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「富士銀行行員顧客殺人事件」は1998年に起きた事件です。犯人は実名・岡藤輝光といい富士銀行春日部支店に勤める銀行員。被害者は自宅でマッサージ店を営む老夫婦。動機の背景にはバブル崩壊後の銀行と企業の関係がありました。
犯人・岡藤輝光の生い立ちを見ると、両親に期待に応え勉強とスポーツを頑張った好青年。バブル期に富士銀行に入行しました。一方、被害者の老夫婦はバブル期に東京の自宅を売却し埼玉の田舎に移住。幸せに暮らしていました。
犯人・岡藤輝光と老夫婦はどんな関係だったのか?バブル崩壊後1998年岡藤輝光が「富士銀行行員顧客殺人事件」を起こした動機はなんだったのでしょう?
目次
■1998「富士銀行行員顧客殺人事件」概要
■富士銀行行員顧客殺人事件
1998年、埼玉県の郊外、自宅でマッサージ店を営む老夫婦が死んでいるのが発見された。
事件後、大手都市銀行に勤めていた男が犯行を自供、逮捕された。
一見、犯罪と無関係に思える老夫婦と銀行員。■彼らの人生に一体何が起こったのか!?
東京都台東区で小さな古道具店を営んでいた老夫婦。
裕福ではないが、2人の子供を立派に育て上げ、幸せな人生を送っていた。一方、犯行を自供した男も、福岡の小さな運送会社で運転手として働く父のもとに生まれ、情に厚く男気のある人間へと成長していく。
このあと、両者の運命を大きく揺るがすバブルが到来!
老夫婦は、土地を1億円で売却、5000万円を老後のための貯金に回した。
同じ頃、男もバブルの波に乗り、大手都市銀行に就職するが、バブルが崩壊。
そのしわ寄せが、両者の運命を大きく狂わせていった!引用:アンビリバボー
■犯人
富士銀行 春日部支店の行員
犯人の実名:岡藤輝光(当時32才)
■被害者
マッサージ師の老夫婦
東京の土地を1億で売却し埼玉に移住
老後のために5000万円を貯金した
目が不自由な夫:福田次郎(当時74才)
身体に障害ある妻:福田ツネ(当時67才)
■1998「富士銀行行員顧客殺人事件」犯人 実名・岡藤輝光の生い立ち
名前:岡藤輝光
出身:福岡
兄弟:3人兄弟(下に妹と弟)
高校:進学校の県立筑紫高校
大学:福岡大学
スポーツ:高校・大学でラグビー部
職業:銀行員(富士銀行 春日部支店)
身長体重:175cm80kg
結婚:1994年
家族:嫁・長男3才・次男1才
犯人の実名は岡藤輝光で福岡出身。
下に妹と弟がいる3人兄弟の長男として生まれました。
父親は中卒ながら小さな運送会社でトラック運転手として働き、家族を養いました。
岡藤輝光は両親に期待に応え、文武両道で情に厚く、男気ある人間へ成長しました。両親とって誇り。
高校は進学校の県立筑紫高校に進学。部活はラグビー部に所属し、高校2年生で県大会優勝。
大学はラグビー枠で福岡大学に進学。3年からラグビー部でレギュラーに。同級生たちからは「不器用ながらも仲間思いの人情家」と評判は良かったです。
大学卒業後1989年4月、体育学部枠で富士銀行に就職。バブル入行組でした。
1994年に結婚。嫁は大学4年の時の1年生でラブビー部のマネージャーだった女性。
1998年「富士銀行行員顧客殺人事件」を起こして逮捕された当時、家族は嫁と2人の子供(長男3才・次男1才)がいました。また、実家は雑貨屋を経て酒屋に転業。
■1998「富士銀行行員顧客殺人事件」被害者の老夫婦との関係は?
事件と無関係に思えた老夫婦と銀行員。どんな関係だったのでしょう?
目が不自由な夫:福田次郎(当時74才)
身体に障害ある妻:福田ツネ(当時67才)
老夫婦はもともと東京都台東区で小さな古道具店を営んでいました。
1988年、事件の10年前
バブル景気で土地の値段が上がったので、住んでいた東京の土地を1億で売却。田畑が多い埼玉県南埼玉郡宮代町に移住。残り5000万円は老後のため貯金しました。
事件の数年前に長女と長男は独立して老夫婦二人暮らし。2人の子供を立派に育て上げ幸せな人生を送っていました。
夫の福田次郎さんは盲目ですが、マッサージ師の仕事は繁盛し、高齢になってからはお得意さん限定で商売してました。妻のツネさんは洋裁の仕事を続けていました。
■犯人・岡藤輝光とは銀行と顧客の関係
10年前に埼玉に移住した時に富士銀行と取引がスタート。
この頃、岡藤輝光も富士銀行の春日部支店に就職。老夫婦の担当行員になったのが岡藤輝光でした。銀行と顧客の関係だったんです。
老夫婦は、いつも顔を見せにくる若い岡藤輝光を懇意にしたため、定期預金の運用を任せました。それから10年の付き合いに。
■1998「富士銀行行員顧客殺人事件」犯人 実名・岡藤輝光の犯行動機
犯人・岡藤輝光はなぜ、どんな動機で老夫婦を殺したのでしょう?
1997年
岡藤輝光は春日部市内の運送業者から融資を求めらますが、バブル崩壊で銀行は貸し渋り。顧客と銀行との板挟みに。
1998年1月
運送業者は融資の基準を満たしていません。
そこで岡藤輝光は老夫婦に目を付けました。老夫婦に「半年ものの特別な定期預金が出た」と嘘をついて通帳と印鑑を預かり、定期を解約して5700万円を引き出し運送業者など2社に融資しました。
これは「浮貸し」という不正です。銀行を通さない融資である「浮貸し」は出資法違反。
岡藤輝光は5700万円を回収できると見込んで運送会社に融資したのでしょうが、なんと倒産。2500万円の債務を負ってしまう結果に。
返済のめどが立たず、このままだと老夫婦に資金を返済できません。
困った岡藤輝光は金を「7月2日に持参する」と書いた名刺を老夫婦に渡しますが、返済のあてはありません。
1998年7月1日
約束の返済前日
なんの因果か「本店融資部への栄転」異動の内示を受けます。異動したら「浮貸し」がバレるに決まってるので、ますます追い詰められる岡藤輝光。
発覚を恐れてついに老夫婦殺害を決意…これが動機です。
■犯行
1998年7月2日AM11:00頃
岡藤輝光は老夫婦宅を訪問
「私、やっぱり転勤になりました」
「ほう、そうかい、長かったもんなぁ。転勤先でも頑張ってな」
「ありがとうございます。何よりのお言葉です。最後の親孝行と思って、肩でも揉ませていただけませんか?」
午前11:30
まず1階のリビングで
身体に障害がある妻ツネさんの肩をもむふりをして首を絞めて殺しました。
次に隣の和室で
妻の異変に気付きうろたえる盲目の夫・次郎さんを口封じのため首を絞めて殺しました。
老夫婦を殺したあと、証拠隠滅のためにガスの元栓を開けて放火しようとしますが、ガス栓の安全装置が作動して失敗・・・。空き巣の犯行に見せかけるために部屋を物色したように荒らしました。
そして「浮貸し」の証拠となる「返済の意志を裏書きした名刺」を回収し、逃走しました。
■1998「富士銀行行員顧客殺人事件」逮捕、裁判の判決
■逮捕
1998年7月4日朝9時頃
老夫婦の遺体が発見され、警察が捜査した結果、7月8日に岡藤輝光が犯行を自供したので逮捕。
■裁判の判決
岡藤輝光は強盗殺人罪で起訴されました。
裁判で岡藤輝光は殺人は認めましたが、強盗は否定しました。
1999年9月29日
無期懲役の判決
一審の浦和地方裁判所で検察は死刑を求刑しましたが「無抵抗の老夫婦を殺害した残虐非道な犯行だが、富士銀行が遺族に相当高額の金品を支払う調停が成立している」として無期懲役の判決。
2000年12月20日
二審の東京高裁も無期懲役
検察は控訴しましたが二審の東京高等裁判所は棄却
2001年1月5日
検察が上告しなかったので無期懲役刑が確定しました。
岡藤輝光は運送会社への融資を断れず浮き貸しを実行。しかし運送会社がまさか倒産し、困り果てて老夫婦を殺害しました。情に厚い性格が災いし起きた殺人事件でした。
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