【(S銀行)滋賀銀行9億円横領事件】犯人の奥村彰子とヒモ山県元治の現在「その後はどんな人生を送ってるのか」

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「(S銀行)滋賀銀行9億円横領事件」は犯人・奥村彰子(画像)が1人で9億円もの巨額の横領をし、ヒモ男に6年間も貢ぎ続けた史上最悪の横領事件。

ヒモ男の正体は、ギャンブル中毒の元タクシー運転手・山県元治。奥村彰子はベテラン行員の立場を利用して横領を続けましたが、転勤を機に犯行がバレて逃走。山県元治にも裏切られ2人とも逮捕されました。

奥村彰子と山県元治は逮捕その後、出所後の今現在どうしてるのでしょう?

日本を驚かせた「(S銀行)滋賀銀行9億円横領事件」の手口にも迫ります。
 

■「(S銀行)滋賀銀行9億円横領事件」とは?概要


1973年10月21日、滋賀銀行山科支店に勤務するベテラン銀行員の奥村彰子(当時42才)が横領容疑で逮捕されました。

奥村彰子は自分の立場を利用して、定期預金・通知預金の偽造伝票を作成。
1968年から5年3ヶ月の期間に約1300回にわたって、史上空前の約9億円を横領していました。
その金のほとんどはギャンブルや贅沢三昧の10才年下の彼氏・山県元次(当時32才)に貢いで、自分は困窮した暮らしをしていました。

日本中を驚かせた3大銀行横領事件の一つです。
・1973年「滋賀銀行9億円横領事件」
 犯人:奥村彰子42才 5年3ヶ月で8億9400万円
・1975年「足利銀行詐欺横領事件」
 犯人:大竹章子23才 4年で2億1000万円
・1981年「三和銀行詐欺横領事件」
 犯人:伊藤素子32才 1度に1億8000万円

■横領の流れと逮捕

●1966年秋~1967年5月
 定年退職した顧客Kさんの定期を偽造証書で中途解約し、100万円、70万円と引き出していき合計1240万円。
●1968年1月~
 預かった定期預金元票にあった「20万円1年定期」から預金証書を偽造。
 ↓
 その後、定期の中途解約では彼氏の要求する金額に追い付かず、架空名義を作って100万円単位で引き出し始める。
●1972年10月~
 定期・通知預金の事務決済者を任されて、横領に拍車がかかる。
●1973年2月 横領が発覚
 山科支店から東山支店に異動することになる発覚を恐れて失踪。
 山科支店では奥村彰子が巨額な金を横領したことが判明し大パニック。
 2月19日、全国に指名手配され、彼氏の山県元治はマスコミから大注目される。
●1973年10月 逮捕
 10月15日、山県元治がぞう物収受容疑で逮捕
 ※1970年5月に別の女性と結婚して長女をもうけていた。
 10月21日、奥村彰子が逮捕される
 ※偽名で大阪のアパートに潜伏していた
●被害額は、1300回にわたって引き出し、史上空前の総額8億9400万円だっ

■松本清張「黒革の手帖」モデル

松本清張さんの小説「黒革の手帖」の主人公・元子の横領の手口は、「滋賀銀行9億円横領事件」をモデルだといわれています。

ただ、元子は自分のために横領した金を使いましたが、奥村彰子はヒモ彼氏のために横領して自分は贅沢しなかったのでその点は異なります。
 
 

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■「女として自信がない」犯人・奥村彰子 プロフィール(画像)


名前:奥村彰子
出身:大阪府北河内郡
生年月日:1930年12月
兄弟:3人姉妹の末っ子

奥村家は大阪から京都市左京区へ引っ越し、奥村彰子は1948年3月に市立堀川高女を卒業。
当時は学制改革があり高校3年に編入しますが、母親が共学に反対して7月で退学します。
母親は、父親が愛人を作って出て行ったので男性不信だったのです。

高校退学後の12月、奥村彰子は滋賀銀行京都支店に入行。
彼氏の有無については母親の男性不信の影響なのか?縁談はなかなかまとまりませんでした。
「男に負けたくない」と仕事熱心だったことも男を遠ざけたかも。

■「史上最大のヒモ男」元タクシー運転手の山県元治


名前:山県元治
出身:朝鮮
生年月日:1940年
兄弟:七男五女の五男
父親の職業:警察官

高校受験に失敗したので、ガラス店で住みこみで働きながら定時制の商業高校に通います。この頃友人に誘われて競艇ギャンブルを覚えます。

夢は歌手になることで、お洒落にして鼻も整形手術し、歌声喫茶で歌を披露したりして女性にモテモテでした。

ガラス店に勤務してから6年後、独立して陶器店をオープン。しかし競艇ギャンブルが原因ですぐ店は潰れます。
次はタクシー運転手となりますが、売上金の納金をごまかしたのが原因でクビになり、会社を転々とします。その頃、奥村彰子と運命の再会を果たします。
 
 

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■奥村彰子と山県元治の出会い~馴れ初め、横領


■奥村彰子と山県元治の出会い
1965年春、奥村彰子は35才で滋賀銀行北野支店に勤務。
ある日、彼氏と喧嘩して落ち込んでいた時、職場の懇談会の帰りのタクシー運転手が山県元治でした。

酔って泣いている自分に優しく声をかけてくれたことで会話が弾み、30分ほど京都市内をドライブしましたが、奥村彰子は「また会いたい」と思ったものの自信がないから嘘の銀行名を告げて帰りました。

■山県元治と運命の再会
1966年春36才
奥村彰子は山科支店へ転勤し、普通預金係になりました。
帰りのバスの中で「あの時の彰子さんではないですか?」と声をかけられ山県元治と再会。
山県元治はお茶に誘い、兄が下関で商売してるから小遣いがたっぷりあるのでギャンブルで負けても平気だとか、景気のいい話を面白く話し、奥村彰子は惚れました。

一方で、奥村彰子はが定期預金をしてくれないか電話で数回頼みましたがすべて断れました。断られれば断られるほど、奥村彰子は夢中になり積極的になり、何度の食事デートを経て交際がスタート。

■自分や家族の金を貢ぎ始める
交際が始まるとすぐ山県元治は競艇ギャンブルのために金が必要だと言い、奥村彰子は5000円や1万円を貸していました。
金の要求は続いていき、奥村彰子は自分や家族の貯金からも金を出しますが、金は返ってこなくてもいいと思っていました。36才の奥村彰子にとって山県元治は結婚できるかもしれない最後のチャンスだから。山県元治はこの金で車を買いヒモ生活に味をしめます。

■顧客の定期預金を横領して貢ぐ
1966年秋
奥村彰子は普通預金係から定期・通知預金係に異動になり、定年退職した男性子顧客Kさんから露骨に好意を寄せられ、証書などを預けられます。
Kさんが定期預金100万円を申し込んでくれたことを山県元治に話すと、買いたい車(中古コロナ)があるので必ず返すから40万円貸してくれと迫られ、最初は「人の金だから」と断ったものの結局、定期を偽造証書で中途解約して100万円を引き出します。しかし山県元治が金を返すことはありませんでした。

1966年末
奥村彰子は顧客Kさんに色目を使って、定期預金をさせ続けます。

1967年5月
奥村彰子は顧客Kさんに定期を途中解約されたら困るので、肉体関係を持ちます。山県元治はムッとしつつもやめろとは言わず、顧客Kさんの定期合計1240万円はすべて山県元治に貢ぐ結果に。
 
 

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■銀行の金を横領して貢ぐ
1968年38才
1月の仕事始め、山県元治からの要求は止まりませんが、顧客Kさんの定期預金はもうぜロ。
すると自分の預かっていた定期預金元票から「20万円1年定期」を発見したので、預金証書を偽造。
支店長と代理の印鑑は油紙で転写し、ついに銀行の金を横領し始めました。

一度大きなハードルを越えれば横領は大胆にエスカレート。
定期の中途解約では山県元治の要求する金額に追い付かず、架空名義を作って100万円単位で引き出し始めます。

銀行の金を横領して4年
1972年10月
奥村彰子は定期・通知預金の事務決済者を任され、横領しやすくなったのでますますエスカレート。

■横領がバレるので逃亡
1973年2月1日(木)42才
奥村彰子は山科支店から東山支店に転勤することになり、このままでは横領がバレるので山県元治に電話。しかし睡眠薬を用意するよう命じられ、心中するのかと思って京都で1週間後の8日(木)に会ったらまた金の催促をされました。
一緒に逃げてほしいとせがみますが山県元治は聞かず、300万円を受け取り下関へ帰りました。

2月11日(日)・13日(水)
奥村彰子は下関へ行って、かくまってほしいと頼みますが断られ、帰宅後に失踪します。
そのころ山科支店では奥村彰子が巨額な金を横領したことが判明し大パニック。

2月19日(月)
全国に奥村彰子は指名手配され、彼氏の山県元治はマスコミから大注目されます。無職なのに外車とモーターボートを数台所有し、自宅は豪邸、ギャンブルで1日で1000万円浪費する生活をしていたからです。さらには兄や母親なども突然羽振りが良くなるなどどう考えても普通じゃないから。

■逮捕される
1973年10月15日(月)
山県元治32才はぞう物収受容疑で逮捕され、奥村彰子の居場所を簡単に白状しました。
ちなみに奥村彰子に大金を貢がせていたなか、1970年5月に別の女性と結婚して長女をもうけていました。

1973年10月21日(日)
奥村彰子は偽名で大阪のアパートに潜伏していましたが、山県元治が居場所を言ったので逮捕されました。
 
 

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■判決


逮捕当時は、横領した被害額は4億8000万円とみられていました。
しかし奥村彰子と山県元治の供述から7億円以上だとわかり、その後の裁判で史上空前の総額8億9400万円だったと判明。奥村彰子は1300回にわたって現金を引き出していました。

また奥村彰子は逮捕後に、山県元治が自分と交際中に別の女性と結婚して子供がいると初めて知り、愕然としました。

1976年6月29日
判決が下りました。
奥村彰子が懲役8年
山県元治が懲役10年

さらに銀行に対する賠償金として
奥村彰子が1000万
山県元治が3000万円
の支払い命令が下りました。

実行犯の奥村彰子よりも、結果的に横領を強要した山県元治のほうが罪が重いという判決ですね。

■犯人・奥村彰子と山県元治 その後 出所後の今現在はどんな人生を?


奥村彰子はその後、和歌山女子刑務所に服役しましたが、有名人なので好奇の目で見られ、おどおどした態度からイジメにもあったといいます。

懲役8年の刑期を終えて出所後の今現在、奥村彰子の年齢は86才。
噂によると、逮捕前に同棲していた彼氏が出所後に迎えにきて、結婚したといわれていますが・・・逮捕前に彼氏がいたとは思えないので違うのでは?

山県元治のような貢ぐ男でなく、まともな男性と結婚して幸せな晩年を送ってると良いですが。

そんな山県元治は出所後の今現在、年齢は77才。懲役10年は短かったと思います。現在は懲りてヒモはしてないと願いたいですが、ずるがしこい人間ほどいい暮らしをしたりもする世の中なので、わかりません。貧乏でいてほしいです。
 
 

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