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「羽田空港大爆破事件」は1967年(昭和42年)2月15日に羽田空港のトイレが爆破され、重軽傷5人の被害者を出した事件です。
犯人の青野淳ですが、重傷を負った被害者の1人は青野淳とその愛人を知っていて犯人だと証言。
10日後の2月24日、青野淳は宮崎県で逮捕されましたが、「羽田空港大爆破事件」犯行動機には、青野淳のとんでもない悪魔のような目的が隠されていました。
※8月3日アンビリバボーで放送※
目次
■「羽田空港大爆破事件」概要
1967年(昭和42年)2月15日19:05頃
羽田空港の国内線出発ロビー1Fの男子トイレで、ダイナマイトが爆発して5人が重軽傷、うち2人は重傷を負う事件が発生しました。
警察は、重傷を負った本田弘さんから事情聴取。すると本田弘さん「犯人は青野淳とその愛人だ」と証言しました。
犯人が羽田空港のトイレを爆発させた動機とは?
犯人が本田弘さんを被害者に選んだ理由とは?
そこには驚くべき目的が隠されていました。
■「羽田空港大爆破事件」犯人は青野淳 犯行動機がやばい
犯人の青野淳(当時23才)は、被害者の本田弘さんの友人でした。
「羽田空港大爆破事件」犯行の動機は、青野淳が自分の身代わりとして本田弘さんを飛行機ごと爆破して殺す「擬装自殺」でした。
■犯行の動機
1966年(昭和41年)4月
青野淳は兄が主犯の8人で、上野にある兄の勤務先「喫茶店ニューオリンズ」に強盗に入り、現金500万円を強奪しました。
しかし5月に上野駅で逮捕されて、「羽田空港大爆破事件」の頃は仮釈放中の身でした。
「羽田空港大爆破事件」を実行したのは1967年2月15日。
3日後の2月18日に強盗事件の判決が、おそらく金庫破りで懲役3年が下されるはずで、青野淳は刑から逃れるために「身代わり殺人」を計画。
友人の本田弘さんを騙して時限爆弾を持たせて、飛行機ごと爆発させるつもりでした。乗客も巻き込んでの大惨事です。
「青野淳に似せた本田弘」が死ぬことで、本当の青野淳は刑を逃れることができるから。
■失敗してトイレで爆発
計画では本田弘さんを飛行機に乗せて爆破するつもりでしたが、本田弘さんが飛行機に乗らなかったので、トイレで時限爆弾を爆発させて、青野淳は逃げました。
しかし不幸中の幸い、本田弘さんは一命をとりとめ、犯人が青野淳であると証言。
■宮崎県で逮捕
青野淳は全国指名手配され、警察による大捜索が行われました。
事件から10日後
2月24日
東京から遠く離れた宮崎県高千穂町「国民宿舎高千穂荘」で見つかり、青野淳は愛人と一緒に逮捕されたのでした。
■「羽田空港大爆破事件」犯人は青野淳 手口が酷い
青野淳はどんな手口で友人の本田弘さんを騙して時限爆弾を持たせたのでしょうか。
友人といっても2人は出会ったばかりでした。
茨城県日立市
ダンスホール
本田弘さんの知人女性が、似ている男性がいると青野淳を紹介しました。
本田弘さんは青野淳は顔が似ていたんです。
1967年(昭和42年)2月13日
(羽田空港大爆破事件の2日前)
本田弘さんは喫茶店に呼ばれ、名古屋へ荷物を運んだら20万円という話を、手付金2万円つきで青野淳と愛人から持ち掛けられます。
本田弘さんは失業して工員をしていたのでこれは美味しい話です。
1967年(昭和42年)2月14日
(羽田空港大爆破事件の前日)
品川のホテルで待ち合わせ。
そして床屋で本田弘さんを無理やり、青野淳と同じ五分刈りにしてそっくりさんに仕上げます。
1967年(昭和42年)2月15日
犯行当日。
一緒に羽田空港に行って、当初の名古屋ではなく大阪へ行くよう青野淳が指示。
渡されたカバンが時限爆弾入りだと知らされた本田弘さんがビビると、トイレに連れていって爆破したのでした・・・。
■「羽田空港大爆破事件」犯人の青野淳の生い立ち
犯人の青野淳は不良少年でした。
中学では暴力をふるう問題児。
日立市の中学校を卒業後は高校へ行かず、町工場で溶接工の仕事をしますが、不良仲間と盗みを働いてクビに。
その後上京すると兄と合流して、バーやキャバレーなど仕事を転々としました。
青野淳は結婚しましたが、バーテンをしていた時期に都庁のエレベーターガールと出会い彼女を愛人とします。青野淳の愛人になってからは風〇に転落。
愛人は「羽田空港大爆破事件」の頭脳として青野淳に入れ知恵をしたとみられました。
この愛人と出会わなければ、こんなに手の込んだ爆破事件など起こさず、ただの強盗犯で終わっていたかもしれません。
■「羽田空港大爆破事件」は「草加次郎事件」の模倣犯の一面も
「羽田空港大爆破事件」が起きた当時、実は「草加次郎事件」という爆弾事件が続いていました。
最初に狙われたのは芸能人。歌手の島倉千代子に差出人不明の小包で爆弾が届き、事務員が負傷しました。犯人の名前らしき「草加次郎」と記載があり不気味でした。
その後、1か月で5回にわたり爆発物事件が連続。しかし結局犯人は特定できず、被害者が増えるばかり。
現金の受け渡し要求があったが犯人は姿を見せず。それが「草加次郎」の最後の犯行でした。
「羽田空港大爆破事件」は「草加次郎事件」にヒントを得た模倣犯の一面もあったかもしれません。
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