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「メルボルン事件」とは1992年6月オーストラリアのメルボルン空港で、5人が「麻薬密輸容疑」で逮捕された事件。ワイドショーは本多千香さん・勝野兄弟らと真相を巡り騒ぎたてました。
現地ガイドのチャーリーの親切過ぎた行動、スーツケースから見つかった13kgものヘロイン、主犯格とされる勝野良男。しかし他の4人は通訳が片言で会話が通じない。
裁判でも通訳はめちゃくちゃで、本多千香さんと勝野兄弟ら5人は懲役10~15年の判決を言い渡されました。日本のマスコミは「メルボルン事件」の真相と冤罪を主張しましたが、外務省の出した答えは意外なものでした。
本多千香さん・勝野兄弟ら逮捕された5人は現在、釈放され帰国しています。
とくに本多千香さんは唯一の女性で、刑務所でイジメも受けるなど苦しい悪夢の10年間を過ごしました。人生を奪われた冤罪は現在も本多千香さんに苦しめています。
目次
■「メルボルン事件」登場人物(本多千香・勝野兄弟など)
■日本人旅行グループ
(日本人男性4名・女性3名)
●(A)勝野兄弟の弟:良男(34才)
旅行の発案者。元暴〇団員で前科あり(公文書偽造・拳銃所持・向精神薬所持)旅行の直前まで刑務所に入っていた。 輸入雑貨商を経営してマレーシアに頻繁に渡航していた。下の兄弟とは疎遠だった。
●(B)勝野兄弟の長兄:正治(43才)
●(C)勝野兄弟の次兄:光男(36才)
●(D)良男の知人:浅見喜一郎(60才)
●(E)本多千香(36才)
大宮のパブのホステス
●(F)良男の知人女性
●(G)Fの友人女性
■その他
● 現地ガイドチャーリー
A勝野良男の知人で、マレーシアの首都クアラルンプールの現地ガイド
● 通訳
片言の日本語しか話せない
■「メルボルン事件」空港で逮捕。チャーリーに騙された?
1992年のある日
(A)勝野良男が費用はすべて負担するからと、(D)知人の浅見喜一郎にオーストラリア旅行のメンバー募集を頼みました。6月15日にクレアランプールで1泊後、オーストラリアのメルボルンからシドニーを回る旅行です。
本多千香さんは勤務先の大宮のパブの常連・勝野光男から誘われてOKし、初の海外旅行を楽しみにしていました。
■マレーシアの首都クアラルンプール
1992年6月15日
勝野兄弟と本多千香さんら日本人観光客7人は、成田空港からマレーシア航空に乗りクアラルンプール国際空港へ。
現地ガイドのチャーリーと合流しますが、日本食レストランで食事中にスーツケースが車ごと盗まれてしまいます。7人はひとまずゲンティン・ハイランドに宿泊。
翌朝、盗まれたスーツケースが発見されますがめちゃめちゃに切り裂かれてましたが、なかの荷物はほぼ無事でした。本多千香さんはこの時、新スーツケースが重く、カギがなかったのにわざわざ切り裂かれていたことを不思議に思いました。
スーツケースは現地ガイドのチャーリーが親切に別の新しいものを代わりに用意してくれました。しかし本多千香さんはこの時、新スーツケースが重いことを不審に思いました。
※実はチャーリーがくれた新スーツケースにヘロインが入っていました。
■メルボルン空港で逮捕される
1992年6月16日
チャーリーが手配したマレーシア航空121便に乗って、オーストラリアのメルボルン空港に到着。
しかし空港の入国審査で(A)勝野良男が不審人物だと判明し、7人全員拘束されます。
そして荷物をX線検査した結果、7人のうち4人のスーツケースが二重底になっていて約13kgもの大量ヘロインが隠されたから大変です。7人のうち2人は捕されずに日本に強制送還されました。
■メルボルン空港で逮捕
※不審人物だと判明
※スーツケースにヘロインなし
●(A)勝野兄弟の弟:良男(34才)→逮捕
※4人はヘロインが見つかった。
●(B)勝野兄弟の長兄:正治(43才)→逮捕
●(C)勝野兄弟の次兄:光男(36才)→逮捕
●(D)良男の知人:浅見喜一郎(60才)→逮捕
●(E)本多千香(36才)→逮捕
※スーツケースにヘロインなし
●(F)良男の知人女性→日本に強制送還
●(G)Fの友人女性→日本に強制送還
ヘロインのことは知らないと主張しましたが薬の運び屋として逮捕。オーストラリアは大きく報道し、日本は国会でも冤罪を主張する大騒動に。
■裁判で判決が下る
本格的な裁判は2年後1994年に始まり、実刑が確定してしまいました。
(A)勝野良男は主犯格として懲役20年の有罪判決。
(B)~(E)本多千香さんら4人は懲役15年の有罪判決。
■メルボルン事件 真相は冤罪?通訳が最悪だった
■真相は冤罪
ヘロインは、マレーシアの現地ガイド・チャーリーが用意した新スーツケースの二重底に隠されていたので、真相はチャーリーが観光客を運び屋に仕立て上げようとした冤罪だといわれています。
弁護団も冤罪を主張しましたが、現地ガイドのチャーリーを証人として出廷させることは叶いませんでした。
真相は、オーストラリアのマスコミが発表した通り、日本の暴〇団による麻薬密輸事件でした。
(A)勝野兄弟の弟で元暴〇団の良男は、日本を出発する前から中国のシンジケートと麻薬密輸の計画を練っていたというのが、真相だといわれています。(A)勝野良男・チャーリー・マフィアがグルだったという説です。本多千香さんは冤罪に巻き込まれた被害者。
■通訳がひどかった最悪の裁判
逮捕から1年10か月後1994年に判決が下りましたが、逮捕から裁判まで通訳がひどかったことも冤罪の原因だといわれています。
日本語が片言しか話せない通訳で、会話が成立しないのです。これでは無実を証明することはできません。質問の答えを通訳が間違って訳してYESと答えて罪を認める供述をしてしまったり。
裁判は、経費削減のため5人まとめて審理され、通訳はたった1人。5人はヘッドホンをされ、通訳は笑っていました。
オーストラリア側は、ヘロイン13kgを持ち込んだ犯人の懲役はもう確定したも同然だから、真面目に裁判する気もなく、早いとこ済ませたかったようです。陪審員は、ニヤニヤ笑いあったり居眠りして、判決は当たり前のように有罪に。
冤罪が生まれた原因として他にも、オーストラリアでは「アジア人+麻薬=有罪」という偏見がありました。
■日本も冤罪を救えなかった
日本では国会で冤罪が主張されたりしましたが、外務省は「相手国に対して内政干渉になるので事態を見守るしかない」とし、救済措置を講じませんでした。
■「メルボルン事件」勝野兄弟と本多千香の現在
逮捕された5人は現在、オーストラリアのビクトリア州の刑務所で服役後、全員が仮釈放され日本に帰国しています。
■勝野兄弟と本多千香の現在
●(A)勝野兄弟の弟:良男(50才)
15年間服役→2006年までに仮釈放され帰国
●(B)勝野兄弟の長兄:正治(69才)
10年間服役→2002年に仮釈放され帰国
●(C)勝野兄弟の次兄:光男(62才)
10年間服役→2002年に仮釈放され帰国
●(D)良男の知人:浅見喜一郎(86才)
10年間服役→2002年に仮釈放され帰国
●(E)本多千香(62才)
10年間服役→2002年に仮釈放され帰国
勝野正治さんと光男さんの兄弟は2002年当時53才と46才で、北海道千歳市の実家に身をよせました。真犯人とされる良男は2006年に帰国してますがさすがに絶縁状態でしょう。
浅見喜一郎さんは2002年当時70才と高齢で、都内の息子宅に身を寄せました。
本多千香さんは2002年当時46才で、現在マンションで一人暮らし。4人帰国後は実名を公表して記者会見も行い喜びをかたりました。
■本多千香の生い立ち~冤罪~現在まで
本多千香さんは生い立ちも壮絶です。
父親は経営者で裕福な家に生まれましたが、5才のとき1才年下の妹がダンプにひかれ死去。その後、父親は倒産し各地を転々とする生活。
そして高校卒業後、稼ぎのいい水商売へ。オーストラリア旅行に誘われたのは大宮のパブで働く36才のときでした。
生まれて初めて海外旅行。カンガルーやコアラを見られると楽しみにしていました。
しかしメルボルン事件で逮捕され悪夢が始まりました。姉・裕美さんも領事館から連絡をうけオーストラリアに駆け付けましたが、どうすることもできませんでした。
刑務所暮らしは全く英語が話せないので、コーヒーに待ち針を入れられるなど囚人仲間からイジメにあいます。刑務官からもイジメを受けます。そんななかボス的存在のジェーンだけ味方になってくれました。
「早く帰りたい」「私を助けて」など獄中日記を書き10年間で5冊に及びました。パニック障害に陥り、まともに歩けず精神安定剤を飲むようになります。悲惨な状況は絶望を生み、生きていく自信をなくします。
刑期が5年以上の受刑者は猫を飼うことが許されます。ある日、刑務所の職員が子猫をくれました。本多千香さんはその猫に、母親の名前と同じ愛を意味を「アイ」と名付け可愛がりました。
しかし1999年4月15日
本多千香さんは真夜中に手首を切って命を終わらせようとします。が、失敗に終わり「神様が生かしてくれて、もっと人生の教訓を学ばせようとしている」と思い直したところから生き方が変わっていきます。
言葉を覚えて、仕事も人並み以上にこなすなど前向きになり、囚人や看守からも慕われる存在となり、出所が認められた時にはみんなが送別会を開くまでに。
しかし仮釈放が近づくと逆に帰りたくないとも思いました。なぜなら記憶のなかの友達はそのままだからです。怖かったんです。
2002年11月19日
10年間の刑期を終え
46才になった本多千香さんは釈放され成田空港に到着。
本多千香さんは現在62才でマンションで1人暮らししながら働く苦しい状況。仕事は埼玉のパブで裏方をやっています。1日中外にたちっぱなしだとか。冤罪がなければ結婚して子供もいたかもしれませんが、今からではもう無理です。女性にとってどれだけ苦しいことでしょう。
オーストラリア政府は、本多千香さんたちに対して現在も冤罪だと認めてはいません。有罪扱いです。
本多千香さんは現在、実体験に基づく書籍を発表、獄中日記の公開もしています。
■最後に
「メルボルン事件」の始まりは、勝野良男が全額出すからとオーストラリア旅行メンバーを募集したことです。親しくもない人が費用を出してくれてタダで海外旅行に行けるなんてそんな美味しい話、乗ってはいけませんね。
世の中ではもう忘れかけている事件ですが、服役した本多千香さんたちの時間は戻りません。
風化させてはいけない事件だし、時々テレビで放送されるのは良いことだと思います。
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