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大道寺あや子は、「三菱重工ビル爆破事件」の犯人の1人。画像が美人ですが、現在はどうしてるのでしょうか?
「三菱重工ビル爆破事件」とは、死者8人、重軽傷者393人、人々を恐怖のどん底に突き落とした爆弾テロ。1974年8月30日、三菱重工ビルで時限爆弾が爆発し、会社員やOLが行き交っていた昼下がりの街は、一瞬にして地獄と化しました。被害者たちの体は無数の切り傷を負いました。原因はガラスの破片でした。
犯人は大道寺あや子のほか、旦那の将司、佐々木規夫、益永利明の4人。大道寺あや子は爆弾作りを担当し、事件後に逮捕されるも画像のとおり美人なので、協力させたれたと世間は勘違いしました。
そして収監中のある日、大道寺あや子はなぜか釈放され、海外へ逃亡しています。釈放理由は何?現在の逃亡先はどこでしょう?
目次
■大道寺あや子が犯人!「三菱重工ビル爆破事件」
三菱重工爆破事件(74年8月30日)
「狼」による企業爆破事件。
海外進出を進める三菱重工を帝国主義と見なし、警告として丸の内の本社ビルを爆破。8名が死亡、376名が負傷。
オウム真理教事件が起きるまでは日本史上最大のテロであった。 pic.twitter.com/apZ7scyVWL— 東アジア反日武装戦線bot(準備中) (@EAAJAF_bot) 2018年4月7日
1974年8月30日
昼過ぎ。多くの人が行き交う丸の内
大きな紙包みを持った2人の男が、三菱重工ビルに向かい、配達物を届けるように入口に置き、不審に思う人は誰もいませんでした。しかしこれは手製の時限爆弾。
時刻は12:45
時限爆弾はダイナマイト700本分の破壊力で爆発!その爆風は近隣ビルの窓ガラスをことごとく砕き、割れた窓ガラスは約4000枚!路上には雨あられのようにガラス片が降り注ぎました。
数えきれないガラス片は路上の人々めがけてナイフにように襲い掛かりました。当時、防災対策が施されていなかったビルの窓ガラスは凶器となってしまいました。
ある人は肩と太ももをガラス片でえぐられ、ある人は頭がい骨骨折と出血多量で死亡するなど被害者は死者8人、重軽傷者393人。
■犯人
犯人は「東アジア反日武装戦線『狼』」というグループの中心メンバー4人。
・佐々木規夫
・益永利明
・大道寺夫妻(将司とあや子)
犯人たちは爆弾闘争のマニュアル本「腹腹時計」を作っていました。地下活動に身を捧げるものたちに密に読み継がれたマニュアルには、『都市におけるゲリラ戦のやり方』『時限爆弾の作り方』が記されていました。
■大道寺あや子 プロフィール(画像)
■大道寺あや子プロフィール(画像)
名前:大道寺 あや子(だいどうじ あやこ)
旧姓:駒沢
生年月日:1948年10月20日
事件当時年齢:25才
現在の年齢:69才
高校:北海道釧路湖陵高校
大学:星薬科大学
現在:海外逃亡中
大道寺あや子は学生時代、文武両道でした。高校の成績は優秀で、部活もスピードスケート部で活躍して卒業生総代に選ばれたほど。
■大学で活動家に
大学は星薬科大学に推薦入学。大道寺あや子は青少年の野外活動「ワンダーフォーゲル」部に所属し、自治会活動、授業料値上げ反対闘争など社会活動に参加。
大学在学中、高校の同窓会で、同級生の大道寺将司から「研究会」に勧誘されたのがきっかけで彼氏彼女の関係に発展し同棲。※「研究会」は、のちの「東アジア反日武装戦線『狼』」。
■昼は薬剤師、夜は爆弾作り
大学卒業後、大道寺あや子は薬剤師として東京・新宿区内の病院に就職したあと、彼氏の大道寺将司と結婚しました。
その後、爆弾に使う薬品を入手するため都内の試薬会社に転職。会社での勤務態度は真面目で評判もよかったです。
まさか大道寺あや子が「東アジア反日武装戦線『狼』」のメンバーで、夜は爆弾作りをしてたとは誰も知りませんでした。1971年23才のときに自家製爆弾の最初の実験を行ってます。
↓爆弾作りのイメージ画像
ちなみに『狼』でのコードネームは「アサカワ」で、由来は歌手の浅川マキさんのファンだったから。
■三菱重工ビル爆破事件の犯人に
そして1974年8月30日、25才のときに「三菱重工ビル爆破事件」を起こし、翌1975年5月19日に爆発物取締罰則違反で逮捕されました。
■大道寺あや子「三菱重工ビル爆破事件」で逮捕後
↓逮捕時の大道寺あや子の画像。美人です
大道寺あや子は美人で、職場での評判もよかったので、狂信的な旦那・大道寺夫将司に協力させられただけの「従犯」ではないか?と見られたり、同情する声もありました。
美人だからこんなに酷い事件の犯人なワケがないと世間は思い込んだわけです。きっと特に男性が騙されたと思いますが。
案の定、世間の見方の反し、大道寺あや子は獄中で、「東アジア反日武装戦線『大地の牙』」の浴田由紀子などと激しい闘争を繰り広げました。
■大道寺あや子 釈放理由がコレ
逮捕された獄中生活を送っていた大道寺あや子でしたが、釈放されています。
1977年、日本赤軍が「ダッカ日航機ハイジャック事件」で乗客乗員を人質にとり、身代金と犯罪者9名の釈放を日本政府に要求。
当時の福田総理大臣は「一人の生命は地球より重い」という理由で、超法規的措置として犯罪者9人を釈放。9人の中に大道寺あや子の名前があり釈放されました。
※超法規的措置とは、法律の想定外の緊急事態にとる特別な緊急措置。
釈放された大道寺あや子は出国して海外へ逃亡しました・・・
大道寺あや子
東アジア反日武装戦線のメンバー。
1948年生まれ。大卒後に薬剤師となり、大道寺将司と結婚。東アジア反日武装戦線に参加。連続企業爆破事件では爆弾用の薬品調達や見張りを担当。
75年に逮捕されるも、ダッカ事件で釈放。 pic.twitter.com/Vpl1dtUtWP— 東アジア反日武装戦線bot(準備中) (@EAAJAF_bot) 2018年4月7日
■大道寺あや子 現在の逃亡先は?
大道寺あや子は裁判が「公判停止」状態で、現在も国際指名手配中です。
大道寺あや子は逃亡先については
1999年51才のとき、香港で日本赤軍最高幹部の重信房子と会ったことがわかっています。
2001年53才のとき、重信房子が日本赤軍の解散を宣言したことについて、南米から「日本赤軍解散宣言無効宣言」を発表しています。
現在の逃亡先は、南米かもしれません。ただ年齢が69才なので死亡してる可能性も高いです。
■「三菱重工ビル爆破事件」ほかの犯人の現在
三菱重工ビル爆破事件の犯人は4人
・佐々木規夫→海外逃亡中
・益永利明→死刑囚
・大道寺夫将司→死刑囚→病死
・大道寺あや子→海外逃亡中 pic.twitter.com/B8fM8aSzL2— クロスケ (@kuro_we) 2018年4月8日
大道寺あや子以外の3人は現在どうしたのでしょう?
・佐々木規夫【逃亡中】
・益永利明【死刑囚】
・大道寺夫将司【死刑囚】
佐々木規夫は大道寺あや子と同じように、日本赤軍による「クアラルンプール事件」で超法規的措置で釈放され、現在も海外逃亡中。国際指名手配されています。
益永利明は、1987年3月24日に死刑が確定。しかし現在も死刑執行されず、その理由は佐々木規夫と大道寺あや子が現在も海外逃亡中で、裁判が終わっていないからだといわれています。
大道寺あや子の旦那・大道寺夫将司も同じく死刑が確定しても死刑執行されていませんでしたが、2017年5月24日に東京拘置所で病死しました。死因は多発性骨髄腫で、享年68才。
「三菱重工ビル爆破事件」の犯人は現在、全員高齢者なので、大道寺夫将司と同じように病死か、寿命で死ぬと思います。もちろん被害者からしたら死刑執行を望むはずですが。
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