ブラジルバスジャック犯はサンドロ!(バス174)結末が悲劇!水トクで貧富の差が生んだ闇が浮き彫りになる

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2000年、ブラジルのリオデジャネイロでバスジャック事件がありました。犯人の若い男の名前はサンドロ。貧富の差が生んだストリート・チルドレンの彼を待っていた悲しい結末とは?2015年10月28日(水)19時56分からTBSで放送の「水トク」で明らかになります。
 
 

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ブラジルバスジャック(バス174) 


2000年6月12日、リオデジャネイロの街を走る174路線バス(バス174)がバスジャックされました。犯人の若い男の名前は、サンドロ・ド・ナシメントといいまし。彼は最初、バス強盗に失敗したが逃げそこねてしまい、その成り行きでバスジャックして乗客を人質に取りバス車内に立てこもりました。

バスジャック現場を警察は封鎖できず、テレビ局のカメラやリポーターたちが取材に押し寄せました。事件の模様はおよそ4時間に渡りテレビで生中継され、テレビを見た人々は野次馬となって現場に駆けつけました。

バスジャックの現場は、あっという間にたくさんの警官や報道陣、野次馬たちに包囲され、バスジャック犯のサンドロはパニック状態になりました。要求が何なのか聞かれても、成り行きでバスジャックしただけなので何も要求はありません。

人質を数人解放してからは、警察とサンドロの間に膠着状態が続きます。

ブラジルバスジャック(バス174) 悲劇の結末


膠着状態が続いたのち、サンドロは人質とともバスの外に出ます。そこへ警察官がサンドロめがけて銃をうちますが弾丸は全て外れました。人質だった女性は背中をサンドロに3発撃たれ、警察官からも顔に1発撃たれて死亡します。

野次馬たちはサンドロのことを「殺せ」と叫びます。サンドロは捕まって、パトカーに乗せられました。このときサンドロは生きていましたが、警察署に到着したときには死んでいました。

警察官がパトカーのなかで、サンドロを窒息死させたからでした。これが悲劇の結末です。
 
 

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ブラジルの貧富の差 


サンドロ・ド・ナシメントはスラムで生まれました。6才のときに母親を目の前で刺され殺され、その後は叔母の家で暮らしましたが、そのうち家出をしてストリート・チルドレンとなります。

1993年7月、リオデジャネイロのカンデラリア教会の前で生活していたストリート・チルドレン7名が、警察によって撃ち殺されるという恐ろしい事件がありました。彼ら子供たちは、近所で窃盗や強盗を繰り返していたのですが、その時の生き残りがサンドロでした。

ブラジルの子供たちがストリート・チルドレンになってしまう原因は、家庭内暴力が原因で家出したことだといわれています。ブラジルは男性崇拝主義が強く、父親は恐ろしく
、母親は権威などない状態なんだとか。

貧しい生活のなかで子供たちが自分から仕事をして稼いでも父親に搾取されるので、家を出るという話もあります。また、いきるために窃盗や強盗をるストリート・チルドレンを警官は正義の名のもと殺していて、それは黙認されているといいます。

サンドロのバスジャック事件はそんなブラジルの現実が浮き彫りになる事件でした。

ドキュメンタリー映画バス174


2000年6月12日サンドロが起こしたブラジルバスジャック事件は、のちに「バス174」としてドキュメンタリー映画となり、ブラジルでは2002年12月6日に公開、日本でも2005年6月4日に公開されました。

 
 



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