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小林麻央さんの乳癌の経緯をまとめてみると、乳癌の発覚時期が遅れた原因は、再検査を放置したからという見方も出来ますし、最初が誤診でセカンドオピニオンが必要だったという見方もできます。
ブログで小林麻央さんが、乳がん発覚までの経緯や、病状「ステージ4」の闘病生活を赤裸々につづってくれたおかげで、乳癌だけでなく癌に対するたくさん知るきっかけになりました。
目次
■【小林麻央の乳癌の経緯】2014~2015年
【2014年2月】しこりはがんではない?
市川海老蔵さんと夫婦で受診した人間ドッグで、胸のしこりに気が付き、左乳房に腫瘤が見つかりました。
腫瘤ががんである可能性は五分五分であり、病院で再検査を勧められました。
いわれた通り病院で再検査。
触診・超音波検査・マンモグラフィーをしますが「がんではない」という結果に。
生体検査をする必要があるか医者に尋ねたところ、授乳中のしこりだから心配ないとされ、半年後に検査しましょうと言われました。
【2014年10月】乳がんだった
半年後に受ける予定だった生体検査は多忙のため、行っていなかった。
しかし10月、長男・勸玄くんと遊んでいる際に、左胸にパチンコ玉ほどのしこりに気づき、生体検査をした結果、しこりは「乳がん」だと判明しました。
さらに乳がんは、胸・脇のリンパ腫に転移していました。
【入院】
入院して放射線治療などを行いましたが、世間には乳がんは極秘にしていました。
【2015年11月】勸玄くんの初お目見え
抗がん剤治療など、極秘の闘病生活を続けながら、勸玄くんの初お目見えがあり、病床から駆けつけていました。
当時、マスコミやネットでは小林麻央さんが公の場に長い間姿を現していないため、妊娠説が浮上していました。
■【小林麻央の乳癌の経緯】2014~2016年
【2016年6月9日】乳がんを公表
朝、小林麻央さんが癌であるとニュースが。
午後には市川海老蔵さんが会見。
乳がん判明から1年8カ月後、市川海老蔵さんが小林麻央さんが乳がんであると公表しました。
病状は「かなりのスピードで進行し深刻な状況」であるとし、手術もできないほどだと明かしました。
【2016年9月1日】ブログ開設
小林麻央さんが医者から言われた「がんの陰に隠れないで」という言葉に心動かされ、公式ブログ「KOKORO.」を開設。
肺や骨などへの転移も明かす、がん判明までの経緯や闘病の様子を赤裸々につづり、大きな反響を呼びました。
【2016年9月下旬】初めての手術
乳がんが判明してから、初めての手術です。
根治手術ではなく、乳がんの患部や転移した脇のリンパ節を切除する局所コントロールで「QOL(クオリティーオブライフ=生活の質)を落とさず守るための手術」でした。
手術をしても、肺や骨に癌は残っていて、痛みはある状態。
「これからが闘い。奇跡は先にあると信じています」と回復への強い思いを綴っていました。
【2016年10月3日】ステージ4公表
ブログで乳がんが「ステージ4」だと公表し、それでも治して5年後も10年後も生きたいと綴っていました。
その後退院して、自宅療養しながら2人の子供の、幼稚園の運動会にも参加するほど元気に。
通院しながら治療を続けていました。
【2016年12月後半】再入院
しかし再入院。
ブログ登録者数は200万人を超えて、イギリスBBCが発表した「今年の女性100人」にも選ばれるほど、小林麻央さんの闘病する姿は、日本だけでなく世界中の感動を呼んでいました。
■【小林麻央の乳癌の経緯】2014~2017年
【2017年1月9日】
乳がんを発表後、初めてテレビ出演。
日テレ「市川海老蔵に、ござりまする。」でVTR出演しました。
小林麻央さんは
「役者・市川海老蔵をパートナーとして支えられるチャンスを神様くださいっていつも思うんですね。主人と結婚したからこそ、こうして生きていられる」と涙ながらに語り
市川海老蔵さんは
「(昨年の早い時期に)絶対に治らないレベルの病気だった。早かったら(16年の)3、4、5(月)で多分もうダメだった。夏は絶対無理だと思った」と明かしました。
【2017年1月29日】再び退院
再び退院して、通院治療となります。
この頃、癌は皮膚とお腹に転移していて、食欲も衰えても栄養を摂ろうと頑張っていました。
退院後は、自宅で手料理を作ったり、市川海老蔵と買物デート、2人の子供たちと遊ぶなど、回復の兆しを見せていました。
しかし・・・
【2017年4月22日】再入院して手術
「10日前まで普通に歩けたのに、10歩歩くのもやっとになってしまった」
食事は固形物が難しくなって、ペースト状に変わり、発熱も続く苦しい状況に。
再入院して、輸血や、鎖骨の血管下に点滴用ポートを埋め込む手術。
【2017年5月】がんが顎に転移
がんが顎に転移していることをブログで公表しました。
【2017年5月29日】退院して在宅治療へ
退院して、在宅治療に。
来年の娘の卒園式に着物で出たいなど、母親してのささやかな願いをブログに綴っていました。
【2017年6月4日】高熱
39度台の高熱を出しましたが「どうなったって生きるしかない」と強い想いを綴っていました。
【2017年6月20日】最後のブログ
タイトル「オレンジジュース」
「ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます」「朝から笑顔になれます」と書いた記事が最後になりました。
【2017年6月22日】死去
6月21日夜に容体が急変し、22日に家族に見守られながら天国へ旅立ちました。
話すことも出来ないはずなのに、市川海老蔵さんに「愛してる」と最後の言葉を残しました。
闘病生活は2年8カ月。
回復の願いは叶いませんでした。
享年34才。幼い子供2人を残して早すぎる死去でした。
■小林麻央の乳癌 発覚時期が遅れた原因は放置したから?
小林麻央さんの乳がんが発覚したのは2015年10月で、人間ドッグでしこりが見つかってから8か月後です。
最初、半年後に再検査をするよういわれたものの、多忙で放置していて、2ヵ月遅れで再検査したら乳がんが発覚しました。
発覚時期が遅れた原因は放置したからという見方もできます。
しかし人間ドッグでしこりが見つかった時に、乳がんの疑いは五分五分といわれ、病院で検査して「がんではない」という結果だったとき、セカンドオピニオンを受けたいたら違う結果になっていたかもしれません。あとあとブログでも「あのとき、もうひとつ病院に行けばよかった」と綴っています。
人間ドッグを受けた当時は小林麻央さんは授乳中でした。
授乳中は母乳のつまりなどが原因でしこりが出来るため、乳がんとの区別は医者でも難しいそうです。
当時、小林麻央さんは乳腺専門の知人2人に話し、「授乳中のしこりでがんの可能性が五分五分とはオーバーだねと言われ大丈夫」ともいわれ安心したのでしょう。
小林麻央さんは優しい人なので、知人を疑ってセカンドオピニオンを受けることも出来なかったのかもしれません。
小林麻央さんが闘病生活や経緯を明かしたことで、放置すると発覚時期が遅れることや、セカンドオピニオンの重要性に気づかされた人は多いと思います。
ご冥福をお祈りします。
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