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ボクシング村田諒太選手の嫁・佳子さんは、ロンドン五輪金メダル後に夫婦テレビ出演した際、京大出身で実家が金持ちなど噂される一方「でしゃばり」「ウザイ」と批判された過去があります。
村田諒太選手との馴れ初め、子供もいる幸せに対するやっかみかもしれませんが、園遊会に招待されても「でしゃばり」「ウザイ」は続きました。
嫁・佳子さんは壇蜜に似の美人で、なんだかんだいって佳子さんの支えがなかったら村田諒太選手が48年ぶりに金メダルを獲得することもなかったのでは?
子供は現在2人。名前は晴道くんと佳織ちゃん。守るべき家族のため村田諒太選手は戦います。
目次
■村田諒太の嫁・佳子 プロフィール
名前:村田佳子
出身:京都
生年月日:1982年4月2日
年齢:現在35才
大学:京大?
村田諒太の嫁・佳子さんの年齢は、旦那より4歳年上の現在35才。姉さん女房ですね。
村田諒太選手は東洋大学の学生から東洋大学の職員となりましたが、一方で嫁の佳子さんは京大出身のエリートだそうです。しかし京都出身ということが京大出身といわれる噂になったとも。
■実家は金持ち?
京大出身でさらに、実家が名家で金持ちという噂もあります。
しかしこれも2chで
「地元では有名な名家で名前を聞けば誰でも知っているようなお嬢様」「父親が一部上場企業の役員」という情報が書き込まれたのが発端でネットで出回っている情報のようです。
■壇蜜に似ている?
嫁・佳子さんは、顔がタレントの壇蜜さん、AKB48柏木由紀さんに似ているといわれています。もしくは長い黒髪・色白・眉毛の書き方などで壇蜜さんにむしろ似せているとも言われています。
■性格がポジティブ
村田諒太選手曰く嫁・佳子さんは
「めちゃくちゃポジティブですね。例えばテーブルにお茶をこぼしたとき『私がうまくこぼしたから下までこぼれなかった』って言える人です」
嫁・佳子さんは結婚前の時期、冷蔵庫に1枚の紙を貼っていました。
『金メダルを獲りました。ありがとうございました。家を買いました』
当時はまだ金メダルなど高すぎる目標。しかし村田諒太選手はこの紙を毎日目にすることによって次第に「金メダルが欲しい」という想いが高まり、ついには2012ロンドン五輪で『金メダルを獲りました』が現実になりました。
嫁・佳子さんは料理も得意で、村田諒太選手が減量するときは料理でサポートするなどして支えています。
■村田諒太の嫁・佳子 でしゃばりでウザイ?園遊会参加でも叩かれる
村田諒太選手が2012ロンドン五輪で48年ぶりにボクシングで金メダルを獲得したあと、マスコミやテレビ局から取材や出演依頼が殺到。嫁・佳子さんも一緒にテレビにたくさん出演しました。
京大出身の美人ということでメディアも嫁・佳子さんを持ち上げたのですが、しかし一般人がテレビ出演しすぎたことで批判が殺到。
・主役は旦那なのにでしゃばり
・旦那より目立ってウザイ
さらに嫁・佳子さんは喜びのあまりテンション高めだったのですが、それが逆に「目が怖い」「目見開きすぎ」などますますバッシングの嵐に。
ついにに旦那の村田諒太選手も「出過ぎじゃ」と注意したほど。
金メダル獲得したロンドン五輪後の2012年10月、秋の園遊会に村田諒太選手は招待されたのですが、嫁・佳子さんも参加したことでここでもたたかれました。夫婦で招待されたのだろうし、園遊会を断るわけにいかないから、これはでしゃばりではないと思いますが。
そうして「でしゃばり」「ウザイ」と批判された波乱の2012年が終わり、翌年2013年以降は嫁・佳子さんはテレビ出演しなくなりました。
■村田諒太と嫁・佳子の馴れ初めは職場恋愛
村田諒太選手は東洋大学の経営学部経営学科に進学しボクシング部に所属。2008年に大学を卒業後すると、東洋大学の職員として就職し、ボクシング部のコーチとなりました。
出会いは職場の飲み会でした。嫁の佳子さんも同じ東洋大学の職員だったからです。
その後何度か飲みに行って距離を縮めて連絡先を交換し、交際スタート。村田諒太選手は佳子さんの「芯が強くしっかりしている性格」に惚れてたといいます。
プロポーズはバレンタインデー。なんとヘリコプターをチャーターして東京を一望しながら「東京で一緒に暮らしていこう」と一言。しかしプロペラの大音量で佳子さんは聞き取れず、ヘリを降りてから言い直したそうです。
そうして2010年5月に結婚。東洋大学の職員同士なので職場恋愛からの結婚です。
■村田諒太と嫁 子供は2人
村田諒太選手と嫁・佳子さんの間には長男と長女、子供が2人います。
2011年5月、第一子・長男を出産。名前は晴道くん。現在年齢6才。
2014年5月6日、第二子・長女を出産。名前は佳織ちゃん。現在年齢3才。
5月は結婚記念日でもあり、2人の子供の誕生日でもあり、村田家にとっては大きな意味のあるスペシャルな月です。
村田諒太選手は、休日は子供とキャッチボールしたり遊んでるそうです。
長男の晴道くんがジャングルジムを上れずビビった時は「気持ちにブレーキをかけて本当はできることをやっていない」と、「やれば出来る」を伝えようとしています。
晴道くんはやりたいスポーツはないそうで、やりたいと思った事は何でもやらせてあげたいそうです。
ただ、水泳だけはやらせてます。理由は、村田諒太選手は5才から水泳を習っていて、小学校に上がった時に泳げるか泳げないかで大きな差が産まれるのを自分が身をもって体験してるから。
村田諒太選手にとって子供の存在は心の支え。201ロンドン五輪準々決勝前、長男の顔を携帯で見て気持ちを落ち着かせ、金メダル獲得することができました。
■村田諒太 プロフィール(画像)
名前:村田諒太(むらた りょうた)
出身地:奈良県奈良市
生年月日:1986年1月12日
身長:182㎝
階級:ミドル級
血液型:AB型
学歴:
・奈良市立伏見中学校
・南京都高校
・東洋大学 経営学部
所属:帝拳ボクシングジム
アマチュア戦績:137戦118勝(89KO)19敗
プロ戦績:12戦全勝(9KO)
主な獲得タイトル:
2005アジア選手権 銅メダル
2011インドネシア大統領杯 金メダル
2011世界ボクシング選手権大会 銀メダル
2012ロンドン五輪 金メダル
村田諒太選手は5才から水泳をはじめスポーツ万能な子供に育ち、中学校では陸上部1500m走で奈良市大会4位の実力でした。
一方で小学校時代に両親が離婚し、中学時代はグレて金髪ヤンキー。しかし弱い者いじめや喧嘩を売ることはなく、集団行動が苦手な一匹狼タイプ。そのため上級生に目を付けられますが喧嘩が強く、あだ名は「ラオウ」でした。
そんな中学時代、村田諒太選手の家庭の事情も知る担任の北出忠徳先生から「おまえ、なんかやりたいことはないんか?」と聞かれ「ボクシングやったら、やるわ!」と答えたのがボクシングを始めたきっかけ。
北出忠徳先生は奈良工業高校ボクシング部主催の週末ボクシング教室を手配してくて、村田諒太選手は通いますが練習がきつくてたった2週間でリタイア。
その後もう一度通いますが、今度は2か月後に足首を怪我してリタイア。しかしその後一念発起して、中学校3年生から「大阪の進光ボクシングジム」で本気で練習に励みます。
すると南京都高校2年生の時に選抜・総体・国体の3冠達成!
3年生で選抜・総体を制して高校5冠という偉業達成!
東洋大学でもボクシングを続けますが、2008北京五輪に出場できなかったので挫折して引退。
大学卒業後、母校・東洋大学でボクシングを指導する側に回ります。
しかし翌年2009年にコーチを務めるボクシング部員が薬物の不祥事を起こしたのがきっかけで、現役復帰を決意します。
「コーチであるのに不祥事を食い止めることが出来なかった。全日本選手権で優勝することで東洋大学の名誉回復になれば……」
その決意通り、2009~2011年に日本選手権を3連覇!
2011年10月の世界選手権では、日本人最高成績の銀メダルを獲得!
2012年ロンドン五輪で48年ぶりのボクシング金メダル獲得!
そんな村田諒太選手の活躍の陰には、いつも嫁・佳子さんがいました。これからも村田諒太選手の活躍に期待です。
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