内田康夫の近況は死去…死因は敗血症だった。嫁の早坂真紀に子供は?休筆中、献身的に旦那を支えていた

浅見光彦シリーズの人気作家・内田康夫さんが死去しました。享年83才。死因は敗血症でした。

内田康夫さんは脳梗塞で倒れて休筆して以来、近況が心配されていたさなかの死去でした。死因の敗血症とはどんな病気でしょう?

嫁の早坂真紀さんは、休筆中、献身的に旦那を支えていたようですが、子供はいるのでしょうか

内田康夫さんと嫁の早坂真紀さんは、夫婦で軽井沢に移住し、豪華客船で旅するなどおしどり夫婦でした。
 
 

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■内田康夫 死因の敗血症とは?


敗血症とは、肺炎や 腎盂腎炎じんうじんえんなど生体のある部分で感染症を起こしている場所から血液中に病原体が入り込み、重篤な全身症状を引き起こす症候群です。
背景として悪性腫瘍、血液疾患、糖尿病、肝・腎疾患、 膠原病こうげんびょうといった基礎疾患がある場合、あるいは未熟児、高齢者、手術後といった状態である場合が多いとされています。

■症状
悪感・戦慄(ふるえ)を伴う発熱が最も主要な兆候ですが、重症の場合には逆に低体温になることもあります。心拍数や呼吸数の増加もみられ、血圧低下、意識障害を起こしショック状態となる場合もあります(敗血症性ショック)。
また、重要臓器が障害されると呼吸不全・腎不全・肝不全といった、いわゆる多臓器障害症候群(MODS)を併発することもあります。糖尿病がある人や高齢者は自覚症状が乏しいこともあるので注意が必要です。

引用:ヤフーヘルスケア

■内田康夫 プロフィール(画像)


名前:内田康夫(うちだ やすお)
出身地:東京都北区
生年月日:1934年11月15日
高校:埼玉県立川越高校
大学:東洋大学文学部国文学科中退
年齢:享年83才
死因:敗血症

内田康夫さんは東洋大学を中退後、日テレと一光社でCMアニメの制作スタッフでの勤務を経て、CM制作会社を経営する社長に。

CM制作会社の社長だった1980年に、ミステリー小説「死者の木霊」を自費出版すしたことで注目され作家デビューしました。

1982年、3作目「後鳥羽伝説殺人事件」から始まった浅見光彦シリーズが人気で、1988年「天河伝説殺人事件」1999年「氷雪の殺人」など、愛車ソアラで全国各地を巡りながら事件を解決する、警察庁刑事局長の弟でルポライター浅見光彦のキャラが愛されました。

2017年に休筆した「孤道」(未完)まで、シリーズ114冊、累計発行部数9700万部という驚異のベストセラーで、いくつもドラマ化されてます。

浅見光彦シリーズのほかにも、
信濃のコロンボシリーズ
岡部警部シリーズ
歴史小説
などがあり、内田康夫さんは旅情ミステリーの第一人者として、ユーモアあり・歴史ロマンあり・社会性ありの幅広い作風で知られました。

反戦や自由を訴えた作品「明日香の皇子」(84年)、「江田島殺人事件」(88年)、戦争小説「靖国への帰還」(07年)も出版しています。

2002年には「北区内田康夫ミステリー文学賞」を創設し、地域振興と結びついた文学賞の先駆けとなりました。

2008年、日本ミステリー文学大賞を受賞しています。

■内田康夫 嫁と子供は?


内田康夫さんが結婚した嫁は、台湾出身で作家の早坂真紀さんです。

本名は内田由美(うちだ・ゆみ)といいます。

内田康夫さんが浅見光彦シリーズなどで財産を築いたあと、1983年に嫁の早坂真紀さんと軽井沢に移住。夫婦で豪華客船の旅に出かけたり、悠々自適の生活を送りました。

軽井沢には「Tea Salon 軽井沢の芽衣」もオープンしています。

嫁の早坂真紀さんが作家デビューしたのは軽井沢移住後の1995年。詩集「軽井沢に吹く風」で。その後は、「軽井沢の芽衣」「芽衣の初恋」などの芽衣シリーズ、「空の青、海の碧」「精霊のいた街」「妖精の棲む森」などファンタジー小説やエッセイを書いています。

内田康夫さんと嫁の早坂真紀さんとの間に子供はいません。

嫁の早坂真紀さんは内田康夫さんが脳梗塞で倒れてから、子供がいないことを公式サイトの日記で綴っています。

2017.1.21 Sat
確かに一時は鬱になりかけた事もあったが、未だに続くこの方々の助けが私を支えている。
でも、治りたい、早く会員さんに会いたいと頑張る夫の姿を見ると、子どものいない私がしっかするしかないのだ。夫だって私に完全に頼りきっているし。

2018.1.3 Wed
私たちの場合は経済的にはまあまあ恵まれている上に、子どものいない私は友人たちや編集者の方々がたくさん助けてくれている。不条理を恨んではいけないと、完璧ではないけど思い始めた。

引用:http://asami-mitsuhiko.or.jp/essay/

 
 

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■内田康夫 休筆~近況~死去


■休筆

内田康夫さんは毎日新聞で2000~2001年まで「箸墓(はしはか)幻想」を連載したあと、「孤道」を連載していました。

しかし「孤道」を連載中の2015年7月26日、病気「脳梗塞」で倒れてしまい入院を余儀なくしました。ただ、当時は命にかかわる症状ではないものの、小説を休筆することに。

休筆中の2016年4月には、軽井沢に「浅見光彦記念館」をオープン。浅見光彦理シリーズの生原稿や愛用品、ドラマで実際に使用した小道具、衣装などが展示されました。嫁の早坂真紀さんの作品や、イベントも開催。

名前:浅見光彦記念館
住所: 長野県北佐久郡軽井沢町長倉504-1

■近況

休筆から2年近く経った2017年3月21日、内田康夫さんは毎日新聞で近況報告。

脳梗塞によって左半身にマヒが残り、リハビリに励んだものの思うようにいかず、小説を書き続けることが困難になり休筆したことを告白。

また、小説は休筆するが、短歌ならできそうだし、もともと好きなので、当面は嫁のサポートを得ながら短歌を描いていくつもりとしていてました。

また、未完となった「孤道」については完結編募集プロジェクトを始め、4月末に締め切りが迫っていました。

■嫁も近況を語っていた

嫁の早坂真紀さんは、おもに内田康夫さんの病気について公式サイト「浅見光彦記念館」で近況を伝えていました。

夫が脳梗塞で倒れて(その前の病気のことも含めて)、
私はかなり長いあいだ取り乱していた。

病院は完全看護なのに週7日、
それも1日10時間前後という日々を、
私はかなり長い期間彼に付き添っていた。

夫は私がそばにいないと不安でたまらないようだったので、
私は彼が寝入ったのを確かめてから、
そっと部屋を出るほどだった。

「そういうことをしていたら、
先生より先に倒れてしまいますよ」

という声も聞こえてはいた。

病院側からも

「ご主人は私たちがお守りしているのだから、
安心してご自分を労って下さい」

とまで言われた。

あの時、
事務局のスタッフや友人、
編集者の方々の見守りがなかったら、
私は本当に倒れていたと思う。

交代で毎日のようにお弁当を差し入れてくれたり、
夫が倒れたとのニュースを知った友だちも、
イタリアから飛んできてくれた。
引用:http://asami-mitsuhiko.or.jp/essay/

ご冥福をお祈りいたします。

嫁の早坂真紀さんは子供もいないので独りぼっちですが、周りの人たちが支えになってくれると思います。
 
 

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