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古尾谷雅人さんは45才で死去した俳優で、死因は自殺でした。発見者は嫁・鹿沼絵里さんでした。
死因となる自殺に至るまでには、仕事の激減、借金の膨れ上がりなど生活苦がありました。さらに嫁にDVする自分、元女優の嫁が家計のために介護とスナックで働く状況に悩んでいました。
残された嫁・鹿沼絵里さんは現在65才ですが、介護職で働き、旦那が残した借金をまだ返済中です。
嫁・鹿沼絵里さんは若い頃にはゴレンジャーに出演した女優で、旦那からのDVが原因で子供たちを連れて夜逃げしたこともありました。
古尾谷雅人さんの子供は2人、息子と娘がいます。息子も俳優で、娘も女優という芸能一家でした。現在はどうしているのでしょう?
目次
●古尾谷雅人の死因は自殺(画像)
名前:古尾谷 雅人(ふるおや まさと)
出身地:神奈川県川崎市
生年月日:1957年5月14日
死去:2003年3月25日(享年45才)
死因:自殺
古尾谷雅人さんは、旧家の大家族の生まれ。幼少期に実の母と生き別れ、父親と継母に育てられました。そんな生い立ちが影響してか、気が小さいのに外では虚勢を張る性格に。
台本を1冊まるごと暗記するほどストイックで完璧主義者。クールで無骨な俳優として知られましたが、素顔は気が小さくシャイでした。
古尾谷雅人さんは20才で芸能界デビュー。
1980年23才のとき映画「ヒポクラテスたち」でヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞。
1981年にも映画「スローなブギにしてくれ」でエランドール賞を受賞。
1982年に結婚してからも、ドラマ「北の国から’87恋」や「金田一少年の事件簿」などで人気俳優となり、数々の映画賞に輝きました。
プライベートでは、家では子煩悩で優しいパパでした。
■仕事が激減、借金地獄
しかし順調たっだ俳優人生も、30代半ばから狂い始めます。
古尾谷雅人さんは役にこだわり過ぎて、気に入らない仕事は断ったので、次第に仕事が減少していきました。
文京区目白台にある1億4500万円で購入した自宅兼事務所のマンションのローンの支払いがきつくなってきます。
毎月200万円を支払うことができず、元金据え置き、利息のみの25万円にしてもらい、大きな収入があった時にまとめて支払う約束に変更。
しかしそれでも支払いは滞りがちになりました。住民税も滞納するほど。
ローン地獄で生活は苦しくり、借金は最終的になんと3億円に膨れ上がりました。
■嫁にDV
古尾谷雅人さんはやがて、自宅でモノに当たったり、昼間から酒を飲むようになります。
酒を飲むと人格が豹変し、うっぷんを晴らすため嫁・鹿沼絵里さんにDV。そんな自分に悩んでもいました。
嫁・鹿沼絵里さんの横腹に蹴りを入れ、体だけでなく顔にも蹴りを入れていき、ソファが鼻血で赤く染まります。
嫁が「顔はやめて!」と懇願しても無視し続け、全治5か月の重傷を負わせたことも。
■嫁が夜逃げ
古尾谷雅人さんが「お前ら、ぶっ殺してやる」と包丁を手にしようとしたので、嫁・鹿沼絵里さんは子供2人を連れて夜逃げしたこともありました。
そんなことをする一方で古尾谷雅人さんは「現場で血を吐いて死ねたらなあ。それが役者の花道というものだよ」と漏らすこともありました。
■嫁が働き始めると自殺
嫁・鹿沼絵里さんは借金で苦しい家計を助けるため働き始めます。
元女優のプライドは捨てて、昼間は介護施設で介護の仕事、夜はスナックで働くという働きづめの毎日です。
その頃から古尾谷雅人さんは
「万が一、死んだとするよね」
「僕が死んたら、僕の偉大さがわかるよ」
など、死を連想させるようなことを言うようになります。
その3日後、2003年3月25日、自宅の寝室で首つり自殺。当時、息子は20才、娘は17才で、発見者は嫁でした。
葬儀には「金田一少年の事件簿」で共演したKinkiKids堂本剛さんなどが参列しました。
●古尾谷雅人の嫁 鹿沼絵里(画像)
ゴレンジャー出演の鹿沼絵里さん 介護仕事と借金返済に奮闘 https://t.co/s13iTXYMf2 #日刊ゲンダイDIGITAL
— 唐谷好二 (@infnm9) 2017年10月8日
名前:鹿沼絵里(かぬま えり)
出身地:東京都
生年月日:1952年12月1日
年齢:現在65才
所属:正木ルーム
古尾谷雅人さんの嫁・鹿沼絵里さんは3才年上の姉さん女房。1979年にっかつ映画「団地妻・肉欲の陶酔」で共演し、1982年に結婚しました。
結婚式は、森進一・大原麗子夫妻の晩酌でした。
若い頃は女優としてゴレンジャーで「モモレンジャー」役を演じていました。
ゴレンジャーでお気になキャラは
イーグル連絡員007こと加藤陽子ちゃん
第58話ではモモレンジャーに扮したことも
演じたのは鹿沼えりさん
「イナズマンF」第7話でもゲスト出演なされてました pic.twitter.com/0U1849wqPh— どうちゃん (@doude373) 2016年4月5日
古尾谷雅人さんが死去したあと、鹿沼絵里さんはさらなる不幸に見舞われました。
1年後、実の母親が「骨粗しょう症」の苦しい痛みから逃れるため、農薬を飲んで自殺未遂。命は助かりましたが1年後に死去しました。
すると嫁の後を追うように実の父親も自殺しました。
旦那だけでなく両親も失った鹿沼絵里さんは絶望し、旦那が自殺した寝室で後追い自殺しようとします。しかし娘に引き留められました。
鹿沼絵里さんは2006年頃に東京・神楽坂でスナックを開きましたが2010年に閉店。芸能プロダクションも手掛けていましたが、現在は介護資格1級を取得して、都内の介護施設で働いています。
現在も旦那が残した借金の返済に奮闘中。
また、現在65才ですが、今年になって大動脈解離に襲われ体に障害があるとか。
■大動脈解離とは?
大動脈の壁に 亀裂きれつ(エントリーと呼ぶ)が入り、壁が内膜と外膜とに分離されてしまう病気を大動脈解離といいます。突然に発症することが多く、その場合は急性大動脈解離と呼ばれ、急性 心筋梗塞しんきんこうそくとならんで、すぐに対処が必要な循環器の救急疾患です。
引用:ヤフーヘルスケア
大動脈解離は日本では、心筋梗塞に次いで2番目に多い死因なので注意が必要です。
●古尾谷雅人の息子は高藤疾土!
高藤 疾土(たかとう はやと)
本名:古尾谷 雅
出身地:東京都
生年月日:1983年1月7日
年齢:現在34才
学歴:実践中学高校卒
古尾谷雅人さんが自殺した当時、20才だった息子も俳優でした。
2005ドラマ「ごくせん第2シリーズ」や2003秋ドラマ「ライオン先生」など人気作に脇役で出演。
特にブレイクすることなく、父親の死後、現在は俳優を辞めて芸能界からも引退しています。
●古尾谷雅人の娘は水野快令(画像)
水野快令(みずの れい)
生年月日:1985年11月26日
出身地:東京都
所属:正木ルーム
古尾谷雅人さんが自殺当時、17才だった娘は女優です。当時、父親の遺体を前にして母親に「こうなってほしかったんでしょ!お母さん」と言ったとか。
水野快令さんは1992オムニバスドラマ「恋人たちのターミナル」で女優デビューし、親子共演もしています。
当時インタビューで、古尾谷雅人さんは娘の前でダジャレを言って笑われたエピソードを幸せそうに語っていました。
水野快令さんは兄が出演した「ライオン先生」や2005SPドラマ「年下のひと」にも出演。
モデルとしても2004年にDVD「水野快令~私をさがして~」を発売したあと、現在は特に目立った芸能活動はしていません。
●ネットの反応
ゴッホや川端康成や三島由紀夫や芥川龍之介や古尾谷雅人にはなりたくない。自分を追い詰め結局は自殺した。自殺する人生なんてまっぴらだ。楽観的とまでは行かなくても最期は笑って死にたい。#ゴッホ #川端康成 #三島由紀夫 #芥川龍之介 #古尾谷雅人 #自殺 #自殺はしない #笑って死ぬ #追い詰めない
— omotetakashi (@omotetakashi) 2017年12月1日
人それぞれ感じ方は違うかも知れないけど、これは私の思い出。かつてヴェーラのトークショー後にサインをいただいた時の鹿沼絵里さんは「(ロマンポルノの上映時に)女性のお客さんが来てくださると嬉しい」と仰って顔をクシャッとさせて笑ってくれた。あの時の鹿沼さんの笑顔は本当に美しかったです。
— hamanokani (@hamanokani) 2017年11月26日
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