脇坂英理子の実家は元華族の名家。父親と母親に結婚反対されたあと、結婚・離婚していた。

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診療報酬詐欺で逮捕された脇坂英理子容疑者(37才)の実家は、実は元華族の名家でした。ヤフーニュースによると父親は明治維新後に子爵を授かった一族の一員である模様です。母親は娘の逮捕を悲しんでいることでしょう。

また、お嬢様育ちだった脇坂英理子容疑者は若いころ不良との結婚を、父親と母親に反対され諦めています。その後、不良とは真逆の、完璧な外科医と結婚しますが、やっぱりワルが好きだったようで離婚していました。

脇坂英理子容疑者が診療報酬詐欺を始めたのは、離婚から2年後のことです。ワルへの憧れが、本当のワルに彼女を変貌させたのでしょうか。
 
 

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脇坂英理子の実家


脇坂英理子容疑者の実家は、元華族の名家です。お嬢様育ちだとは思っていましたが、実家は想像以上にスゴかったようです。

父方の先祖は脇坂安治

父方の先祖は、豊臣秀吉の家臣だった戦国武将の脇坂安治です。

徳川幕府で老中を務める

豊臣秀吉が亡くなったあと、関ヶ原の戦いがありましたが、脇坂安治は徳川家康に寝返ることを事前に知らせていたので、戦のあとには味方として受け入れられました。
以降、脇坂家は徳川幕府で老中を務めています。

明治維新後は子爵

明治維新のあと脇坂家は「子爵」の爵位を授かっています。

脇坂家

★戦国時代
1代:脇坂安治 1554年~1626年
★江戸時代
2代:脇坂安元 1584~1654年※安治の次男
3代:脇坂安政 1633~1694年※養父が安元
4代:脇坂安照 1658~1722年※安政の五男
5代:脇坂安清 1685~1722年※安照の長男
6代:脇坂安興 1717~1747年※安清の三男
7代:脇坂安弘 1738~1757年※安興の長男
8代:脇坂安実 1745~1759年※安興の次男
9代:脇坂安親 1739~1810年※養子で継ぐ
10代:脇坂安董 1767~1841年※安親の次男
★江戸時代後期(幕末)
11代:脇坂安宅 1809~1874年※安董の長男
12代:脇坂安斐 1840~1908年※養子で継ぐ
★幕末・明治維新・以降
13代:脇坂安煕
14代:脇坂安之
15代:脇坂研之※子爵
16代:脇坂安知
  
 

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脇坂英理子の父親


16代当主の脇坂安知さんは、兵庫県西宮市に本社をかまえる会社の社長ですが、この方は脇坂英理子容疑者の父親ではありません。一切関係がないことを公式サイトで名言しています。

ただ、父親は、戦国時代に豊臣秀吉に使えた脇坂安治を祖先にもつ名家であることは確かなようです。

脇坂英理子 父親と母親に結婚反対される


脇坂英理子容疑者は、名門の東洋英和女学院で小学校から高校までを過ごしています。さらに大学は東京女子医大に進学するという、いかにもお嬢様な学歴でした。

悪い人が好き

しかしその反面、世間知らずのお嬢様だからなせいか、ワルや不良に憧れをいだき、銀座のホステスになってその筋の関係者の妻になる気もあったようです。

そして、大好きだった悪人との結婚を考えたようですが、父親と母親に結婚を反対されて諦めています。

26才で結婚 31才で離婚

脇坂英理子容疑者は26才で、ルックスも家柄も性格も良い完璧な外科医と結婚しました。もちろん周囲も反対の声はなかったようです。しかしワル好きな彼女には耐えられなかったのか、1年間の別居のすえ、31才の時に離婚しました。

別居中には、それまでの反動からなのか?ホストクラブにハマります。数千万円のカード支払いをどうにもできずに両親に泣きついたんだとか。

離婚したのはおそらく2010年で、脇坂英理子容疑者が麻酔科専門医を取得したのはその翌年2011年、クリニックを開業したのはさらに翌年2012年です。

脇坂英理子 憧れのワルになった


脇坂英理子容疑者は診療報酬詐欺をして、憧れていたワルになってしまいました。住吉会と共謀しているので、その筋の関係者の彼女か愛人である可能性もあります。妻になりたいという夢もいずれ叶うのでは?

逮捕直前まで遊んでいたのは、ワルをやっていることで心に余裕ができたせいでしょうか。

実家に汚名を着せたことは間違いありません。


 
 



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