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前文部科学大臣で元プロレスラーの馳浩さんが、プロレスリングマスターズで11年ぶりにリング復帰を果たします。
馳浩さんの今嫁はタレント高見恭子さんで、実は再婚同士。子供もいます。
馳浩さんは文部科学大臣を1年足らずで退任していますが、退任理由とはなんでしょう?留任しなかった理由に迫ると現在の政治の世界が垣間見えてきました。
目次
■馳浩 プロレスリングマスターズで「大臣になって戻ってくる」
馳浩さんは、7月26日のプロレスリング・マスターズに出場し、「大臣になって戻ってくる」とファンとの約束を果たします。
プロレスリング・マスターズとは、達人(マスターズ)が集結する大会。
6月時点で対戦カードについて
武藤敬司さんがザ・グレート・カブキ、TNTと組んで
藤波辰爾、長州力、X氏の組と対戦すると発表していました。
このX氏というのが、馳浩さんだったんですね。ジャイアントスイングに期待です。
■馳浩 経歴プロフィール(画像)
昨日の会場で衆議院議員の馳浩さんとお話しさせていただけました!
プロレスラーから転職されて今は文部科学大臣✨
本当にすごい!!!!#プロレス #馳浩 #衆議院議員 #衆議院 #文部科学大臣 #文部科学省 pic.twitter.com/qKwHYjBELv
— 🍈きっくん🍑 (@kikuyoshi0522) 2017年5月14日
名前:馳浩(はせ・ひろし)
生年月日:馳浩(はせ・ひろし)
出身:富山県小矢部市
大学:専修大学文学部国文学科
前嫁:ビクトル古賀の娘
今嫁:タレントの高見恭子
職業:政治家(自民党の衆議院議員)
馳浩さんは、大臣になった元プロレスラーという異色の経歴の持ち主。
レスリングを始めたのは、星稜高校時代で3年生で国体優勝しました。
■文武両道の大学時代
大学は専修大学文学部国文学科に進学。4年生で全日本学生優勝。
大学時代は国文学の講義・ゼミを修め
レスリングで五輪出場を目指しながら
成績優秀な学生だけができる教授のカバン持ちをして学会に同行するなどしていました。
文字通り、文武両道をしたすごい人です。
■教師時代
大学卒業後1984年、馳浩さんは母校・星稜高校で国語教師を務めます。体育ではなく国語(古典)というところがポイント。
教師になったこの年、グレコローマン90キロ級でロス五輪出場という目標を果たしますが、残念ながら予選敗退。
翌1985年に教師を辞めてジャパンプロレスに入団しました。
■プロレスラー時代(画像)
会社の後輩女子から「こんなに黄色が似合う人いないですよね」って某イケメン俳優の写真見せられたんですが、やっぱり若き日の馳浩さんの勝ちだった。#馳浩 #njpw pic.twitter.com/VHrwmDSAbC
— ダゼー・ファンク Jr. (@dazeyfunkJr) 2017年6月28日
ジャパンプロレスで1986年にプエルトリコでデビューを飾り、翌年に新日本プロレスに移籍します。
新日本プロレスでは
1987年小林邦昭とのデビュー戦史上唯一の快挙「IWGPジュニア王座奪取」を実現
IWGPタッグ王座を3度獲得するなど馳浩さんは大活躍。
■国会議員から文部科学大臣に!
プロレスデビューから10年経とうという1995年、自民党からスカウトされて参院議員に立候補。みごと初当選したのでした。2000年には衆院議員になっています。
プロレスラーと国会議員の二足のわらじ、大学・教師時代のように文武両道を続けますが2006年に馳浩さんはプロレスラーを引退しました。
その後、
2003年9月 文部科学大臣の政務官に就任
2005年11月 文部科学 副大臣に就任
2015年10月 ついに文部科学大臣に就任したのでした。
■馳浩の嫁は高見恭子(再婚同士)
高見恭子って
馳浩の奥さんだって!
遅ればせながら 本日知った(^^)/ pic.twitter.com/C7gP6mXOc8— テツにゃん☆ (@kusoponta77) 2017年5月2日
馳浩さんの現在の嫁はタレントの高見恭子さんですが、再婚同士です。
最初の結婚は、馳浩さんが修行していたロシアの国技「サンボ」の師匠・ビクトル古賀さんの娘です。
出会いは、娘が練習の付き添いで来ていたのがきっかけのようです。料理がすごく上手かったそう。
離婚原因は明らかにされていません。
■再婚した今嫁が高見恭子
1995年3月、馳浩さんはタレント高見恭子さんと再婚しました。
出会いは、衆議院議員の松浪健四郎さんからの紹介で、交際期間1年を経ての結婚でした。
出会った翌日に高見恭子さんの母親が亡くなり、馳浩さんは葬儀を仕切ってあげるやさしさをみせています。
馳浩さんと嫁の高見恭子さんは
2015年「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」に理想の有名人夫婦として選ばれるほどラブラブ。
夫婦円満の秘訣は
「結婚してから一緒の布団でずっと寝ていること」
「感謝の気持ちを持ち続けること」
だといいます。
2人の間に子供は、現在19才の娘がいます。
■高見恭子 経歴プロフィール(画像)
名前:高見恭子(たかみ きょうこ)
生年月日:1959年1月5日
出身:東京都渋谷
父親:作家の高見順
母親:高見の愛人・小野田房子
高見恭子さんは、作家の高見順さんとその愛人・小野田房子さんの間に生まれた子供です。
作家の高見順さんは、1935年年「故旧忘れ得べき」で第1回芥川賞候補に選ばれた作家。
その後の小説「生命の樹」に登場するホステスのモデルが、小野田房子さんでした。
高見順さんは1965年に食道がんで死去されていますが、死去10日前、当時6才の高見恭子さんは正妻・秋子さんの養女に迎えられ、高間家の一員となりました。
■芸能界入り
高見恭子さんは14才で雑誌「MC SISTER」でモデルデビューすると、スタイル抜群で人気になり、タレントでも活躍しました。エッセーも好評です。
■最初の結婚
1990年5月21日、高見恭子さんは年下の美容整形医と極秘結婚しました。
9月に結婚式を挙げたのですが、なんと11月に超スピード離婚。結婚から半年の離婚でした。
離婚理由は、高見恭子さんの手料理を旦那が拒否して外食に走るなど、価値観の不一致・・結婚前にわからなかったのでしょうか。
「幸せな家庭をつくり上げる途中で壊されちゃった感じ。クシャミしていた間に全てがなくなっていた」
■馳浩 文部科学大臣を留任せず・・・退任理由は?
馳浩さんは2015年10月に文部科学大臣に就任しましたが、2016年8月には退任しています。あっという間の退任で留任ならず。なぜ?退任理由はなんでしょう?
どうやら自民党には、入閣待ちの中堅以上議員が60人もいるそうです。彼らにとっての政治とは、自民党の中でポジションをキープすることであり、その先にあるのが大臣職。
能力ではなく順番待ちで大臣が決まるというのは変な話ですが、大臣がしょっちゅう変わっても、実務を行っているのは官僚なので運営には問題ないのでしょう。
■退任理由は?
馳浩さんも自民党のそういう仕組みを理解していたので、第3次内閣で退任することになるとわかっていたと思われます。
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