_
「あぶないあぶない」で有名な福田和子は、時効まであと2週間の1997年7月29日に逮捕されました。
福田和子の人生はこれまで何度もドラマ化され、大竹しのぶさん・藤山直美さん・寺島しのぶさんと女優が演じてきました。
15箇所以上を転々として、整形を繰り返し、偽名も次々と変えていました。
和菓子屋では息子も呼び寄せ3年ほどいたようですがまた逃亡。最後、逮捕された時の偽名は「中村ゆき子」でした。
和菓子屋がどこなのか?息子の現在についても関心が寄せられています。
仰天ニュースなどテレビの特集でも何度も福田和子は取り上げられています。
逮捕された時の行きつけの女将に「100人が100人が好きになる」と言わせたほど、よくも悪くも人を魅了する女性なようです。
目次
■ 福田和子の生い立ち
福田和子は異常な家庭環境で生まれ育ったといわれています。
母親は小料理店を営んでいましたが、一方で家の一部を連れ込み宿にして売〇の斡旋をしていたというのです。
そういった背景があり、子供の頃から自分は裕福な家で育っているとウソをついていたそうです。
小学校の頃、女性の身体が金になると知りました。
普通の家庭で育っていたらこうはならなかったかもしれません。
また、高校時代は彼氏が事故で亡くなって自暴自棄になり、退学しました。
18才の時には、同棲中の彼氏と強盗に入る罪を犯し刑務所へ。
しかし服役中にレ〇プ事件が起きて、福田和子も被害にあったそうです。
10代ですでに壮絶な人生を送っています。
■ 福田和子 事件発生
福田和子は出所してからキャバレーでホステスを勤めていました。
結婚して旦那と息子もいました。
また、旦那に内緒で愛人もいました。
1982年34才の頃、店のナンバーワン同僚ホステスを絞め殺しました。
タバコを一服したあと「知人の夜逃げを手伝って」旦那に連絡し、頼み込んで死体遺棄を手伝ってもらいました。
その後、親戚を騙して、盗んだ預金通帳から74万円を引き出します。
5日後、福田和子の元へ電話がかかりますが、警察だと勘づき娘の声を装って「お母ちゃんは松山にいる」と警察を騙し、旦那と息子に「親戚に不幸があったから出かけてくる」と嘘をついて外出。逃亡生活が始まります。
■ 福田和子 5459日逃亡生活
■石川県金沢市のスナック
34才の福田和子は「30才」と偽り住み込みで働けるスナックを探し、電話で断れるもその店にいき「実は京都の料理屋の娘で家出してきた」「親の決めた相手と無理やり結婚させられた」「名前は小野寺忍」と嘘をつき、同情したスナックのママを彼女を雇いました。
そんななか、旦那が死体遺棄で逮捕され、福田和子は全国指名手配。顔写真も公開されました。
身の危険を察した福田和子は金沢市のスナックから姿を消します。
東京・新橋で、切れ長に・鼻にシリコンという整形手術を受けていたのです。
東京からママに電話して、安全を確認すると金沢のスナックに戻り再び働き始めます。
■「あぶないあぶない」
1982年10月2日 逃亡から39日目
福田和子は愛媛の愛人に電話をします。
「私も悪知恵働くんでね。あぶないあぶない。逆探知されたら困る」
この録音は有名ですね。
福田和子は警察に通信記録を残るようにわざと電話しました。
愛媛でなく大阪まで行き電話したので、警察はまんまと「潜伏先は関西だ」と騙されます。
■和菓子屋
ある日、スナックに100年続く老舗和菓子屋の3代目の若旦那が来店します。
福田和子は「京都の料理屋の娘」嘘をつき猛アタック。
1985年5月5月 逃亡5年目
和菓子屋の若旦那を完全にモノにした福田和子は、彼の母親にも気に入られ和菓子屋の女将として働いていました。
元ホステスでもあった福田和子の接客術によって評判は上々、女将になってから店の業績もあがっていったそうです。
若旦那は福田和子と一緒になるために離婚して、福田和子は内縁の妻となっていました。
若旦那には前妻の子供がおり、それを見ていた彼女を衝動にかられ息子に電話をかけます。
息子に会いたい一心で、リスクを冒して故郷・愛媛県今治市まで行き息子を呼び出しました。
整形をしても息子は母親だとわかりました。
そして福田和子は息子を、京都の甥っ子と偽って和菓子屋に連れ帰りました。
■和菓子屋はどこ?和菓子屋は、場所は石川県能美市根上町にあったということですが、やはり営業に支障をきたすので公表はされていません。 松井秀喜ベースボールミュージアムの近所に、江戸時代の天保から続く和菓子屋があり、NHK「妄想二ホン料理」でも紹介されました。 |
■和菓子屋から逃亡
3年たっても結婚をしぶる福田和子のことを、若旦那の親戚や母親は不審に思っていました。
入籍するために戸籍を出すと「京都の料理屋の娘」だとバレるからです。
若旦那本人も、指名手配の写真と同じだと責めたが福田和子本人は「似た顔はたくさんいる」と相手にしませんでした。
ますます怪しんだ親戚たちは、息子のカバンから免許証を発見し住所が今治市であることを発見。警察に通報しました。
警察は福田和子がいる公民館にきましたが、いち早く気づいた彼女は、着の身着のまま、息子を置いて自転車で逃走しました。
■日本初100万円の懸賞金
福田和子は、1箇所に3カ月以上滞在しないなど「したたかさ」と「男をあしらう術」を巧みに使いこなし、1988~1996年の8年間で15か所以上を転々とし、逃走資金はモーテルで働き造ったのだとか。
愛媛県は日本で初めて100万円の懸賞金をかけました。
■福井のおでん屋
1997年49才
福田和子は「大阪に本社があるエステ会社の指導員」「中村ゆき子」と名乗り、行きつけのおでん屋の女将は唯一心を許した存在でした。
しかし毎日のニュースを見て、常連客の男性と女将は疑い始めていました。
同時に、福田和子は店に来なくなります。
親しくしていたので葛藤もありましたが、女将は警察に通報。
指紋をとるように協力を求められます。
ある日、道端で福田和子とばったり遭遇し「今日は休みだから明日おいでよ」と言い、来店した彼女が飲んだビールの空瓶をそっとしまいました。
福田和子は酔ったなか一瞬シラフに戻り
「うちのこと疑ってるでしょ」
と真顔で女将に言ったといいます。
その時、下半身の血の気が引いていくのを感じたそうです。
■逮捕
1997年7月29日
福田和子が来店中に、店に警察から電話があり、指紋検査の結果本人だと判明したと連絡がありました。
「またあとで」福田和子が店を出ると、待ち構えていた警察に逮捕されました。
時効まで21日でした。
■福田和子 死去
2005年3月
刑務所内で脳梗塞を起こし57才という短い生涯を終えました。
逮捕後、息子はこう言ってました。
「殺人犯かもしれないけれど、ぼくにとっては最高の母親でした
出所したら必ず一緒に暮らします」
「社会復帰したら私が監督して真人間にします」
息子にとっては唯一の愛する母親だということがよくわかります。
■息子の現在は?息子の現在が気になる人は多いのですが、福田和子は著書の中で明らかにしています。 あのあとは製造工場での勤務を経て、独立して鉄工所の経営者に。立派ですね。 |
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
福田和子さんへ天国で幸せに暮らして下さい。今度生まれて来たときは犯罪はもうこれっきりにする約束です。