デヴィッド・ボウイ死去「最後の来日は2004年」遺作【ブラックスター】を残してスターマンは本物の星になった。

【当サイトのリンクにはアフィリエイト広告が含まれています】

_

永遠のロックスター、デヴィッド・ボウイが
死去し、本当に永遠のスターとなりました。

最後の来日は2004年。「ジギー・スターダスト」で名を挙げ
それ以降変化を繰り返し来たスターマンは、
遺作【ブラックスター】を残して本物の星になったのでした。
 
 

【スポンサードリンク】

 
 

デヴィッド・ボウイ プロフィール


デヴィッド・ボウイは、
本名をデヴィッド・ロバート・ヘイワード=ジョーンズといい
1947年1月8日にイギリスはロンドンのブリクストンで生まれました。

音楽活動はアートスクール在学中からで、
1964年若干17才で早くもシングルデビューしました。
その後、モッズバンドでレコードをリリースしますが
ヒットには恵まれませんでした。

名前をデヴィッド・ボウイにしたのは、
66年デビューのモンキーズに本名と同姓同名の人物がいたからです。
彼がいなかったら、「デヴィッド・ボウイ」というアーティスト名が
生まれることはなかったんですね。

ここからソロで再出発することになるわけですが、
デビューから8年後の1972年に、
ロックの名作「ジギー・スターダスト」で人気が火がつきました。
そして、当時ブームになっていたグラムロックのカリスマとして頂点に君臨します。

個人的には「ジギー・スターダスト」が大好きです。

「ジギー・スターダスト」では、デヴィッド・ボウイは自身を、
「ジギー」というキャラクターに設定してます。

日本の伝説のバンド、あのBOØWYも、デヴィッド・ボウイの影響を受けたと聞いたことがあります。
バンド名もボウイが由来なんだとか。
 
 

[スポンサードリンク]

 
 

デヴィッド・ボウイのスゴイところ


デヴィッド・ボウイのスゴイところは、
ひとつの音楽スタイルに固執しないところです。
普通のミュージシャンは、人気絶頂だった頃のスタイルを貫き、
イメージが崩れないようにして人気をキープして
商業的な成功を持続させるのがパターンですが
デヴィッド・ボウイは次々とスタイルを変化させていきました。

最初に人気に火がついたのはグラムロックとしてでしたが、
グラムロックブーム終焉とともに「ジギー」のキャラを捨てて、
その後は、ソウル、テクノなど時代の流行の先を行く強い感性を武器に
その時代時代の新しいスタイルで作品を発表していきました。

ブームとともに消えていったミュージシャンは多かったと思いますが
見事に次のステップに向かって成功したのです。

売れたときのスタイルを守ったほうが安定する可能性が高いのに
あえてスタイルを変えていく挑戦的な姿勢がスゴくかっこいいですよね。
それでいて商業的にも成功しているんですから。本当にカッコイイ。

デヴィッド・ボウイ 最後の来日


 
デヴィッド・ボウイの初めての来日公演は、1973年でした。
意外ですが、飛行機恐怖症だったので、船で来日したそうです。
帰りはシベリア鉄道で母国に帰っていったんだとか。

最後の来日は、2002年と2003年に連続リリースした
アルバム「ヒーザン」「リアリティ」をひっさげて行われた
ワールドツアー「リアリティー・ツアー」での
2004年の来日が最後となっています。
このときの公演を観れたひとは、デヴィッド・ボウイ死去のニュースを知って
感慨深いものがあるでしょうね。

デヴィッド・ボウイ 最後のアルバム「ブラックスター」


デヴィッド・ボウイは、1月8日、69才の誕生日に
最後となってしまったアルバム「ブラックスター」をリリースしました。

このアルバムは、ニューヨークでジャズミュージシャンとともに
レコーディングした作品です。
タイトル曲の「ブラックスター」はなんと10分近くの長さがあり、
どんな曲かというと、非常にアートな仕上がりとなっています。
絵画を耳で聴くような感覚です。

ちなみこのアルバムは25作目でした。

デヴィッド・ボウイ スターマンは本物の星になった


デヴィッド・ボウイの人気曲に「スターマン」という曲があります。
個人的にも大好きな曲ですし、
あの布袋寅泰さんもカバーしています。

スターマンは、本物の星となって永遠に輝き続けるのでした。

 
 

<スポンサードリンク>
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

NEW

PAGE TOP