【国松長官狙撃事件】真犯人は公安のオウム小杉でなく中村泰か「現在スナイパーは無期懲役で刑務所に」

「国松長官狙撃事件」とは、警察庁の国松長官が自宅マンション前で狙撃された事件のことで、1995年に起こりました。当初、犯人はオウム真理教とされ、翌年には警察公安部の小杉巡査部長がオウム信者であり犯人だと自供して大変な騒ぎに。

しかし元公安でオウムの小杉を犯人として逮捕するも、証拠がそろわず釈放して不起訴に。

ところが2008年になってオウムと無関係の中村泰というスナイパーが自分が犯人だと自供してまた大変な騒ぎに。しかしこちらも犯人とするには嫌疑不十分で不起訴に。

公安部はオウム真理教が犯人だと主張する一方、刑事部はスナイパー中村泰が犯人だと主張。対立したまま時効を迎え、真犯人は逮捕されないままですが、真犯人はどうみても中村泰だろうというのが一般的な意見。現在、スナイパー中村泰は別の事件で無期懲役が確定し刑務所に服役中。
 
 
 
 

■「国松長官狙撃事件」とは?マンションで犯人に撃たれた


1995年(平成7年)
3月30日あさ8時31分頃
警察庁長官の国松孝次さんが自宅マンションから出勤する際、待ち伏せしていた犯人から銃で4発撃たれました。
4発のうち3発が腹部に当たり、国松長官は全治1年6ヵ月の重傷を負うという「国松長官狙撃事件」が発生。

現場マンションの場所は東京都荒川区南千住6丁目37番11 アクロシティEポートの通用口

犯人は自転車で逃げて、犯行現場には「朝鮮人民軍のバッジ」「大韓民国の10ウォン硬貨」が残されていました。
犯人の外見は、黒っぽいレインコート、黒っぽい帽子、顔には白いマスクでした。

国松長官は狙撃事件のあと、病院で手術中に心臓が3回もとまる危険な状態でしたが、幸い一命をとりとめ、2か月半後に公務復帰を果たしています。

■「国松長官狙撃事件」犯人はオウム?


狙撃事件から1時間後
テレビ朝日に電話がありました。
次の狙撃事件のターゲットの名前は、井上幸彦警視総監や大森義夫内閣情報調査室長などであり、オウム真理教への捜査をやめるよう脅迫してきたのでした。
「国松長官狙撃事件」の10日前、3月20日「地下鉄サリン事件」が起きていて、オウム真理用に一斉強制捜査が行われていた時期でした。

1995年9月
テレビ朝日に脅迫電話をかけたとして、オウム真理教の幹部が逮捕されました。

警察公安部は、オウム真理教に犯人がいるとみて捜査をしていきます。

■「国松長官狙撃事件」真犯人はオウム信者で公安警察官の小杉?


狙撃事件の翌1996年
警察官でオウム真理教の熱心な信者が自供をしました。彼は本富士警察署の公安警察官・小杉敏行巡査長。

実は警察内部でも早い段階に、狙撃の腕前や下調べの緻密さから警察内部に犯人がいるのでは?と犯人捜しが始まっていました。公安の小杉敏行巡査長は、地下鉄サリン事件の1週間後、教団から押収したリストに名前があったため捜査対象でした。

ただ本富士警察署は、警視庁の中でもキャリアの指定席とう呼ばれるエリートだらけの署なので、世間にバレたら一大事です。公安の小杉敏行巡査長は犯行を否定してのですが、犯人とするには証拠不十分で、警察は運転免許試験場に異動させる処分としました。

しかし狙撃事件の翌1996年夏になって元公安の小杉敏行巡査長は、自分が犯人だと自供しだしたのです。警察はこのことを世間にはかくしていましたが、10月にマスコミ宛てに匿名のタレコミがあり、世間にバレます。おそらくキャリアに不満のあるノンキャリアが情報漏えいしたと思われました。

その後、元公安の小杉敏行巡査長が神田川に捨てたという拳銃の捜索が行われたものの見つからず、供述もあいまいだったことから、捜査は打ち切りになり真相は謎のままになりました。

■「国松長官狙撃事件」その後、犯人を逮捕するが釈放・不起訴


1999年、捜査のやり直しが行われ、
2004年に、狙撃事件から9年後、犯人を逮捕。
・元公安の小杉敏行巡査長
・オウム真理教防衛庁長官・岐部哲也
・テレ朝に脅迫電話をしたオウム幹部
計3人が殺人未遂容疑で警視庁に逮捕されました。

しかし元公安の小杉敏行巡査長の供述が二転三転して、他の人間も関与を否定。証拠がそろわず、7月28日に釈放となります。9月17日に不起訴が決定。
 
 

 

■「国松長官狙撃事件」誰が犯人?


2008年3月
オウム真理教と無関係で、別の強盗殺人未遂事件で逮捕された中村泰が、「国松長官狙撃事件」の犯人は自分だと示唆する供述をし、「スナイパーが犯人」だとマスコミに報道されます。

中村泰は、東大に進学した秀才でしが、東大在学中に左翼運動に参加し、人生の歯車を狂わせた人物。その後、多くの強盗殺人事件にかかわっていいます。
■関与・また関与が疑われる事件
1956年東京「山川治男巡査殺害事件」
1988年金沢「金融業者夫妻強盗殺人事件」
1995年東京「国松警察庁長官狙撃事件」
1995年東京「スーパーナンペイ殺人事件」
1997年大阪「大阪厚生信金深江支店強盗事件」
1999年大阪三和銀行現金輸送車襲撃事件」
1999年大阪「東海銀行現金輸送車襲撃事件」
2001年大阪「三井住友銀行現金輸送車襲撃事件」
2002年愛知「UFJ銀行強盗殺人未遂事件」

中村泰の供述は、警察内部の者しか知りえないような「秘密の暴露」や、真犯人だけが知る事実が多く含まれていて、非常に信憑性の高いものでした。

「国松長官狙撃事件」で犯人が使ったのと同じ銃(拳銃パイソンとホローポイント弾)を、中村泰は1980年代後半にアメリカで偽名で購入していました。

中村泰は「国松長官狙撃事件」のあと、拳銃を東京の貸金庫に隠したと供述。実際その貸金庫には事件1時間後に開扉記録が残っていました。

「国松長官狙撃事件」2日前、警察官2人が警察庁長官宅を訪問している事実を把握していました。下見をした証拠です。

中村泰のアジトから、現場に残されたのと同じ「韓国10ウォン硬貨」が発見されました。

■「国松長官狙撃事件」時効を迎える・・・


2010年3月30日午前0時
「国松長官狙撃事件」は公訴時効を迎えました。

2010年10月25日
真犯人だと供述した中村泰は、結局「自白の信用性に疑義があり、犯人と認めるに足りる証拠がない」だとして、嫌疑不十分で不起訴に。

結局、真犯人はオウム真理教で元公安の小杉敏行巡査長なのか、中村泰なのか、謎のまま、事件は時効になったのでした。

2011年
時効の翌年に警察は検証結果を公表
・初動捜査で目撃情報の聞き込みが不徹底
・防犯カメラの回収が不徹底
・元巡査長について、秘密保全を優先し裏付け捜査に遅れが出た
・元巡査長が着ていたコートの鑑定に大型放射光施設「スプリング8」の使用が遅れた
など、捜査の不手際を認めました。
そこには、警視庁内部の、公安と刑事たちの対立による連携不足が原因だったようです。

警視庁内部では
・公安部がオウム犯行説を主張
・刑事部が強盗殺人未遂犯(中村泰)を主張
捜査方針がまっぷたつに分かれ対立していたのです。

中村泰真犯人説の著書「警察庁長官を撃った男」には、警視庁公安部がオウム真理教が犯人だと決めつけて捜査を行ったので、中村泰を犯人だと認めると公安の方針が全て否定されてしまうため、中村泰を逮捕しなかったのでは?と書かれています。的をついた意見だと思います。

「国松長官狙撃事件」の真犯人はおそらく中村泰だと思いますが、無期懲役で出所できないので、公安と刑事部でもめるよりは放っておこうとしたのかもしれません。

しかし、中村泰が真犯人だとしたら動機はなんだったのか?謎です。一説には、某国のスパイだっという説がありますが。

■「国松長官狙撃事件」国松長官 現在


「国松長官狙撃事件」の被害者である国松長官は現在、宮内庁参与を務めています。

1997年に警察庁を退き、1999年から3年間スイス大使。
2003年4月に特定非営利活動法人「救急ヘリ病院ネットワーク」理事長に就任。
「国松長官狙撃事件」時効成立後、宮内庁参与に。
 
 
2017年6月29日(木)放送「奇跡体験!アンビリバボー」では「日本を揺るがせた歴史的事件の裏側」として「警察庁長官狙撃事件」の裏側に迫ります。

■警察庁長官狙撃事件
警察のトップが狙撃されるという重大事件『國松長官狙撃事件』は、オウムの犯行なのか!?
突如捜査線上に浮上した中村という人物とは!?
特別捜査本部の中でも公安部と刑事部で見立てが違う中、それぞれが正義のために捜査を展開。
これまであまり知られてこなかったその思わぬ展開と、正義と真実を求めた人々の物語をお送りする。
引用:http://www.fujitv.co.jp/unb/

  
 

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