が読んでいた本・帽子やメガネなど服装にいたるまで、50年前の当時を忠実に再現してリアルでした。

■ほかにもテレビドラマ化
1984年TBSで「一億人を敵にした男 復讐するは我にあり」として根津甚八主演でテレビドラマ化されています。

■映画化もされている
西口彰事件は映画化もされています。
1979年公開の映画「復讐するは我にあり」で、主演は緒形拳でした。

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