川地民夫が現在死去(画像)死因は脳梗塞。再再婚した嫁と逗子で店をやっていた

【当サイトのリンクにはアフィリエイト広告が含まれています】

_

俳優の川地民夫さんが現在死去していました(画像あり)死因は脳梗塞でした。再再婚した嫁と逗子で店をやっていて、逗子の自宅で倒れて病院に搬送され意識を戻すことなく死去したのでした。

川地民夫さんは菅原文太さんと共演した映画「まむしの兄弟」シリーズが代表作で、コミカルな演技の名バイプレーヤー。大スター石原裕次郎さんと自宅が隣の幼馴染だったことも有名です。

プライベートでは川地民夫さんは事実婚を1度、結婚を3度経験。何度も再婚してますが、一途な人だったので離婚理由は浮気などではないようです。3人目の嫁がガンが死因が死去後は悲しみのせいか体調を崩しています。

死因の脳梗塞は、突然死を招く恐ろしい病気で日本人の死亡原因の第4位。川地民夫さんは何度も倒れていてついに死去してしまいました。
 
 

【スポンサードリンク】

 
 

■川地民夫 現在、死去。死因は?


川地民夫さんは2週間前、逗子の自宅でソファに座ってるところを嫁が声をかけても反応がなかったので病院に緊急搬送されました。しかし意識が戻らず2月10日に死去しました。

嫁や親友に見守られながら、苦しまず眠るように死去したそうで、死因は脳梗塞でした。

酒とタバコが大好きな川地民夫さんは、やめるように嫁や友人から何度も言われても最後までやめなかったそう。好きなことを貫いて死去したのは幸せかもしれません。

■死因の脳梗塞は3ヶ月前から

3ヶ月前、川地民夫さんは脳梗塞で倒れて入院。

その1ヶ月後にも脳梗塞で1週間の入院生活を経て、つえを突いて散歩できるまでに回復していたのですが。

■最近まで逗子の店で

川地民夫さんは再婚した嫁と逗子でバーを経営していました。最近まで店に出て映画界の裏話を話して客を喜ばせていたそう。

2014年にも倒れて半年間、体と言葉のリハビリして回復したそうですが、2017年に倒れたときは「今度倒れたら、そのまま置いといてくれ。死んだほうが楽だから」と嫁に言っていたとか。

優しくてみなから愛され、好きなことを最後までやり続け、人生を楽しんで死去したようです。

■川地民夫 プロフィール(画像)


名前:川地 民夫(かわち たみお)
本名:河地 猛
出身地:神奈川県逗子市
生年月日:1938年7月21日
年齢:享年79才
大学:関東学院大学 工学部土木建築科 中退
職業:俳優
主な作品:映画「まむしの兄弟」シリーズ

川地民夫さんは昭和の大スター石原裕次郎さんと幼馴染です。実は子供の頃、石原家が北海道・小樽から隣に引っ越してきたからです。石原裕次郎さんも慎太郎も、川地民夫さんの自宅によくご飯を食べに来て毎日一緒に遊んだ仲良し。

そんなことが縁で大学在学中の19才、石原裕次郎さんが「俺の家の隣に、バンドをやってるちょっと変わったのがいるよ」と川地民夫さんを紹介して日活に入社。1958年「陽のあたる坂道」で映画デビューしました。

小林旭さん・沢本忠雄さんとともに「三悪トリオ」として日活が売り出し、1959年「嵐を呼ぶ友情」1960年「海底から来た女」「雨に咲く花」などでアクション映画・青春映画に主演を果たしました。

その後は脇役に転じると独特のコミカルな演技で名バイプレーヤーに成長。1963年「野獣の青春」で突然キレる男の役を演じると鈴木清順監督の作品に欠かせない常連に。

そして川地民夫さんの代表作となったのが菅原文太さんと共演した「まむしの兄弟」シリーズ。1971年からは9本制作された大人気映画でした。

しかし1988年に再婚相手の嫁が死去して以来、川地民夫さんの脊椎の怪我や胃潰瘍など病気で1990年代始めまで苦しみ、映画・ドラマ出演が激減。

その後は体調も回復して、マイペースに仕事復帰した現在が報じられていました。
 
 

[スポンサードリンク]

 
 

■川地民夫 再婚が多い


川地民夫さんは事実婚含めて結婚を3度、離婚を2度、悲しい死別を1度経験しています。

映画で活躍していた時代、モテていた川地民夫さんですが、女性は1人に決めてよそ見しないタイプなので、離婚原因は不倫や浮気ではなかったようです。

■事実婚 嫁は女優の中原早苗

川地民夫さんは共演者の女優・中原早苗さんと事実婚でしたが、結局結婚することなく破局しました。

破局理由は、川地民夫さんが菅原文太さんと撮影が終わったら毎日飲み歩いていたから。

■結婚 嫁は一般人女性

中原早苗さんと破局したあと、一般人女性と今度はちゃんと結婚し、子供も女児2人に恵まれました。

しかし結婚から7年で離婚しています。

■再婚 嫁は麻生薫(死別)

再婚相手は元宝塚歌劇団の麻生薫さんでした。

出会いは、川地民夫さんがいきつけの飲食店を経営していたのが麻生薫さんの母親で、麻生薫さんが東京公演で上京したときに仕事の合間をぬって店を手伝ったとき。

そして麻生薫さんが1974年で宝塚を辞めると決めたとき、彼女の母親が「娘をもらってくれないか」と川地民夫さんに再婚を懇願して結婚が決まり、翌1975年に結婚式を挙げたのでした。

ところが結婚から9年後の1984年、嫁の麻生薫さんに卵巣癌が発覚。闘病4年後の1988年10月13日、41才という若さで嫁は死去。

川地民夫さんは嫁の死去の翌年「動かない手でVサイン-ガンで逝った妻、多香子に捧ぐ」という本を出して嫁の死を悼みました。

■再婚 嫁はハーフの一般人女性

嫁の麻生薫さん死去と自身の病気でずっと独身を貫いたましたが、2001年に現在の嫁と再再婚しています。

現在の嫁は、麻生薫さん死去後に出会った日本とフランス系アメリカのハーフの一般人女性で、逗子で店を一緒にやっているのはこの嫁です。

■川地民夫 逗子の店はどこ?


川地民夫さんは2001年に再再婚した嫁と、出身地の逗子で店をやりながら、マイペースでテレビの2時間ドラマなどに出演して俳優活動を続けていました。

逗子の店は、始めた当初はハワイ雑貨店だったそうですが、その後嫁の気が変わってバーに改造したそうです。

来店した人のツイッターによると場所は逗子市逗子5-2-50だそうです。

■ネットの反応



  
  

<スポンサードリンク>
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

NEW

PAGE TOP