小島一朗は発達障害で父親に言い訳ばかり。母親は焦燥…新幹線無差別殺傷事件の犯人がヤバイ

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新幹線無差別殺傷事件の犯人・小島一朗(22才)は、「のぞみ265号」の車内でとつぜん通り魔となり、男性1人を殺し、女性2人に怪我を負わせた凶悪犯。

小島一朗は発達障害の病気だと診断された中学時代からおかしくなり、父親に言い訳ばかりを繰り返し、中学を卒業後は父親から離れて暮らし、ついには甘やかしてくれる祖母の養子となりました。

小島一朗が新幹線無差別殺傷事件を起こすと、父親はもう息子を「一朗くん」とまるで他人扱いし、母親も焦燥しきっています。
  
 

 
 

■小島一朗は【新幹線無差別殺傷事件】の犯人 動機がヤバイ



名前:小島一朗
(母親がイチローのファンだった)
生年月日:1995年の12月
年齢:22才

2018年6月9日よる9時45分頃、東海道新幹線東京発新大阪行き「のぞみ265号」12号車。

小島一朗は突然ナタと果物ナイフで、隣の席の女性2人を襲い、助けに入った梅田耕太郎さん(38才)を殺しました。

通路が血まみれ。キャーという悲鳴があがり、逃げた人達が連結部分でドミノ倒しでパニック状態。小島一朗の隣に座っていた女性は頭に怪我を負い、通路を挟んでいた女性は肩を怪我しました。

勇敢に1人で犯人に立ち向かうも殺された梅田耕太郎さんは、結婚して嫁がいました。旅行好きの夫婦で梅田さんが旅行プランを作ったり、家事にも積極的で嫁が忙しいときは食事を作ったりする、素晴らしい旦那でした。

■動機がヤバイ

小島一朗の動機は「誰でもいいから殺そうと思った」「隣にいる人からやろうと思った」「無期懲役を狙った」という自分勝手なもの。
 
小島一朗の部屋にあったノートには、自分の暴力性がいけないことだとわかってる一方で、自分の思う正義を優先すると綴られていました。

■小島一朗 死刑を望む声多数


東海道新幹線のぞみの車内で、助けに入った男性1人を殺し、女性2人に軽傷を負わせた犯人、卑劣で自分勝手な小島一朗には死刑を求める声が多いです。

しかし小島一朗は発達障害の診断もあったので、精神鑑定が行われました。

そして4カ月間の鑑定留置の結果、刑事責任能力を問えると判断され、11月19日に殺人や殺人未遂の罪で起訴されました。

裁判の行方、死刑判決が下るのか?注目されています。裁判で小島一朗がどんな言い訳をするのかも報じられるでしょう。

小島一朗は「出所したらまたやる」と言ってるので、死刑にしないとまた誰かが殺されます。
 
 

 
 
 

■小島一朗の父親と母親の職業


父親の年齢は52才。近所ではいつも笑顔で知られ、職業は自動車関連の会社に勤務。その前は喫茶店など転職を繰り返していました。

母親の職業はNPO施設の団体職員で、共産党の候補として市議会議員選挙に出馬経験があります。

■小島一朗の生い立ち 父親・母親の関係


小島一朗は幼い頃、人の言うことを言葉通りにしか理解できず、5才で発達障害の疑いを指摘されています。

一方で、父親の言うことをきかず、手を上げられることもありました。

■生い立ち:中学時代

中学時代は剣道部に所属。成績が悪い教科を頑張るよう父親に言われると「〇〇君のほうが悪い」「僕はビリじゃない」と言い訳を繰り返し、素直に頑張ることはありませんでした。

中学2年生で剣道1級に昇進後、部活をやめたいと父親に頼むが3年まで続けるよう言われると、部活に遅刻するようになって最後には「練習の日を誰も教えてくれない」と言い訳して部活に行かなくなったのでした。

中学3年生になると「授業がわからない、友達がいない」と言い訳して不登校に。両親とうまくいかず、友人もいないまま、卒業式も欠席しました。

小島一朗は自身の非を認めず、言い訳をする癖が見についていました。

■生い立ち:高校時代

高校は定時制高校に進学し、卒業後は職業訓練校に入学。その合計4年間、小島一朗は自宅ではなく母親が勤務する自立支援施設で暮らしました。なので自宅に住む父親とは疎遠になってしまいます。

自立支援施設では母親が一生懸命フォローしていたこともありトラブルゼロ。高校の成績もオール5と優秀で、本来4年間のところ3年間で卒業したほど。

■生い立ち:就職

小島一朗は職業訓練校を卒業後、2015年4月から機械のメンテナンス会社に就職し、8月には地元・愛知県から遠く愛媛県に配属されましたが、仕事は同期に教えるくらいデキルほうで順調でした。

9月の法事で久しぶりに父親に会ったときは、給料で服や時計を買ったと満足気で、お小遣いをあげると父親に素直にありがとうと言えるくらい良好な関係になっていました。

■生い立ち:会社をやめてしまう

ところが小島一朗は2016年2月、入社から1年未満の11か月で会社を辞めてしまいます。

地元・愛知県一宮市に戻ってきてアパートで1人暮らしを始めるも、半年後で貯金を使い切り、ガスも電気も止められます。父親には「寝る場所と食事があればいい」と話すようになります。

■小島一朗 祖母の養子になり、何度も家出


2016年10月頃から小島一朗は、大好きな祖母と養子縁組して愛知県岡崎市の家で、伯父夫婦・祖母・小島一朗の4人で暮らします。

そして、ひきこもりがちになり、うまくいかなくなると家出を繰り返すようになりました。

将来どうしたいのか伯父が聞くと

「俺は死ぬんだ」「生きる価値はない」と、死にたいと答える一方で

「人を殺して刑務所に行く」「働かなくても生きていけるところ、それが刑務所だ」とも答えました。

嫌なことから逃げるための言い訳ばかり。

■4度目となる最後の家出

2017年11月から、小島一朗は岡崎市内の就労支援施設で働き始めました。

しかし翌月12月20日には「仕事を辞めたい」「ホームレスになりたい」と言い出し、翌日21日には会社からも家からも姿を消し、また家出。

これが最後の家出となりました。
 
 

 
 

■小島一朗 事件後の父親と母親

■事件後の父親

父親は、小島一朗が15才で家を出てから親子関係が途絶してる状態。しかも息子は嫁の母親(祖母)と養子縁組をしたので父親の苗字ではなくなっています。

だからなのかテレビのインタビューで息子のことを「一朗くん」と呼ぶなど無関心な様子がネットで批判されました。

小島一朗は警察に、虐待された、食事を与えられなかった、鳥小屋に住まわされたなど父親への恨みを言い訳に話してることも、父親が他人行儀になった理由でしょう。母親もこの供述を知って「母親を放棄したい」と言ってるほど。

■事件後の母親

母親はもう「私は生きていてもいいのでしょうか」と憔悴しています。

■事件後の■姉

姉は、弟は自立支援施設にいたときがいちばん幸せだったと言っています。

■事件後の祖母(82才)

祖母は、小島一朗が家出するときは年金を下ろせるキャッシュカードを渡したほど溺愛していて「私には一朗のことしかない。82歳だから、一朗が帰ってくるまで生きなくちゃ。人生100年だと思ってるよ」

■小島一朗 家族との面会拒否

6月14日と15日、父親・母親・祖母の3人は面会に行きましたが、小島一朗は家族との面会を拒否。

面会室の扉が開いて父親と目があった瞬間、扉をしめてしまったのです。差し入れの下着や、現金3万円の受け取りも拒否しました。

孫が可愛い祖母は、面会拒否は良心の表れだと思っています。

■小島一朗 発達障害だった

小島一朗は幼い頃、人の言うことを言葉通りにしか理解できず、5才で発達障害の疑いを指摘されています。

中学生になると発達障害の一種「アスペルガー症候群」だと診断され、

「俺は障がい者なんだ。障がい者手帳を取得して就職するんだ」
「俺には権利がある、障がい者枠で働くんだ」

こうやって権利は主張するが、義務を果たさない。

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